さいごに公民館と一緒に記念撮影をしたかったが三脚を忘れた。仕方がないので通りすがりのおばあちゃんに無理やりお願いすることに。彼女は震える手で重い一眼レフを持ち、シャッターを切ると同時に身体を縦に30cmほどブンと振った。きっと、夜の高速道路を撮影したような残像になっているかと思ったがすごく綺麗に撮れていた。
炭鉱の町に生きる女性はやはりたくましい。ありがとうございました。
公民館。町の人たちが集う憩いの場。3階建エレベーター付きでビニル床がつやめく小綺麗なものから築何十年も経過した木造の民家のようなものまで、全国各地さまざまなタイプがある。
わたしの地元・佐世保市踊石町の公民館はバスタイプだ。廃バスなのだ。
バスタイプと聞くとユニットかどうかみたいなことが頭に浮かぶが、そうじゃない。ガワの話だ。廃バスだ。そもそも公民館として機能しているのか。
さっそく中に入れないか、町のひとにお願いしてみた。
踊石町は、市街地から車で30分ほどののどかな場所だ。最寄りのバス停は居住エリアからは遠くて徒歩10分ほど離れているし、肝心のバスも1時間に1本来るか来ないかだ。そんな、バスとは縁が遠い静かな町なのだ。
目的地へ行く途中、幼稚園の大きな建物を眺めていた。少子化が進むこの片田舎だが、子どもがいる希望ある未来に想いを馳せてしまう。
ふと、無人販売所が目についた。
てっきり農家さんの作業道具が置いてある棚かと思ったが、こんな道沿いに堂々と設置するはずがない。
並んでいるのは神社で使う葉っぱ(榊)と柑橘類のなにかだ。
踊石橋。
思わず何度も口にしたくなる町名だが、日本全国でも「踊」がつく地名は四か所しかない(佐世保市踊石町・岐阜市雨踊町・奥州市水沢区踊子・佐世保市吉井町踊瀬)。名前の由来については後述したい。
堤防広がる風景を眺めながら先へ進む。緩やかな坂道を歩くこと10分ほど。昔ながらの家々が密集する高台へ向かう道の途中に、その公民館は現れる。
バスだ。バスが停まっている。しかし普通ではないところは、行き先表示を見てみると明らかだ。
誰かの手作りだろう。「踊石新町」とは、どうやらこの辺一帯を指す地名らしい。
バスのすぐ眼前には町民に向けられた掲示板が設置されており、正面から全貌を伺うことはできない。
たしかに、外側は長年のお役目を終えたバスだ。しかし、人の手によって今でも血が通っているのが伺える。
近くに見える大きな一軒家を目指して、やや急勾配な坂道を登った。
親子二代で長年住んでいる男性にお話を伺ったところ、やはりあの廃バスは今でも使われているちゃんとした公民館だった。大正8年に初代の廃バス公民館が設置されてから老朽化に伴うチェンジを繰り返し、現在のもので3代目。かれこれ40年になるらしい。初代から数えると、この町では100年ほど続く見慣れた光景だということか。
また、この町は以前、炭鉱であったことがわかった。いまでは60世帯に満たないが、かつてはサラリーマンの倍以上の収入で炭鉱マンたちが活躍していた時代があったのだ。
昭和40年代に閉山したのちは、残った人たちで家々を守りながら静かに暮らしている。数年前から新興住宅地が登場し、若い移住者がぽつぽつと増えているとはいえ、住んでいるのは60代オーバーが多数を占めている。
随所に見られる広々とした土地は、かつて財を築いてきた炭鉱の跡なのだそうだ。
家主との会話に盛り上がっていると、坂の上から白装束を着た老人3人組が鳴り物をガンガン鳴らしお経のようなものを読み上げながら家の前にやってきた。開け放たれた玄関先にいるわれわれなど視界に入っていないようで、彼らは1分間ほど地鳴りのような斉唱を披露し終えたのち、懐からピッと一枚お札を取り出し家主に差し出した。
「やー、すいません。ウチは違うんで」
と家主はやんわりと断った。
わたしはしばし呆気に取られつつそのようすを観察していた。
老人3人組が再び鳴り物を手に坂を下って行ったのを見送る。気を取り直し、とりあえずどうしても公民館の中を見たいとお願いしたところ、現在の町内会長のお宅を紹介していただいた。嬉々として向かう。
町内会長の60代の男性は突然の訪問にも関わらず、快くバスの中を見せてくれた。
バスのカギは自宅や車のカギと一緒にジャラッと1束になっていた。
手動なので、もちろんブザー音は鳴らない。土足厳禁とのことで、靴をぬいであがらせていただいた。
「お邪魔します」とステップを登る。
眼前に広がる光景に思わずおぉー、と歓声をあげてしまった。
ちゃんとしている。ちゃんとした部屋だ。座席はすべて撤去され、代わりに椅子がぎっしりと並べられている。最大で35名が収容可能、夏は暑く冬は寒いそうだ。そうだろうな…。
フロントガラスには予定を書き込む黒板が。
ということは、会議中は身体をバスの進行方向に向ける形になるんだな。
降車ボタンを探してみたが、高い位置のものだけが残されていた。
乗車中は絶対にまじまじと見ることはないであろう、換気口やら配線やらを観察する。
窓の外は公衆トイレの景色。
ご婦人たちがここに立ってガチャガチャと働くのだろう。生活感あふれる空間だ。
感無量だ。きっとこの町の誰よりもこの公民館を堪能したという自信がある。それはもう舐めるように。
町内会長さんに、ここが設置された当初のことを聞いてみたが詳しくはわからなかった。
せめて中が人でいっぱいになっているところだけでも見たいと、月に1回の町内会への参加を希望したが、お金のお話がメインなのでちょっと厳しいとのことだった。それはさすがによそ者が入る余地はない。無念だ。
しかし、長年炭鉱の町に生きてきた彼にとっては、100年も続く廃バス公民館は当たり前の光景で、かつては遊ぶ子どもたちでにぎわっていたという話も伺えた。いよいよジブリの世界だなと思った。
現町内会長に紹介してもらい、3代目バスの公民館リニューアルに携わったという先代会長の城戸さんを訪ねた。
勘市さんはとても耳が遠かったので、千枝子さんを挟みつつのインタビューとなった。
―さっそくですが、なぜ公民館がバスなんですか?
「もともとこの町には公民館として使える建物がなかったの。なによりお金も土地もなくて。どうしようかと知り合いのバス会社さんに相談したらね、廃車になったバスをいただけることになって。そこからかれこれ3代目になるわね」
―なるほど、バス会社さんのご厚意で、省エネ省スペースが実現できたわけですね。設置や内装はどうやって手掛けたんですか。
「設置はね、廃車といってもまだ動くものだから、ここまで運転してもらって。それで座席を全部取り外して、近くの小学校から使わなくなった椅子を譲ってもらって置いてるの。カーペットやクッションとか、細かいものはみんなの自前よ」
なんと、隅から隅まで人の手が行き渡った温かい成り立ちだろう。というか、「バスが通らないこの町を走った唯一のバスは公民館なんです」と言い切って良いんだろうか。聞いた人はさっぱりかもしれないが。
―ところで、お聞きしたいのはあの行き先表示板に書かれた町名です。あれはひょっとして、勘市さんが?
「そう。お父さんの手作りですよ。もともと自分で何かしら描いたり作ったりするのが好きなのよね。ね、お父さん?」
「そ。正直大変だったけど、楽しかったよ」
ーおお、手作り!!すげえー!
わたしはすっかり舞い上がった。あのフォントを手掛けた本人と話をしているこの現状に。
勝手ながら「カンイチ(勘市)フォント」と呼ぶことにした。
実は公民館だけでなく、城戸さんが手掛けた“作品(と呼ばせてもらう)”は町のあちこちにある。
―正直、最初見たときは怖かったんです。とっても文字のパワーが強くて。でもよく見ると「交通安全」とか「飲酒運転撲滅」とか、当たり前のことがしっかり書いてあるだけなんですよね。
「もう10年以上経つからね。見た目も確かに怖くなるけど(笑)。けど、お父さんはとにかくこの町と子どもが大好きで。登校中の子どもたちを送り迎えしたり見守ったりが認められて表彰されたりもしたのよ」
地域愛が具現化したものがカンイチフォントだと知ったとき、ちょっと怖かったごみステーションがとても愛らしいものに見えてきた。
公民館の話に戻る。現在は月に一度の町内会しか開かれないという寂しい状態だが、15年ほど前はさまざまな催しで賑わっていたらしい。
「宴会やったり、カラオケなんかで盛り上がったりもしたよ」
「殺風景なもんだから、桜の木を10本ほど植えたのよね。春には提灯で周りを飾ったりして。お祭りでもやってるんですかって、ローカルTVの方が取材に見えたこともあったね」
思い出話に目を細める二人。当時の写真が残っていないかを尋ねたが、残念ながら持っていないそうだ。
ーこれからあの公民館はどうなっちゃうんでしょう。
「新調するにも金が足りんね。高齢化で住む人も減ってるし、町内会費だけじゃ賄えん」
会話中、勘市さんは「駐車場代を集めても足りんのよ。そもそも若い世代がねぇ」という苦言を呈し、千枝子さんから「それはもういいから」と突っ込まれるというやりとりを10回ほど繰り返していた。駐車場の運営も、下の世代との交流も大変なようだ。
ちなみにお祭りなどの催し関係は、別所にある「踊石町公民館」で行われている
すぐ隣には踊石神社があり、「上水道落成記念碑」が。
冒頭の踊石橋を渡る箇所でふれたが、この町の地名は“地すべり地帯”に由来するということだ。ごろごろと、まるで踊っているかのように転がる石のさまを表しているのだろう。
今年も城戸さんが植えた踊石町の桜は満開になるのだろう。廃バスの公民館は、訪れる人が減った今も、静かに町を見守りながら時を刻んでいる。
さいごに公民館と一緒に記念撮影をしたかったが三脚を忘れた。仕方がないので通りすがりのおばあちゃんに無理やりお願いすることに。彼女は震える手で重い一眼レフを持ち、シャッターを切ると同時に身体を縦に30cmほどブンと振った。きっと、夜の高速道路を撮影したような残像になっているかと思ったがすごく綺麗に撮れていた。
炭鉱の町に生きる女性はやはりたくましい。ありがとうございました。
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