特集 2021年9月7日

長崎の大注目史跡『福井洞窟』とファッショニスタの姑

洞窟遺跡の数が日本一とされる長崎県佐世保市。そこでいま注目を集めているのが、旧石器時代から縄文時代の過渡期における生活文化が色濃く残る洞窟遺跡「福井洞窟」だ。

ところで、わたしにはファッショニスタのお姑さんがいる。彼女はアカデミックな人でもあり、歴史や史跡などが大好きだ。かつて「福井洞窟」のすごさについても熱弁していたことがあり、今回、洞窟周辺の「史跡めぐりツアー」にお誘いしてみたのである。

ある初夏の、まだ暑さも穏やかな日であった。

1986年生まれ佐世保在住ライター。おもに地元の文化や歴史、老舗や人物などについての取材撮影執筆、紙媒体のお手伝いなど。演劇するのも観るのも好き。猫とトムヤンクンも好きです。

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文化財をめぐるツアー、ご一緒しませんか。

実は、洞窟遺跡の数が日本一とされる長崎県佐世保市。「福井洞窟」は、同市(旧北松浦郡)吉井町にある、旧石器時代から縄文時代の過渡期における生活文化が色濃く残る洞窟遺跡である。

佐々川を支流とする福井川の浸食によって作られた砂岩洞窟で、間口は16.4m、庇高4.7m、奥行5.5m。1978年には国の史跡に指定されている。国内にある旧石器時代の洞窟遺跡の中で唯一とのことなのだ。

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福井洞窟。福井稲荷神社の本殿がある。近くにあったお城(直谷城)の鬼門にあたる位置のために神社が安置されたのが前身となっている。

パッと見た感じだと「あれ?洞窟?」といった印象だが、直下の地層は15層からなる。約1万9000年~1万年前の約9000年間にわたり蓄積されたものなのだ。

それまで普通の洞窟だったのが遺跡として認識されたのは1960年(昭和36年)。稲荷神社の改修の際に石器が発見されたことで「ここ遺跡じゃん!」となったらしい。地元の郷土史家・松瀬順一氏の功績であった。

その後3年にわたり発掘調査が行われ、結果、それまで旧石器時代のものと考えられていた「細石刃」と「縄文土器」が同じ地層から発見され、旧石器時代から縄文時代への移り変わりを示し、考古学界でも大きな注目を浴びたそうだ。

その後、旧吉井町は2005年に佐世保市と合併。「あれ、これで洞窟遺跡の数31になったよね。てことは日本一になったわけだよね!」となり、福井洞窟を地域のシンボルとしたまちづくりをスタート。50年の大ブランクを経て、2011年から本格的な発掘調査が行われることとなったのだ。そこから約7万点もの遺物と生活の跡が新たに判明し、「佐世保人のルーツ見つけたり!」と再度フィーバーしたのである。

なお、稲荷神社の本殿直下はまだ未発掘。なんともミステリーな状態なのである。

「本当にね、佐世保の福井洞窟はすごいのよ!吉井町、佐世保市に編入してくれて良かったわよほんと!」

と、福井洞窟について熱弁してくれたのはお姑さんのなつえさん。2017年に聴いた、市の教育委員会主催の講演会でいたく感動したらしい。

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なつえさんに見せてもらったメモ。講座で学んだ内容が数ページにわたり書き込まれている。わたしはレジュメだけもらって満足するタイプだ。

 

そんなわけで、福井洞窟の発掘者の方に取材を申し込むつもりで市の文化財課に問い合わせたところ、「ぜひ地元の方々の活動も見てほしいです!すごいですよ!」とのことで、地元有志が主催する『歴史の福井谷体験ツアー』をご紹介していただいたのだ。

山本「吉井町の文化財をめぐるツアーに参加できることになりました!ご一緒しませんか?」

なつえ「えーほんと?行きます行きます!ありがとう!!」

そんなやりとりで、地域の方々に混じって参加させてもらえることになった。本当は定員がいっぱいだったが、メディア枠として入れてもらえることに。担当者さんとの電話を切ったあと、「メディア枠」という響きがずっと頭の片隅に残った。姑と嫁でメディア枠で参加って、ちょっと情報の量が多い気がする。

小学生の頃は矢じりを拾う遊びが流行ってた

ツアー当日、われわれは「福井洞窟ミュージアム」に向かった。長年の発掘調査に加え、地元の人々の保全とPR活動がようやく実を結び、2021年にオープンした施設だ。受付場所に行くと、背中に「笑顔と活力と 吉井エコツーリズム 友の会」と文字の書かれたグリーンのジャケットを羽織った人たちが出迎えてくれた。

「おはようございます!今日は宜しくお願いします。」と、ベンチに腰掛けていた最長老らしき男性に挨拶をする。ガイドを務めるのは地元有志で集った「吉井エコツーリズムの会」の会長・和田さん。御年70歳になるのだそうだ。

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「吉井エコツーリズムの会」会長の和田さん(右)。なつえさん、今回はオレンジのマスクがとてもまぶしい。

こんなイベントやってたんですね、ミュージアム建ったのすごいですよね~、などと話をしつつ、ふと和田さんの少年時代の話になった。

和田さん(以下:和田)「私が小学生の頃は、福井洞窟も通学路エリアだったので遊び場でした。矢じりを集めてましたもんね。」

山本「それはすごい!」

なつえ「すぐ使えるぐらい鋭利なものが落ちてたわけですか。」

和田「いや~、どうでしたかね。でもその頃は遺跡が発見もされていない時代で、私たちも歴史など知る年齢ではありませんでしたから。でも子どもワクワクしたんでしょうね。」

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福井洞窟ミュージアムで矢じりをさわった。石で透けてる感じがすごいというか、とても綺麗だった。

山本「尖ってる石にときめく気持ちわかります。」

和田「なので、夢中になって集めて、友達と交換したりしてましたね。」

山本「時代を越えた物々交換。」

矢じりを拾ったことがある小学生、というステータスは聞いたことがない。わたしも、綺麗な石を拾ってコレクションにしたりということはギリギリ経験したことがあるが、矢じりはない。しかも、より形が綺麗なものを友達同士で交換したりしていたというのだ。旧石器時代にも、ひょっとすると同じような光景があったのかもしれない。「俺のと交換しない?」みたいなトレーディングが。トレーディングってとっても原始的なものなんだな。

なつえさん「自分たちが遊んでいたものが、あとから何万年も前の遺跡のものだったって分かるのってすごいことですよね。」

和田「ちなみに、遺跡のそばでは完成品は出てこないんですよ。完成品が出てくるのは、狩場やキャンプ場だったりします。」

また、吉井町には、平安末期から江戸初期まで続いた志佐氏の居城「直谷(なおや)城址」もある。ここも史跡めぐりツアーのコースに入っており、また、和田さんにとって少年時代の遊び場だったそうだ。

和田「この中にある、『姫落としの岩』(後述)は、私が発見したんですよ。発見したというか、意味を変えたというか。これも学生ぐらいの頃だったかな。友達と遊んでいるときにたまたま「アレッ?」と。あとで見に行きましょう。」

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ツーリズムで使用する、直谷城址のマップ。「アレッ?」で見つけた、「姫落とし岩」の場所も載ってる。この話は後述する

和田「ところであなた(なつえさん)、最近流行りの歴女ですか?」

なつえ「え?レキジョ?なんですかそれは。」

山本「歴史に詳しい女子的なやつです。」

なつえ「いやいや、そんなのじゃなくて。コスプレですよ。」

ちょっとおもしろいやりとりが始まった頃合いに、開始時間になった。

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講義の一環で参加していた大学生を含め、老若男女20名程度の参加者たちが集まった。

 

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本当に、こんなミュージアムが建つなんてすごいよ。

まずは「福井洞窟ミュージアム」をぐるりと見て回る。

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館内では、福井洞窟から出土した土器や石器が約400点ほど展示されている。
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旧石器時代から縄文時代への移り変わりを展示(通史展示)。
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福井洞窟の発掘現場をほぼ再現したジオラマで、縄文時代の人々の暮らしを再現した映像が、プロジェクションマッピングで映し出される(プロジェクションマッピング、みんな大好き)。
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発掘現場からべりっと採取された約6mの地層。特殊な接着剤でべりっと剝がしたんです、と館内スタッフさんが教えてくれた。その壮大な現場を見てみたい。
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縄文人に扮した男性(山形県埋蔵文化財センターの研究員さんらしいです)が細石刃を実際につくるムービー。石をパカパカ割るところから、生肉を切るところまで4分間で見せてくれる。本物見たことないけど「本物じゃん」って思ってしまった。

なつえさんは、参加していたご婦人たちと一緒にキャッキャしていた。おぉ、歴女だ、歴女の集まりだ、と思いながらその光景を眺めていた。

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学んだことを真剣にメモするなつえさん。

市街地から車で30分の立地ののどかな田舎にある、佐世保最古と最新技術が詰まった不思議なミュージアムだ。いろいろ落ち着いたらぜひ訪れてみてほしい。

橋の話題で盛り上がる

ミュージアムを出て、いよいよ約4㎞のエコツーリズムへと出発だ。まずはスポット1ヶ所め、「福井川橋梁」へと向かう。

道中にあった、「吉井の石橋群」の1つを眺める。佐々川とその支流の福井川には、大正時代末期から昭和初期に架けられた石橋が8基あり、市の文化財にも指定されているのだ。

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なつえさんは、スタッフさんと石橋を見ながらどの部分が砂岩でどの部分が金石かを話していた。歴史に疎いわたしからすると、会話の内容が一歩先だ。よく見ると、ノミで削った跡が見えるらしい。「この辺でまぁいっか~っていう妥協した跡も見えるかもね」となつえさん。

「福井川橋梁」は、昭和14年から19年にかけて建設された旧国鉄伊佐線のコンクリートアーチ橋。建設当時は金属不足だったため、鉄筋ではなく竹筋や無筋といわれている。竹ってどういうこと?そんなばんばん採れるものなの?という愚問をぐっと飲み込んだ。

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曲線もだけど、ちょっとした意匠がすてき。眼福だ。

次は「直谷(なおや)岩陰」。かつての福井村の村社だった熊野神社境内の裏手にある、約4万年前の旧石器時代から縄文時代の遺跡だ。

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「前、この辺クスノキ生えとらんかったっけ?」「いやいや、違う木じゃったろうよ」というスタッフさん同士のローカルな会話を聴きながら到着。近隣には幼稚園も併設され、さまざまな行事などまちの人々の憩いの場となっているようだ。

神社裏手には切り立った岩壁が佇んでいる。あまりの存在感に、なつえさんと二人で「おわー」と声をあげた。

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神社裏に荘厳な雰囲気でたたずむ。「鳥居もまぁそこそこだけど、わしが一番古いからな」と言っている。

この洞窟は福井洞窟と同様、日本列島に人類が住み着きだした頃を物語る貴重な遺跡とされている。

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「文化財指定待ったなしじゃない!?」となつえさんは興奮していた。

 

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すみません、まさかトレッキングをすることになるなんて

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地元の方お手製の竹杖を手にするなつえさん。急な登山にもぜんぜんひるんでない

ここは、冒頭でお話しした和田さんの少年時代の遊び場こと「直谷(なおや)城址」。小学校の真裏にあるのだが、昭和の和田少年に続き、現代っ子の遊び場にもなっているのだろうかと思った(そうだったらいいなぁという気持ちもある)。

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水墨画的な歴史感たっぷりに書かれた直谷城郭想像図。下方にいっぱいある竹杖は参加者に配るために置かれていたもの。

このお城跡は、吉井地域を南北に縦断する佐々川断層図の砂岩の残丘にある。周囲を断崖に囲まれた、ザ・中世の山城といったところだ。かつては松浦党を代表する在地領主・志佐氏の居城として築かれた。

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ここがああで、あそこがそれで、となつえさんの杖を使ってグイグイ説明するスタッフさん。

なつえ「なるほど。ここが“武者溜まり“だから、ここで兵が待機してたわけね。んで、追手道の両側には谷があるから、両側から攻撃できるわけかぁ」

なつえさんはスタッフさんの説明を受けながら、「もしも敵が攻め入ってきたとき」のシミュレーションを展開。いろんな侵入経路からはじまるストーリーが、最後ほぼ首切堂に行き着く結末はなかなか切なかった。

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階段など、ある程度はキレイに整備されているものの、杖がないとなかなかキツイルート。
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搦手(からめて)口木戸。裏口的なことですか?

お茶を飲んでひといきついていると、本丸跡地で投げ槍がはじまった。戦国時代と旧石器時代のコラボレーションだ。 

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約20分ほどかけて本丸跡に到着。ここで1時間程の休憩を取る。コロナ対策のため、参加者同士間隔を取って行った。
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手作りの槍投げ器で、テコの原理で遠くまで飛ばすらしい(やってみたが難しかった)。投げる度に本能が呼び覚まされていく感じになる。

この和気あいあいとした休憩時間のあいだ、和田さんはメディア対応と、ガイドの続きを行っていた。休憩は大丈夫かと心配になる。

さて、記事のはじめに和田さんが発見した「姫落としの岩」がこちらである。

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落城のとき、お姫様を逃したと伝えられる高岩だそうだ。しかしこれは、はじめはここに書かれていることとは異なる認識だった。

和田さんが学ランに下駄の出で立ちだった頃。普段遊び場としていた林道のすぐ上を見上げると、そこにはかつてから「姫落とし」と呼ばれていた岩場があった。それまで「姫が身を投げていた」という悲劇の場所としての認識があったが、「ひょっとして、この林道を使ってお姫様を逃がしたのかな」と考えたらしい。この考察が、これまでの「姫落としの岩」の意味を変えることになったそうだ。

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ここね、ここ!と説明してくれた和田さん。

 

よし、せっかくなので撮りましょう。

エコツーリズムの最終地点、福井洞窟に到着した。ここまでの所要時間は約4時間を経過していた。参加者の皆さんどれだけ体力がおありなのだろうか・・と、30半ばのわたしは滝のような汗を流し半分呆然としていた。しかも全行程歩いたわけでもないのに。

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ここがメインです。

和田さんの説明が一段落つき、外れのほうで休憩しているのを見計らい、輪から離れそそくさと洞窟へ移動する。

山本「せっかくなので撮りましょう。」

というわけで撮った。

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ファッションスナップを!

さらに、狩り体験(?)のために設置していた、和田さんがシュロの木で手作りしたイノシシと一緒にツーショット。

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Instagramにアップしたところ、親戚から「びっくりした」とコメントされ、なつえさんは「過激派だと思った?」とお返事していた。

ちなみに今回のコーデ内容は以下の通りだ。

ツナギ

GUのツナギ

パンツの形がイマイチだったので膝丈に切りました

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Tシャツ

息子がデザインしたバンドT

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ネットで購入

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麻のエコバッグに銀のスプレーをしたもの

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スカーフ

手作り

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「本当に愉しいコスプレだった」と、なつえさんは満足そうだった。嫁としてはほっと一安心である。

 


何がすごいって、和田さんが一番すごいよね

「今日は本当にお疲れさまでした」。エコツーリズムの疲れを互いにねぎらいつつ、帰りの車のなか、なつえさんとお話をしていた。

 

佐世保人のルーツとなった「福井洞窟」。多くの研究者たちが心血を注いだ事実ももちろんだが、やはり地元の人々の超地道な保全とPR活動には感服するばかりだ。発掘活動が本格的に認知される以前から行われていたエコツーリズム。「こうして形として実ったことは本当にすごいよね」が、われわれメディア枠嫁姑の意見だ。

発掘調査側と地元住民側の熱量が見事なまでに一致したときの事例を見せてくれてたような気がする。

とにもかくにも今思うのは、70歳で、解説をし参加者たちの疑問やメディアのインタビューにも丁寧に答えつつ、ウォーキングして山登ってのハード技を6時間近くこなした和田さんがめちゃくちゃすごい。

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後日またミュージアムに伺ったら、さらにファミリーが増えていた(見えにくいけど奥に白い犬もいる)。

 

取材協力:福井洞窟ミュージアム吉井エコツーリズムの会

 

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