旧信越本線碓氷線の線路跡をたどろう
碓氷峠を越えるルートは新旧含めていくつかあるのだが、今回は旧信越本線碓氷線をたどることにする。碓氷線とは、かつて横川駅から軽井沢駅まで通っていた鉄道の事。
明治26年、東京と新潟を繋ぐ信越本線の一部として碓氷線は開通した。それは1997年に長野新幹線が開通したことで廃線になってしまったものの、今でもその旧線の軌道上には明治時代に作られたトンネルや橋が残されているらしい。
古いものが大好物な私としては、これはぜひとも見ておきたい。しかもこの旧線、遊歩道として整備されており、線路跡をたどることができるのだそうだ。これはもう、利用しないワケにはいなかいだろう。
ちなみにこの碓氷線、当初はアプト式ラックレールという日本では割と珍しい方式の路線として開通した。
碓氷峠という難所を越える線路は非常に急勾配。そのため車輪が滑らないよう車軸にピニオンギアという歯車を取り付け、ラックレールというギザギザの付いたレールを噛んで進む方式を取り入れたのだ。
アプト式は戦後に廃止されたものの、それでもこの路線を象徴する技術として知られており、旧線をたどる遊歩道にも「アプトの道」という名が付けられている。
いざ、横川から軽井沢へ
さぁ、それでは実際に出発するとしよう。スタート地点は「峠の釜飯」で有名な横川駅。この「峠の釜飯」の峠とは、何を隠そう碓氷峠のことだ。
碓氷線が廃線になってもう10年以上が経つが、峠の釜飯はいまだ大ヒット駅弁として売れているし、碓氷線のレールも横川駅から軽井沢駅に向かって続いている。そう、まだレールが残っているのだ。アプト式ではない普通のレールだけどね。
このレールをたどって、軽井沢に向かうことにしよう。
しかし、レールは横川駅を出てすぐ、駅の隣にある施設の中に入って行ってしまった。これはかつて車庫のあった場所に作られた碓氷鉄道文化村という鉄道博物館で、歴代の鉄道車両が展示されていたりするそうだ。
この日は休日ということもあって、施設内には親子連れなどの観光客が多くいたが、残念ながら私が目指すべき場所はここではない。施設の横をすり抜けその先へ。
レールは鉄道文化村を突っ切り、その先へと続いていた。
この辺りからは実際に線路の上に降り、その上を歩いていくことができるようになっている。戦後に複線化された線路のうち、上りの線路が遊歩道として舗装され、開放されているのだ。
線路の上を歩くという行為は、それだけで興奮するものだ。舗装されているとはいえレールはあるし、架線などもそのまま残されている。線路としての旧態は結構保たれている感じだ。
……でも、やっぱり未舗装のままである方が嬉しかったかな。ちなみに、いくら未舗装が良いとはいっても、左の下りの線路に入るともれなく御用となるので注意。
さて、横川駅を出発してから30分ぐらい歩いただろうか。突如、右手の視界が開け、立派なレンガ造りの建物が姿を表した。
これは明治時代に建てられた旧丸山変電所の建物で、急勾配の坂道を登るアプト式列車に電力を供給していた施設の跡。この碓氷線は一番初めに電化された国鉄の路線でもある。
そこにはレンガ造りの建物が二棟並んでいるのだが、一棟は変流器と変圧器を収める機械室、もう一棟は電気を溜めておくための蓄電室だったとのこと。
ちなみにこの変電所の建物、かつてはガラスが割れ放題、屋根は朽ち果てて倒壊寸前の廃墟であったらしい。今では修復され重要文化財として立派に保存されているが、裏に回ってみると廃墟であった当時の名残を見ることができる。
さて、ひとしきり旧丸山変電所を堪能した後は、再び線路を進むとしよう。
途中、川を越えるところがあり、そこには碓氷第一橋梁という橋が架かっていた。今でこそコンクリートと鉄の橋になっているものの、作られた当初は丸山変電所と同じようにレンガ造りであったそうだ。
今でもその橋の根元にレンガが一部残っていたりして、なんとも歴史を感じさせてくれる。
第一橋梁からさらに線路を進んでいくと、線路の道は行き止まりになっていた。あれ、これで終わり?
いやいや、そうでは無い。ここは明治時代に作られた旧線と戦後に作られた新線の分岐点。歩道として整備されているのは旧線なので、ここから先の新線は整備されておらず立入禁止なのだ。旧線はここを直進するのではなく左に入る。
旧線、新線となんかごちゃごちゃしていて分かり辛いが、要はどっちも碓氷線であり、より古く、カッコ良いトンネルとか橋とかある方が、旧線ということだ。
そう、いよいよそのカッコ良いトンネルやら橋やらが待つ旧線へと入る。ここからが、本番なのだ。