ピグマリオン効果
現実の女性に失望していたキプロスの王ピュグマリオーンは、自ら彫刻で創り出した理想の女性像に恋をしてしまう。女神アフロディテはピュグマリオーンの深い愛情と願いを聞き入れて彫像に命を吹き込み、人間に変身させた。二人は結婚し、幸福に暮らしたという。
今回私が言問橋で経験したことは、現代のギリシャ神話だったのである。
アンパンマンの原作者、やなせたかし氏はかつて「本当の正義とはお腹のすいている人に自分の食べ物を分けてあげることだ」と語ったそうだ。
ならば私は私の正義として今まで秘密にしてきた食べ物、いや、食べ物と言っても過言ではない物体の情報を皆様にシェアしたい。
“それ”は、隅田川に架かる言問橋にある。
擬宝珠(ぎぼし、ぎぼうしゅ)。神社やお寺の階段の手すり、橋の欄干などで見かける玉ねぎのような装飾である。あれ、ちょっと可愛過ぎやしないだろうか。
なんでこんなに可愛いのかよ?擬宝珠という名の宝物。恐らく鳥山明が描いたドラクエのスライム、あるいは永沢君といったキャラクターを想起させるのが要因なのだろう。
私はいつの頃からか、擬宝珠の中でも「可愛いな」と思ったものを撮影してコレクションするようになった。
ツルツルのもの、ザラザラのもの。横にぷっくり広がったもの、縦にみょ~んと伸びたもの。バリエーションが豊富なのもコレクション欲を刺激する。
だが擬宝珠はいつの頃からか、私の脳の「可愛い中枢」とはまた別の部分を刺激してくるようになった。
石や金属製が多い擬宝珠は、勿論硬い。カチカチである。それなのにどうしてだろう?じっと見つめているとモチモチとした和菓子のように思えてきて、遂には「美味しそう」と感じるようになってしまったのだ。
「擬宝珠を美味しそうだと感じてしまう私は異常なんだろうか?」と悩んだが、寄席で落語を聞いていた時に驚いた。ある落語家がこんな噺を始めたのだ。
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何故か塞ぎこんでいる大店の若旦那。旦那に頼まれた幇間(ほうかん*)が理由を尋ねに行ってみると、浅草寺の五重塔の一番上にある擬宝珠をどうしても舐めてみたいのだという… |
帰ってから調べてみるとその名もずばり『擬宝珠』という噺であった。落語の演目になるくらいなら、擬宝珠を美味しそうだと思う人は私だけではないのだろう。
さらに擬宝珠には葱の花に似ていることから「葱台(そうだい)」という別名もあるそうで、元々食べ物に縁があることを知り少し安心した。
そんな中でも、特に美味そうな逸品がある。それは隅田川に架かる言問橋に設置されている擬宝珠だ。
恐らくモルタル製だと思うが、指でそっと触れたら心地良い弾力でポニョンと弾き返してくれそう。大口開けて齧りついたら、絶対に中から果汁や肉汁が勢いよく飛び出すぞ。こいつの存在を知ったら、海原雄山だってニューバランスに履き替えて言問橋まで猛ダッシュするはず。それくらい美味そうなのだ。
現実の食べ物に置き換えてみるとしたら私の大好きな麩饅頭、あるいは『千と千尋の神隠し』で千尋の両親が齧り付いていた食べ物のモデルと言われる「肉圓(バーワン)」などが思い浮かぶ。
ただ、言問橋の欄干に80~100個くらい設置されている擬宝珠すべてが美味しそうに見える訳ではない。
海原雄山が中川に仕入れを命じそうな個体は20個にひとつくらいだろうか。さらに重要な点として、美味しそうなのは夜だけなのである。
しかし、どれだけ文章と写真で力説しても、DPZ読者の皆様が「ああ、この擬宝珠は本当に美味そうだ」と心の底から感じることはないだろう。そこで私はこういうものを用意した。
いずれも百貨店などで見かけたら思わず手を伸ばしてしまいそうな、人気店の間違いない商品ばかり。これらを言問橋の擬宝珠の横に並べて比較すれば、読者の皆様にも私の言っていることが伝わるのではないか?
だが相手が相手だけに、擬宝珠にとって相当厳しい勝負になるのは間違いない。頑張ってくれよ。
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いかがだったろうか?食べ物界の強豪達と相対する、ただのモルタルの装飾。だがモルタルもまったく見劣りしていないと感じたのは、私だけではないはずだ。
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(大丈夫。読者の皆様にもきっとこの擬宝珠の美味しそうさが伝わる。そして多くの人が言問橋に押し寄せるに違いない)。理由は分からないがそう確信できた私は、擬宝珠を見つめながらクリーム・ド・メロンを頬張った。
その瞬間、脳が擬宝珠を食べているような錯覚を起こしたのか、「美味そうだけど食べられない」という最後の一線も超えられた気がした。
隅田川の風が橋の上を吹き抜けていく。暑くとも清々しい夏の夜の出来事だった。
現実の女性に失望していたキプロスの王ピュグマリオーンは、自ら彫刻で創り出した理想の女性像に恋をしてしまう。女神アフロディテはピュグマリオーンの深い愛情と願いを聞き入れて彫像に命を吹き込み、人間に変身させた。二人は結婚し、幸福に暮らしたという。
今回私が言問橋で経験したことは、現代のギリシャ神話だったのである。
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