平成元年と令和元年、人の趣味嗜好は変わってないのでは?
平成時代に「社会の雰囲気がガラッと変わったな」とリアルに感じたポイントは、平成7年(1995年)、平成13年(2001年)、平成23年(2011年)の3回あったような気がしています。
雑誌の様子も、令和元年と平成元年ではいろいろな箇所がかわっているのがわかりました。
しかしながら、人々の考えることや興味というのは、あまり変わってないのではないか。
そんなことを考えました。
平成元年の雑誌をいくつか入手したので、30年経った令和元年の今、ざっと読み返してみました。
※この記事は2019年のゴールデンウィークとくべつ企画のうちの1本です。
今回、手に入れた雑誌は『週刊朝日』平成元年1月20日号、『CM NOW(シーエムナウ)』平成元年4月15日号、『女性セブン』平成元年4月27日号です。
チョイスに特に深い意味はありません。「平成元年の雑誌」で探し、偶然手に入ったものです。
ちなみに、平成元年。わたしは13才〜14才。中学1年〜2年生でした。
まずは、当たり前ですが、登場しているひとたちが……若い。人は死ぬぐらい当たり前の話ですが、みんな若い。古い雑誌あるある、みんな若い。
シーエムナウの表紙と裏表紙、深津絵里、若いなーなんて思ったんですが、名前が高原里絵、え、誰? となったんですが、旧芸名だそうです。三遊亭楽大が伊集院光になったみたいな話だとおもいます。たぶん。
『女性セブン』 の表紙は、小柳ルミ子、アグネス・チャン、後藤久美子。
小柳ルミ子が、大澄賢也と結婚したばかりのころですね。小柳ルミ子36才、大澄賢也23才!
30年後、小柳ルミ子が年間2000試合も観戦するほどのサッカーオタクになるなんて、だれが想像してたでしょうか?
逸見さんですね。若いというか、生きてるな。という感慨深さがあります。この数年後の平成5年、人気大絶頂のときに癌で亡くなってしまうわけです。
あれだけ全方位に、老若男女誰からも好かれていて、高感度が高くて、めちゃめちゃ売れてたタレント、なかなかいません。逸見さんを嫌ってたのは上岡龍太郎ぐらいじゃないでしょうか?
さて、週刊朝日の表紙は昭和天皇87才。
前回の改元は、天皇陛下の崩御があったため、こんかいのようなお祭り騒ぎはありませんでした。テレビCMも自粛で、まったく放送されませんでした。歌舞音曲停止(ちょうじ)というやつですね。
テレビCMがほとんど入らない緊急報道体制になったのは、このときと、阪神大震災のとき、東日本大震災のときの3回ぐらいではないでしょうか。
テレビCMだけじゃなく、雑誌の広告も自粛があったようで、小さくですが「おことわり」がでていました。
『シーエムナウ』では、昭和天皇が崩御した1月7日と8日、各TV局がCMを自粛した件について詳細なリポートを行っています。
テレビCMの自粛については、民放各局で取り決めを行っており、在京キー局のCMなしの放送時間は、概ね40時間から42時間だったようで、本文中で「CMが消えた、しかも2日間も(中略)世界ではじめての出来事だったのだ」とあります。
昭和30年代からテレビが普及しはじめて約30年。当時はかつてない異例の事態だったのでしょう。しかし、平成23年の東日本大震災では、各局70時間ほどCMなしの放送を行うことになります。
水戸黄門もナショナル(現パナソニック)がCMを自粛したため、葵の御紋の画像のバックに、バロック音楽が流れる謎の時間があったそうです
『週刊朝日』の記事をざっとみてみると、平成の元号がどうきまったのかということを詳しく報道しています。
ただ、まだきまってまもない頃だったためか、全体として詳しいことはあまり書いて無く、最近の改元で報道されたような「平成の考案者について」は不明としていたり、記事の半分は「平成」という元号に関する永六輔や黛敏郎の感想。「平成」を姓名判断してみる、みたいな、30年後のネットメディアの企画記事のようなことを書いていました。
テレビはのきなみ報道特別番組になったため、レンタルビデオ店が大繁盛したという記事も載っていました。たしかにあった、そんなこと。タイトルのイメージからか、なぜか『ラストエンペラー』が大人気だったそうです。
当時、ぼくは鳥取の田舎に住んでいましたが、家にビデオデッキがなく「東京の人はテレビがつまらないときはビデオを借りて見る」というニュースに、パンがなければケーキを食べればいいみたいな話じゃないかと、衝撃を受けたことを覚えています。
ビデオデッキを持っていないうちの家が貧乏だっただけの話ですが。
うちの実家は、山の陰に家があり、テレビの電波の入りが非常に悪く、雑音、砂嵐まじりで映るテレビを我慢してみていました。
しかし、たまに天気がいいと、韓国のKBSが映ることがあり「日本のテレビは映らないのになんで韓国のテレビが映るんだ!」と憤慨しつつも、興味深く拝見しておりました。
以上、個人的な平成の思い出ばなしでした。
テレビ東京だけ通常放送が続いたことを非難する記事もありました。
「テレビ各局が報道特別番組放送する中、テレビ東京だけ通常放送」みたいなキャプチャ画像が、大きなニュースがあるたびにネットでバズりますが、その手のネタはもう、平成元年からの定番ネタなんですね。
いわゆる女性誌といわれる雑誌は、あまり読んだことがなく、女性セブンもこんかい何十年ぶりに読んでみました。
芸能人のゴシップにかんしては、当時も今も変わらずでわかるのですが、よく読むと、ちょっと内容を書くのをはばかられるような写真がどっさり載ったコーナーが2、3あり、これまた衝撃をうけました。
以前、40年ぐらいまえの新聞をみんなで読んだことがありましたが、昔のマスメディアは、わりとこういった写真や情報を野ざらしで載せていたんだな、ということを、あらためて実感しました。
『女性セブン』は、記事本文もさることながら、コンパニオン募集の求人広告がやたら入っています。
子供の頃は、コンパニオンって、万博とかのパビリオンで案内したりする人のことだと思ってましたが、そうじゃないということを知ったのはまさにこの頃でした。
ほとんどが、月給25万以上、日払い1万以上となっており、そのくらいが相場だったようです。
月給25万って今とほとんど変わらないのでは? と思ったのですが、これは「この30年間、日本人の賃金が実質的に下がっている」というやつでしょうか。
それはそれとして、広告のカットが、萌え絵とかイラストやではない少女漫画風で、ひと昔前感ありますね。
今考えると「これって今でいう○○じゃない?」と思うような例もありました。
『女性セブン』の「抱腹絶倒! ノーテンキのアホッ母たち」というコーナーに“ビデオカメラを買った母親が、コケた子供をそのまま撮影していた”というエピソードなどが載っており、YouTuberの嚆矢を見た気がします。投稿先はカトちゃんケンちゃんごきげんテレビのおもしろビデオコーナーですが。
あと、気になったのが「アホッ母」をどう発音すればよいのかがなぞです。「アホッボ」でしょうか?
ほかにも「今考えるとこれってTwitterだなー」というコーナーもありました。
「この際、おぶっちゃけぇ」という、はがきまたは、電話で編集部に直接、面白い小話を投稿するコーナーで、載っている、小話を読んでいくと、ネットでバズった小話みたいなのがいっぱい載っており、まさに平成初期のTwitterといった様相を呈しています。
この小話を投稿した人、平成元年で40才となっているので、今お元気でしたら70才でしょうか。
これ、30年前だから笑い話みたいに書いてありますけど、いまだとTwitterでバズって物議を醸すやつですね……。
平成時代に「社会の雰囲気がガラッと変わったな」とリアルに感じたポイントは、平成7年(1995年)、平成13年(2001年)、平成23年(2011年)の3回あったような気がしています。
雑誌の様子も、令和元年と平成元年ではいろいろな箇所がかわっているのがわかりました。
しかしながら、人々の考えることや興味というのは、あまり変わってないのではないか。
そんなことを考えました。
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