人類はズルだ
たとえば、暑い夏を涼しく過ごすのはズルだろうか。いや違う。人類は知恵と工夫で涼しく過ごす方法を開発した。そういうことなのだ。このドミノもそう。達成感ないかな、と思っていたんだけど、割とガッツポーズしていて、達成感があったんだなとわかった。
ドミノというものがある。長方形の牌を無数に並べて、最初の牌を倒すと気持ちよく順番に倒れていくあれだ。日本はもちろん、世界中にドミノの文化はあり、昔はテレビでもよくドミノをやっていた気がする。
このドミノ、めちゃくちゃ大変なのだ。そもそも牌は倒れやすく、並べている途中に誤って倒してしまうと、今まで並べたものも倒れてしまうのだ。そんなドミノを部屋中に並べてやってみたいと思う。
誰もが一度はやったことがあると思われるドミノ。私もやったことがある。数千のドミノを並べたのだけれど、めちゃくちゃキツかった。今までに、二度とやりたくない、と思ったもののベスト3のひとつがドミノだ。
何が大変って、彼らすぐ倒れるのだ。並べている最中に生まれたての子鹿の最初の一歩直後か、と思うほどに倒れ、今までに並べたものが無になる。綺麗に無になるのだ。異常なる集中力が必要となるのだ。あと手が震え出したり、本当にキツいのだ。
そんな私だけれど、部屋中でドミノをやってみたいと思う。部屋中にドミノを並べるのだ、ということはなく、一部しか並べていないけれど、部屋中に並べた風にして達成感を得ようと思う。そして、並べたものが以下の動画だ。
部屋中に本当にドミノを並べるのは諦めている。過去にドミノをやった経験から無理と分かっているのだ。そこで考えたのがズルである。真っ向勝負をしないのだ。ズル。卑怯。そういう類のドミノに徹することにした。
一部しか並べないのだ。ズルだよ、紛うことなきズルだよ。曇りなきまなこで見なくてもズルだよ。濁りに濁ったまなこで見てもズルだよ。しかし、これしか無理なのだ。これだけを並べるだけでも倒しちゃうんだから。
少ししか並べないものをカメラのアングルで補い、さらにそれを複数並べることで、家中にドミノを並べたかのように演出した。映画のセットとかも、映る部分しか作らないと思うけれど、それと一緒。だから、ドミノと思わないで欲しい。これは映画なのだ。
ドミノ製作者としての誇りのようなものはない。しかし、映画製作者としての誇りは持っている。ハリウッドに勝ちたいくらいの勢いだ。だからこそ、ドミノだけではなく、ちょっとしたギミックも使いたい。
感動的ですらある。ドミノが倒れ、養生テープに当たり、養生テープが転がるのだ。ドミノだけではなく、自宅にあるものをギミックに使うという素晴らしき発想。家中ドミノでは必要なシーンだ。
ハリウッド映画だって、本当にビルにヒーローがぶつかったりするわけではない。CGをふんだんに使っているはずだ。そういうことなのだ。このドミノもそういうこと。テグスはドミノの一部なのだ。人力だけどCGなのだ。
先ほどの転がった養生テープが転がり、ドミノを倒すという感動のシーン。これも本当に先の場所から養生テープが転がってきたわけではない。そこにも素晴らしき方法により解決されている。
転がしちゃうのだ。もちろん若干の疑問はあった。「これはドミノなのか?」という疑問だ。ただ私は勝ったのだ。その疑問に打ち勝った。今はもう、そんな疑問はない。清々しい気持ちだ。「これはドミノです」と胸を張って言いたい。
あとで撮った写真を確認すると私はガッツポーズをしていた。わずかに並べたドミノに養生テープが当たっただけで、両手でガッツポーズ。このワンシーンにかける私の熱意のようなものは伝わっているのではないだろうか。
今回の「ドミノ THE MOVIE」で一番並べたのがこのシーンだ。5回くらい失敗している。途中で倒れるのだ。そのくせね、いざ倒すと倒れないの。こういうジャジャ馬な恋人は嫌いではないが、ドミノにおいては嫌いだ。
一列ごとにならべ、それぞれの列は繋がっていない。しかし、動画をみると繋がっているように見える。では、なぜ倒れるのか。技術的に難しいことはなにもない。おそらくこれを読んでいる方、全員が思いつく方法だ。
こうこうことなのだ。これをズルと呼ぶこともできるだろう。しかし、私はそれを「工夫」や「知恵」と呼びたい。本当に家中にドミノを作ったところで、個人が持っているカメラの数には限界があり、全ては撮影できない。むしろ合理的なドミノと言えるのだ。
たとえば、暑い夏を涼しく過ごすのはズルだろうか。いや違う。人類は知恵と工夫で涼しく過ごす方法を開発した。そういうことなのだ。このドミノもそう。達成感ないかな、と思っていたんだけど、割とガッツポーズしていて、達成感があったんだなとわかった。
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