特集 2019年7月3日

中国からベトナムまで約1800キロを寝台列車を乗り継いで行った話

生まれて初めて食堂車を使った

旅情をあじわいたい。濃厚な旅情を、たっぷりあじわいたい。

旅情をあじわうためには、いったいどうすればよいのか? そう、寝台列車に乗って旅をすればよい。なぜなら寝台列車イコール旅情だから。

と、思い立ったので、中国の麗江という町から、ベトナムのダナンという町まで、約1800キロほどを、寝台列車を乗り継いで移動してきた。

鳥取県出身。東京都中央区在住。フリーライター(自称)。境界や境目がとてもきになる。尊敬する人はバッハ。(動画インタビュー)

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日本の寝台列車がなければ外国に行けばいいじゃない

日本の寝台列車は軒並み廃止されつづけ、いまや「サンライズ瀬戸・出雲」ぐらいしか残ってない。

しかし、日本以外に目を向けると、まだまだ寝台列車が現役で走っている国はたくさんある。寝台列車に乗りたければ、いっそのこと、そっちに乗ってしまう……という手もあるのではないか。

そんなことを考え、今回、中国の麗江から昆明を経由し、中越国境の河口北、国境を超え、ベトナムのラオカイという町に入り、ラオカイからハノイ経由でダナンまでを、寝台列車で移動してみることにした。

中国の雲南省から、ベトナムの真ん中あたりまで、寝台列車で4泊。この距離を、寝台列車を乗り継いで移動するということになる。

麗江−昆明

世界遺産「麗江古城」のある町として有名な、麗江にやってきた。

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麗江古城です

麗江は、少数民族のナシ族(納西族)が住む麗江古城(旧市街)のある町だ。ねずみ色の瓦を使用したナシ族の古い民家が、えんえんと続く町並みが有名だ。

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麗江古城の印象的な瓦屋根のながめ

麗江古城に関してはこれぐらいにしておいて、寝台列車である。町はずれにある麗江駅にバスでむかう。

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麗江駅です

駅のデカさである。めちゃくちゃデカい。鳥取砂丘コナン空港なんかよりもぜんぜんデカい。写真に写り込んでいる人と比べてほしい。入り口のところに白く写っている髪の毛根みたいなのが人だ。

中国は鉄道駅に限らず、建築物は異常なほどデカくて立派なものが多いのだが、麗江駅も例にもれず巨大である。

駅に来たらまずは「售票口(ショウピャオカオ?)」に行って、切符を手に入れたい。售、日本ではあまり使わない漢字だけど、スマホの漢和辞典で調べてみると、売るという意味のある漢字のようだ。

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麗江−昆明間のきっぷ

「售票口」の窓口で、事前にネットで予約した番号のメモとパスポートを出すと、何もいわなくても切符が出てくる。中国語でのやり取りはほぼなし。日本の鉄道会社のきっぷ販売サイトよりもストレスフリーである。

麗江から昆明まで480キロほどだが、運賃は217人民元だった。日本円で3500円程度だ。

そして、きっぷを手に入れたら、手荷物検査とパスポートチェックをおこなって、駅の中に入る。中国の鉄道は空港と同じで、いちいち手荷物検査とパスポートチェックが必要だ。 

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駅の中も、もちろんデカい

早めにきたので、発車時刻まで駅で待つことになるのだが、どこでどう待っていたらいいのか。

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なんとなく意味がわかるのでおもしろい

電光掲示板を見ると、ぼくの乗る列車「K9698」昆明行きは、検票口が「1」、候車室が「一屋候車室」、状態が「候車」となっている。

候車がわからないので、候を漢和辞典で調べると「待つ」という意味がでてきた。つまりこれは「時間になったら1階の改札で改札を行うので、1階の待合室で待ってろ」ということだろう。漢字なので、短いフレーズなら、なんとなく書いてあることの想像がつく。知っている字から意味を推理するのもおもしろい。

食料を調達

列車の中で食べる食べ物を調達したい。駅の中にあるスーパーに行く。

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超市=スーパー、わかりやすい
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パンパンのお菓子

麗江は、町がすでに2400メートルの高さにあるので、店で売っているお菓子の袋がパンパンである。

中国の寝台列車では、カップラーメンを食べるのが定番らしいのだが、列車の中がどんな感じなのかわからないので、パンと牛乳を買う。

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中国ではものを買っても袋に入れてくれない

待合室の椅子に座っておとなしくしていると、人がうごきはじめた。時間がきたようだ。

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検票がはじまったようだ

改札を抜けると、みな一斉に列車に向かう。

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緑色の寝台列車だ! 中国の寝台列車うれしい!
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行き先は、たぶん合っている

きっぷには「3車002号上鋪」と、これまた難しい鋪なんて字が使われている。漢和辞典をひくと、舗の異体字で「敷く」という意味があるらしい。さしずめ上鋪は「上段ベッド」といったところだろうか。駅員さんに切符を確認してもらい、自分のベッドと思しき場所をさがす。

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通路の上に荷物置き場がある

先に陣取っていた先客の中国人に、ココで合っているか聞くと、ここでいいという。あー、ここかーと、二段ベッドの上段によじ登る。

日本の言い方でいうと、B寝台というやつだろう。掛け布団と枕は準備してあるのだが、カーテンみたいな気の利いた設備はない。

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自分の寝る場所を確保

荷物をおいて、寝床を準備しているうちに、列車はツルーっと発車していた。びっくりするほど振動がない。

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窓側は下段の客が陣取っていて如何ともし難い

列車は動き出し、順調にスピードをあげていく。

ぼくは、久々の寝台列車で、気持ちがアガりっぱなしだったのだが、寝床をこしらえ終わると、やることがないのに気づいた。

下段ベッドは、窓側に他の客が座って談笑しているので、下に降りて車窓を眺めるのもすこしはばかられる。仕方がないので、さっき買ったパンをたべて、牛乳を飲んだ。

向かいの上段ベッドの中国人は、電車が発車するなり、布団をかぶってさっさと寝てしまっている。

しかし、暗くなってしまわないうちに、せめて車窓の景色ぐらいはながめたい。上段ベッドからがんばって外の風景を見ようとしたものの、上段ベッドからは、角度的にものすごいスピードで流れつづける地面しか見えない。

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ものすごい速さの土

地面をながめるの、きらいじゃないけど、ランドサットじゃないので、もうちょっと全体的な風景を横からながめたい。

そうだ、スマホのカメラを窓に伸ばして写真を撮ればよいのでは。と、おもいつき、iPhoneを窓に伸ばして写真を撮ってみる。

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ぼやけた車窓風景

「カシャ」というiPhoneのシャッター音に下段の乗客が反応し、こちらを見た。なんだか、申し訳ない気がしてしまい、撮った写真はこれだけである。これは旅情だろうか?

おもい起こせば、海外の列車に乗ったときの座席運のわるさについては自信がある。

以前、ロンドンからブリュッセルまで高速鉄道に乗ったことがあるけれど、そのときは、しらない外国人とお見合い状態で3時間ずーっと後ろ向きに高速移動したという思い出がある。
おかげで、ケミカル・ブラザーズのStar GuitarのMVみたいな動画が撮れたけど、できれば進行方向にむかってすわりたかった。

閑話休題、向かいの上段ベッドで、さっさと布団をかぶって寝てしまった中国人の賢明さである。ぼくも彼をみならい、布団をかぶってさっさと寝ることにした。

まだ暗い昆明に到着 

寝て、なんとなく目を覚ますと、もう昆明駅手前であった。480キロはあっという間だ。

他の乗客はすでに降りる準備をして腰を浮かしているところだった。あわてて荷物を片付け、降りる準備をする。

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昆明駅です

昆明駅に到着したのは朝の5時まえで、真っ暗である。

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昆明駅前で記念写真

余談ながら、昆明といえば、中華人民共和国の国歌「義勇軍行進曲」を作曲した聶耳(じょうじ)の出身地である。

聶耳は、昆明市で生まれ、本名を聶守信という。幼い頃から音楽の才能を発揮したため、「耳さん」と呼ばれるようになり、ニックネームの「耳さん」をそのまま名乗るようになった。

彼は中国がまだ国民党の中華民国だった時代に中国共産党に入党し、日本に亡命している。この日本滞在中に、抗日映画のための音楽として「義勇軍行進曲」は作曲される。

ところがその後、聶耳は藤沢の鵠沼海岸で海水浴中に溺れて亡くなってしまう。ウィキペディアで没年を確認したところ、1935年となっていた。24歳の若さである。

中国の国歌を作曲するためだけに生まれてきたようなひとである。

なぜこんなことを思い出したかというと、中国のホテルでテレビを見ていると、この義勇軍行進曲をなんどなんども耳にするからだ。おかげで中国にいるあいだ、ずーっと頭の中でこの曲がなっていた。いいんだかわるいんだかわからないけれど。

昆明の人たちは聶耳のことをどれぐらい知っているだろうか。

うっかり趣味の話をしてしまった。

昆明では、ホテルで一泊し、次の日の夜に昆明駅から河口北駅まで向かう。

ベトナムまでワープします

中国での寝台列車二回目は、昆明から河口北まで移動だ。

河口北には明け方に到着し、歩いて国境を超えてベトナムに入国する予定である。

昆明駅では、自動販売機でジャスミンティーを購入したところ、烏龍茶が出てくるといった書かなくてもいいハプニングがありつつも、無事に寝台列車に乗車。

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ちゃんと乗れました

 この日の列車のベッドは、三段の真ん中であった。体を起こしたとき、必ず頭をゴツンとしてしまう。ザ、窮屈。

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窮屈

中国の人は、スマホの動画やゲームや電話をボリューム下げずにやるので、列車内はわりと騒々しいのだが、そんなスマホの喧騒にまじって、どこからかオルゴールの「埴生の宿」が聞こえてきた。なんなんだ、この旅情は。

さっさと寝ろというメッセージのような気もしたので、発車するとすぐ寝てしまった。

そして目が覚めるともう河口北である。河口北駅から中越国境のイミグレーションがある市内までバスで移動しなければいけない。寝台列車の中で目がさめて数分後にはバスに乗り込んでいた。

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金正男みたいな人が偶然写っているが、赤の他人です

ここでバスに乗り遅れるとバスが次にいつ来るのかもわからないので焦ってバスにのる。したがって、あわてて撮った写真がこの1枚しかない。

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イミグレーションが開店するのをみんなで待つ

 

イミグレーションは、朝の8時に開いた。出国の手続きが終わり、パスポートに出国のハンコを押してもらい、中越国境にかかる橋をわたる。時刻は午前8時21分。

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ベトナムから国境を超え、中国へ商売に向かう人がめちゃめちゃいる。中国側のスピーカーからは、インターナショナルの中文版が流れていた
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時刻は8時21分
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はい、来ました、国境
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中越またいだったぞ!

中国とベトナム、かつては戦争までした仲だが、いまでは普通に行き来できる。日本人が面白がって写真をとっても、基本的に問題はないのがうれしい。

アジアは緊張感のある境目が多いけれど、これぐらいの写真がとれる中越国境は、境目マニアにとって頼もしい。

ベトナムの入国審査を通過したあと、ベンチに座って時刻を確認すると、7時48分になっている。

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時間をさかのぼった!

中国より、ベトナムは時間が1時間遅い。したがって、国境をまたぐことによって、時間も越える……というぐあいである。

英語で冗談をいわれる 

さて、中国と川を挟んで存在するベトナム側の町はラオカイ(老街)という街である。

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街から漢字が一気になくなった

国境を越えると、人々の使う言葉も、顔つきも、街の雰囲気も、いっきにかわるのがおもしろい。

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歩道のこういうのが、そのままほったらかしになってるところがさすがベトナム。中国は歩道や道路はきれいなところが多かった

ここで、時間を夜の10時ごろまでググーッとすすめる。

ラオカイからはハノイまでの寝台列車に乗車する。この区間は路線バスなどもあるらしいのだが、やはりここは寝台列車に乗って、なんとか旅情を絞り出したい。
まだ、腹の底にグーっと来るような旅情がきてないのだ。

ラオカイ駅でおとなしく乗車時間を待つ。
ハノイまでの寝台列車には、我々のような外国人観光客がたくさん乗るようで、とくに、白人の旅行客が多い。ラオカイは、サパという高原のリゾート地への最寄り駅であり、これらの旅行客はサパからハノイへ戻る観光客だろう。

ハノイまでの列車が到着した。

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アメリカンな配色の寝台列車だ
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きっぷをチェックしてもらって乗車します

ベトナムの寝台列車も、インターネットで簡単に予約できる。ウェブサイトは英語だが、難しいことはなく、予約すると、乗車時刻などが書き込まれた予約票がメールで来るので、それをプリントアウトして持っていけばよい。
会員登録とかパズル認証みたいなめんどくさい操作は一切なく、日本の鉄道会社のきっぷ販売サイトできっぷを買うより、ベトナムの寝台列車を予約するほうが簡単だ。

ただ、予約は下段のベッドをしたつもりだったが、またもや上段ベッドが割り当てられていた。

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下のベッドを予約したつもりだったが、なぜか右上のベッドになっていた

 今回、同室になったのは白人のおっちゃん二名である。

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白人のおっちゃん二名

部屋に入ると、白人のおっちゃんは、ベトナム人女性の美人車掌係に英語でしょうもない冗談を飛ばしていたようで、車掌係は苦笑いしていた。

ぼくが寝床を作っていると「ハーイ、君はどこからきたんだい?」ときかれた。

日本の東京から来たと伝えると「おぉ! 日本ね!」と明るく笑う。「アイムリビン……築地マーケット、アラウンド」と合ってんだか合ってないんだかわからない英語で答えるとなんとかわかってくれたようだった。

彼らはイタリアのジェノバから友人二人で観光にやってきているらしい。名前はデイビッドとジョアンだった。(ような気がする)

「マサはどんなウォルクなの」という、ウォルクがわからなかったので、グーグル翻訳にたよると、仕事だった。発音よすぎて聞き取れないパターンだった。

「アイム……ライター」

「ライター? ニュースペーパー?」

「うーん、ウェブメディア……アンド、ブック……」

英語で答えると、本当が嘘っぽくなるのはなぜだろう。

列車は動き出していた。

イタリア人のおっちゃんは、本当にあかるい。デイビッドはずーっと冗談を言っている。

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部屋においてあるサービスの水とバナナ、自由に食べてよい

「ハイ! マサ、ここにあるバナナは自由にたべていいぜ! オレがあとでお金払っといてやるから、アハハ」

おぉ! ジョークだ! 本物のジョークだ! マジモンのジョークに触れて、おもしろいとかそういう感情のまえに、感動がおしよせてきた。 

こういう冗談が、初対面のひと相手にスルッと出てくるのが本当にすごいし、外国のひとの凄みでもある。コミュニケーションの鬼だ。もちろん、人にもよるだろうけど、それを差し引いてもである。

ぼくはこっそり、グーグル翻訳で「英語が苦手です」を検索し「あー……アイムノットグッド、アト、イングリッシュ……」というのが精一杯だったが、ジョアンに「オォ、ミートゥー」とやられてしまった。完全敗北である。いや、勝ちとか負けとかないと思うけど。

ジョアンは、パンツ一丁になり、寝る気まんまんだったので、ぼくも「ミートゥー」といって、パンツ一丁になって寝た。ズボンのまま寝るのはちょっとしんどかったので、たいへん助かった。

ハノイからダナンへ、食堂車に感動

ハノイへ到着したのは翌朝の明け方である。
ハノイ駅はまだ暗く、常夜灯のオレンジの光に照らされた線路が静かに輝いている。
駅に到着するとデイビッドが起こしてくれた。荷物をもって列車を降りると、じっとりとしたぬるい空気がメガネを曇らせた。
ぼくはデイビッドたちと別れ、ハノイの街へ出た。 

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ハノイ駅です、中国みたいな異常なデカさはない。昔の京都駅ぐらいの感じだ

ハノイで一泊し、次の日の夜。いよいよ最後の寝台列車、ダナン行きの列車に乗る。

ダナン行きの寝台列車は、ラオカイ−ハノイの寝台列車よりも作りがあたらしく、ピカピカだった。

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見た目がもうすでにピカってる

 

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新しいが、またもやベッドは上段であった。なんなんだ
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USBで給電できるうれしさ

中国からハノイまで、寝台列車に3回乗ったが、今までなかった(あったかもしれないが)めちゃめちゃうれしい設備がこの寝台列車にはあった。

食堂車である。

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食堂車、めちゃ混みだった

空いている時間を見計らって、食堂車に向かい、ヒアでイートしてOK? と聞くと食堂車のおねえちゃんがOKという。うれしい、うれしすぎる。

夢にまで見た寝台列車の食堂車。ベトナムでついにありつけた。

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薄いビールがうまい

移動しながらビールとフォーを食べる。こんな贅沢な旅情はない。ついに、腹の底にズーンとくる旅情きました! ありがとうございます。

満足したので、さっさと寝た。

一晩寝て、目が覚めてもまだダナンではない。薄明かりのベトナムの田園風景を列車は走っている。

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まだ誰も起きてない時間にめがさめた
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朝日がのぼりはじめた

ぼーっと眺めていると、この田園風景は北関東あたりの風景に見えなくもない。
しかし、棕櫚の木や、見たことない形の墓地が車窓に流れるたび、ベトナムであることをおもい起こさせる。

列車はいくつか駅に停車しながら、少しづつお客を降ろしていく。

食堂車が朝ごはんの準備をしていたので、朝ごはんも食堂車で食べることにした。

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これは一体なんだろう

インスタント麺でできた塩焼きそば。ミーサオというやつだろうか。ニョクマムを軽くかけて食べるとうまかった……。おれはいま、旅情を食っている。

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うまいな……

ぼくはこのミーサオを食べきったら旅が終わってしまうような気がしたので、なるべく時間をかけてゆっくり食べた。

 


外国の列車旅行おすすめ

寝台列車や急行列車といった列車が、日本では新幹線に駆逐されてしまい、移動の時間も楽しむという旅行を、手軽にすることができなくなってしまった。

しかし、そんな寝台列車や急行列車が、中国やベトナムはじめ、諸外国にはまだまだ現役で走っている。しかもそんなに高くない価格で乗れる。(今回乗った列車はいずれも、3000円から6000円ほど)

列車の旅は外国に行くのがいいかもしれない。

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