なんとでも言ってみる
わたしのアイデアで世界を変える。何の努力もせず称賛を浴びたい。ペンギンになりたい。
ほら、なんとでも言える人はポジティブでいいだろう。大言壮語、大いに結構。誰だって最初は何者でもないんだから、すべての夢はまず口に出すところからはじまるのだ。
今こそ、なんとでも言ってみよう。
ところで、何を言えばいいのだろうか。言ってから考えればいいか。とにかく大きなことを言うのだ。言う。言おう。
なにも言えなかった。
普段からあまり声を出さないほうなので、録画機材のiPhoneに向かって大きな声を出すということがそもそも恥ずかしいのだ。
そして、大人なのに声を出すのが恥ずかしいということを書かなきゃいけないのがいちばん恥ずかしい。
口でならなんとでも言える。それは偽でした。
なんとでも言えない人だっているのです。大それたことを宣言できる時点で覚悟と度胸があって100点なんですよ。それだけ伝えられたのでもう満足です。
「何とでも」が行きすぎると恥ずかしくない
恥ずかしがっていては話が進まないので、頑張ってなんとでも言ってみた。
私は日本人初のアメリカ合衆国大統領になります。
言い切った。録音を聞くと昭和のラジオのような無機質な発声だった。ヘラヘラもしている。
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考えうる限りで一番大きなことを言った。さいごに照れて体が少し揺れたが、自覚のうえではあまり恥ずかしさを感じなかった。
いくら大言を吐くと言っても、実現可能性がまったくないと気持ちが乗らないらしい。きょうびAIのほうが感情豊かに喋る。
叶えられそうな夢はどうか
実現できそうなことを言ってみるのはどうだろうか。
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財を成して配当生活を送る。これは本心からの願いで実現できると信じているが、もじもじした。縦にも横にも揺れている。新記録である。
人生観の次は仕事にまつわる発言もしておこう。より具体的だ。
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かえって実現できる可能性があることのほうが恥ずかしいのかもしれない。これは発見だ。
「いつか総理大臣になる!」よりも「5年以内に出世して禰宜になる!(※)」のほうがよっぽど恥ずかしい。目的地までの距離感がリアルな分、身の程知らずさが鮮明に浮かび上がるのだ。
※=禰宜は神社の役職で、トップである宮司の次席
そして熱くなれることを発見する
私は空気中の物質から金銀を作る技術を確立します。私はデイリーポータルZで一番人気のライターです。私はSnow Manのラウール似のイケメンです。
屋外でいろいろ言っていると、声を出すこと自体のハードルがどんどん下がってきた。自信がついてきて嬉しい。
みなさま、これは自己啓発の記事です。主に私が啓発されています。
しかし我ながら気になるのは、何を想像して喋っても心がこもらずロボットみたいにカチコチになることである。そういえば心を込めて喋る方法を学校で習った記憶もない。どうしたらいいんだろう。
自分よ、なにか、心の底から言いたいことはないか。やりたいこととか、思っていることとか、なんでも言っていいんだよ。
ほら。人間味を出していこう。
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言えることはなにもなかった。強いていうなら脇に埋もれている長靴が気になっただけだ。
というわけで今回の試みはしょんぼりと終わったが、帰っている途中に急にエネルギーが湧いてきた。俺には言いたいことがある。
自分が本当にやりたいこと、自己正当化でした。
身振り手振り、口数、声量、すべてが大きくて自信に満ち溢れている。こんなに熱中できて楽しい娯楽は他にない。
口でなんとでも言っていると本当にやりたいことが見えてくるのだ。おすすめです。

