トウモロコシごはんが好きだ
すっかり夏。主に母親が丹精込めて世話をしている畑で、今年はトウモロコシの出来がとてもよかった。上から下まで粒がしっかりと詰まっており、もぎたてを蒸して食べるとすごく甘い。
これはサツマイモにも言えることだが、最近の品種は記憶にある甘さを大幅に超えてきて驚く。
さてトウモロコシといえば、トウモロコシの炊き込みごはんが大好きだ。なにかのレシピ本で読んだのだが、コツはトウモロコシの芯も一緒に炊くこと。
いつの頃からか、その作り方が世の中の定番になったらしく、トウモロコシごはんのレシピを検索すると、だいたい芯を使っている。
基本的な作り方はとても簡単で、ごはんを焚くときに生のトウモロコシの実と芯を入れて、塩を少々加えるだけ。
「この芯、本当に意味があるのかな?」と思いつつ、「この芯を入れるのがコツなんだよ!」と言いたいので必ず入れる。もしかしたら、おまじない程度の効果しかないのかもしれないが。
こうして炊きあがったトウモロコシごはんは、とても甘くておいしい。
とても甘いので、おかずをどうしたらいいか迷うけど。
トウモロコシの芯だけで炊いてみよう
後日またトウモロコシを収穫した。おいしいトウモロコシご飯を食べるという部分の欲求は解消済みなので、今度は料理レシピ業界のタブーともいえる疑問に正面から挑んでみたいと思う。
タケノコのあく抜きに入れる米糠や鷹の爪には、まったく意味がないという説もあるが、もしやそういう話なのでは。
トウモロコシの芯だけでトウモロコシごはんを作り、その味を確認してやろう。あの芯に意味があるのであれば、これだけでもそこそこうまいはず。
実入りが良かったり悪かったりするトウモロコシの実を包丁でこそぎとり、残された5本分の芯を鍋で水からじっくりと煮る。いきなり米と炊くよりは、このほうがより芯の味が染み出るはず。
普通に蒸して食べ終わったトウモロコシの芯を使えばいいような気もしたが、自分で食べるものとはいえ、それはなんかちょっと嫌だ。
鍋でトウモロコシの芯を煮ていると、なんだか豚骨か鶏ガラでも煮ている気分になる。ただし鍋から立ちこめる香りは甘い。
30分後、その味を確かめてみると、うっすらと色のついた煮汁がはっきり甘くて驚いた。まるでコーンシロップを薄めたようなストレートな甘さ。そして味の素のような強いうま味を感じる。
煮込んだことでトウモロコシらしい味や香りは気化して消えてしまったのかもしれない。これはおもしろい実験だ。
この甘い汁でごはんを炊くのかとちょっと不安になりつつも、味を確認するためにトウモロコシの実は入れない。でも塩は気持ち多めに入れた。
お米の量は2合、水加減は普通にする。
もはや出汁殻となった芯も、まだ少しは味が出るだろうと一緒に炊く。これらの存在が釜の中で米の対流を邪魔するのではないかとちょっと思ったけど。
30分ほど浸水させて炊飯器のスイッチを入れる。しばらくしてから様子を確認すると、なぜか炊飯器の蓋が開いていて、釜からブクブクと大量の泡が立っていた。あわあわした。
こんなこと一度もなかったのにと思いつつ蓋を締めると、今度はブレーカーが落ちた。なんだろう、祟られているのだろうか。やはり芯だけのトウモロコシごはんはタブーなのかもしれない。
その後、もう一度炊飯をやり直し、トラブルが起きないかとずっと見張る。そしてピロリロリーンと炊きあがりを知らせるチャイムが鳴り、蓋を開ける。どうにかちゃんと炊けているようだ。
この芯は食べないとわかっているのだが、ごはんの上に食べカスみたいな芯(食べカスではなく残りカスだが)ばかりが乗っている様子はかなりの怪しさ。なかなか人には出しづらい料理である。
トウモロコシの芯だけごはん、すごく甘い!
うっすらと色づいた甘い香りのごはんをさっそく茶碗に盛って、その味を確認すると、これがまあ甘かった。あの甘くてうま味のある煮汁で炊いたのだから、この味になるよなあと納得するしかない。
二合に対して五本はちょっと贅沢すぎただろうか。芯に対して贅沢というのもおかしいが。塩をかけると甘さがより引き立って困った。この甘さは最近の品種だからこそなのだろう。
甘ければありがたいというものではない。甘いからこそ食感や味の変化が欲しくなる。やはりトウモロコシごはんは、トウモロコシの粒が入っていてこそ成立する料理なのだと深く理解をした。
今からでもトウモロコシの実を入れたいところだが、全部コーンスープにしてしまったので残っていない。
とにもかくにも、トウモロコシの芯から甘味とうま味が出るということはよくわかった。
今後は今まで通り、実と芯の両方を入れて、普通に炊いていこうと思う。
最強に甘いトウモロコシチャーハンが完成した
やっぱり普通のトウモロコシごはんが一番だよなと思いつつ、もう一回違った作り方を試してみる。
今度はトウモロコシを少なめのお湯で蒸し煮にして、そのトウモロコシを実と芯に分けて、茹で汁と芯で米を炊き、最後に実を合わせるのだ。
なんでこんな面倒な方法をとるのかというと、先に茹でることで実がきれいに取れ、トウモロコシ自体の味や食感がよりよくなるのではという期待からである。
また実を入れて炊飯する方法だと、ちょっと加熱時間が長すぎて味が抜けたり、シャキシャキの歯ごたえがなくなったりする気がするから。
炊きあがった甘いごはんにトウモロコシの実を混ぜて食べようかと思ったが、ここで急に気が変わった。
中華鍋でトウモロコシとバターを炒め、そこに芯で炊いたごはんを加えたコーンバターライスにさせていただこう。
食べてみると甘じょっぱくてうまい。かなりストレートな甘さのトウモロコシごはんに、乳脂肪の塊であるバターのコクがドーンと加わったことで、とても奥行きのある甘さとなった。
砂糖を使っていないチャーハンの中では一番の甘さではないだろうか。しっかり甘いのだけれど、これならバクバク食べられる。甘さを引き立てつつも引き締める多めの醤油、そしてトウモロコシの実の粒感が素晴らしい仕事をしていくれている。
でもやっぱり途中で飽きてくるので、胡椒をかけたら抜群においしかった。食べたことはないけれど北海道の鉄板焼き屋の締めに出てきそうだ。
トウモロコシの芯を使った実験はなかなかおもしろかった。正しい方法としては、芯の有りと無しで炊き比べればよかっただけのような気もするが。
そろそろ枝豆が収穫できる頃なので、次は莢で出汁を取った豆ごはんにチャレンジしてみたいと思う。

