持つ者と持たざる者(ガイドブックを)
思うに、旅行者には二種類ある。旅先でガイドブックを持ち歩く者と、そうでない者。両者はそれぞれ確たるポリシーをもってそうしているのであって、あまり交わらない(ような気がする)。
ガイドブックの基本的な役割は"お守り"だと思う。旅行のエッセンシャルな情報が幅広く網羅されていて、不測の事態に陥ったときに助けてくれる。なくても旅行はできるけど、あると何かと便利。そんな存在だろう。
なかでも「地球の歩き方」シリーズはこれまでに100タイトル以上刊行されていて、名所紹介や地図は当然のこと、宿泊施設やグルメのガイド、現地の文化や言葉、歴史までてんこ盛りの頼もしいやつだ。
しかしこれだけ情報が詰め込まれていることの裏返しになるけど、大部分の情報は自分の旅には無関係で、旅行中に参照するページは多いとは言えない。たとえばこちらのロシア版は広大な国土をすべてカバーし、周辺国もまとめて一冊に。記載されているすべての都市を回ると何ヶ月かかるだろう。
「持たない派」の一人であるおれの言い訳は、このあたりの事情にある。バックパックの容量と自分の貧弱な体力を考えると、どうしても重たいガイドブックは敬遠してしまうのだ。もちろん旅慣れていると胸を張っていえるような経験もないので、旅先で毎回のように窮地におちいっては「いま手元にガイドブックがあれば…」とその価値を痛感するのだけど。
さてそんなおり。ただのお守りあつかいではもったいないとばかりに、地球の歩き方をヘビーユースする友人に話を聞く機会を得た。
コニシさんは学生時代に海外旅行にめざめ旅行歴10数年。会社員となった今も長期連休は必ず旅行に出かけており、控えめに言ってもかなり旅慣れた部類の人だ。
コニシさんとは以前からよく旅行の情報交換をしていて、秘境にも単身で果敢にアタックする姿から、勝手ながら個人旅行のお手本と慕っていた。そんな憧れのセンパイが、旅行に際しては毎回欠かさず、地球の歩き方を持っていくと聞いたときは少なからず驚いた。きょうは「地球の歩き方の使い方」の魅力、いろいろ教えてくださいね。
本棚に人生の渡航歴
コニシさんいわく「そもそも地球の歩き方がないと旅行先は決まらない」のだという。えーと、それはつまりどういうこと。
コニシ:普段からふらっと本屋にいって、よく地球の歩き方のコーナーで立ち読みするんですよ。「あ、この国は改訂版がでてるなー」とか、「前は載っていた観光地が削除されてるな。治安が悪化したのかな」とか。
コニシ:今度の旅行どこいこうかなーって考えるときも、とりあえず本屋にいって地球の歩き方を眺めてる。ぱらぱらめくってみて「世界遺産めっちゃあるやん!」とか「意外と交通網しっかりしてるから旅行しやすそう」とかイメージを膨らませてる。ほぼ毎回、これで行き先が決まります。
拙攻:かっこいい。旅行は本屋から始まるんだ。
コニシ:地球の歩き方は、旅程の大枠をつくるのにも便利だからね。観光地の公共交通機関がしっかり載ってるから、ネットで調べるより大まかなルートを作るには便利な気がする。
拙攻:反対に、これまで地球の歩き方なしで旅行したことはないんですか?
コニシ:初海外のときは団体ツアーだったから買わなかったなあ。たぶん学生の時のペルー旅行で初めて買って、それからは毎回。
拙攻:欠かさず?
コニシ:欠かさず。
そう言って見せてくれたのが下の写真。こちら、本屋さんではなく、コニシさんの自宅の本棚です。
この写真を見た瞬間に心を鷲づかみされるのと同時に、「不覚…」という思いが去来した。だってこれ、ちょっとカッコよすぎませんか。この本棚に彼女の人生の渡航歴が一覧になっているわけですよ。もうこの本棚が自宅にあるだけで、ガイドブックを買い揃える意義がある。
拙攻:ところで。よく見ると、同じ国の背表紙も散見されますけども。
コニシ:うん、毎回買うからね。前に訪ねた国にいくときも、もちろん新しいの買いなおすよ!
拙攻:「インド」「インド」「南インド」の並びが強い。
コニシ:実は左端にある「ラダック ザンスカール」もインドです。
情報収集のツール、つまり「お守りとしてのガイドブック」しか見えていなかったおれには「思い出としてのガイドブック」という視点は完全に新しく、まさに目からうろこが落ちる思いであった。デジタル時代だクラウド時代だといっても、やはり物理的な記録には抗いがたい魅力がある。ずらりと並べられた地球の歩き方の存在感は、それを象徴しているように感ぜられた。あー、いいなあ。ガイドブック買っとけばよかった…。
くびしめごーとーに気をつけろ
すでにガイドブックの魅力にあてられつつあるが、「思い出としてのガイドブック」の本領はいよいよここからだ。この貴重な宝物の中身を見せてもらおう。紙面には道中で書きつけた手書きメモがたくさんあり、これをもとにコニシさんに旅の思い出を語ってもらった。
コニシ:書き込みって言ってもそんなに大したことは書いてないんだけど…これはチチカカ湖の周辺で、ペルーからボリビアに陸路で抜けるルート。ややこしそうだったから事前に調べて書き込んでおいたやつ。
コニシ:こっちは、ペルーのモライという遺跡にいくルート。タクシーで行く人が多いみたいだけど、節約のために事前にネットで調べといた行き方。
公式情報でカバーできていない情報を自分で書き足して、自分専用にカスタマイズしてる感じが最高すぎる。「(バスの運転手に)マラスにいきたいってゆう」なんて、普通のガイドブックには絶対書いてなくて、完全に自分のためのガイドじゃないか。
こんな感じで、細かいところまで事前によく調べてあって、読み応えのある書き込みが展開されている。たぶん本人にとっては、調べていたときの記憶も相まって、思い出深い書き込みのはずだ。
一方。初見の部外者の身としては、周到に準備されたメモ書き以上に、即興で書かれた怪しいメモたちに強く惹かれる。
拙攻:小さい点々がいくつかあるけど、右のほうに「このへん」てあるね。
コニシ:あー、これはなんやろ。たぶん待ち合わせの場所かな。この村で知り合った日本人旅行者と仲良くなって、この本を見ながら、明日「このへん」で待ち合わせしようねーって書き込んだんだと思う。
拙攻:ははは、絶妙に中身のない平和な感じが素敵。
拙攻:この「クプラ」っていうのは?
コニシ:え…なんだろう。全然おぼえてない。
拙攻:こんなに大きく書いてあるのに。
コニシ:文字が震えてるし、バスの中とかでささっと書き付けたのかも。なんか大事だと思ったんやろねそのときは。
拙攻:よく見たら鉛筆でクプレとも。
コニシ:謎は深まる。
拙攻:面白そうだけど残念。書き込みじゃないけど、ペンシオン江田インも気になるなあ。江田さんのホテル?
コニシ:そうそう。日系人の方がやってて、そこ泊まったよ。あ…クプラ。わかったかも。ホテルの人に「タクシーで帰ってくるときはクプラに向かってくれと言えば通じやすい」って言われたのかも。
拙攻:はー!なるほど、同じ通り沿いだしね!
拙攻:この中央のはなんだろう。「魚の」?
コニシ:「魚のスープ」かな。
拙攻:それはつまり。
コニシ:いやー、なんやろ。覚えてないけど食べたかったんやろなあ。
拙攻:「シーフードたべれる」。なんですか海鮮に飢えてたんですか。
コニシ:あー、これは覚えてる。食べた食べた。
アドリブのメモは本人でさえ内容を覚えていないものもあるけど、そのぶん本来なら記録にも記憶にも残らないような些細な出来事が記されている。これをガイドブックの文脈を頼りに思い出す行為はゲーム感覚で楽しく、思わぬ情報が飛び出てきておもしろい。ある種の時限式セルフサプライズだ。
拙攻:「入るな」。なんか切迫感のある書き込みが。
コニシ:温泉があったけど、いまは不衛生だから入らないほうがいいよって言われて。
拙攻:ダイイングメッセージ風で怖いんですけど。
拙攻:「くびしめごーとー」、え?首絞め強盗ってこと?
コニシ:そういうのがいるから、気をつけろって言われた。
拙攻:怖すぎる…
拙攻:そもそもなんて書いてあるんだろう。
コニシ:「チコ(山と村さしてゆってた)」かな。
拙攻:???
コニシ:意味はよくわからんけど、地元の人が一生懸命説明してくれるから、こっちもテンション上がってとりあえずメモったんやろなあ…。
山と村に関するスペイン語の「チコ」、何かご存じの方がいたら情報待っています。
誰にも届かない訂正
旅先での相棒たるガイドブックは情報の信頼性が何よりだが、人の作るものに完璧はない。ほしい情報が抜けていたり、たまにはお茶目な間違いもあるし、最新情報がアップデートされていないことも当然ある。地球の歩き方とて「地球の迷い方」というキュートで皮肉のきいた愛称を授けられているくらいだ。ここではコニシさんがある種の執念をもって正してきた「訂正」をご紹介したい。
拙攻:パラパラめくってると、入場料とかの細かい数字の訂正が多いですね。
コニシ:けっこう情報古かったり間違ってること多いのよ。まあ改訂が数年に一回だからある程度はね。
拙攻:こういうのは事前に調べて訂正しておくの?
コニシ:いや、だいたい現地で気づく。あれ!店がもう閉まってる!とか。見積もってたより高いやん!って。だからこれ、現地で訂正しても何の役にも立たないのよね。でもなんとなく書き加えてしまう。
些細な金額差も見逃さない。丁寧さとある種の執念で、きっちり訂正を入れる
拙攻:ここでも豪快な訂正が。入場料77ソルが122ソルに(当時1ソルは30数円程度)。
コニシ:長期旅行だからお金節約したいし、マチュピチュはただでさえ入場料高いのに。さらに高いんかい!と怒りがにじんでる(笑)。
拙攻:「かんこー案内所でかう」というのは?
コニシ:これは超重要情報だった!普通はマチュピチュの入口でチケット買えばいいんだけど、一番きれいな早朝のマチュピチュを見学しようと思ったら、観光案内所で先に買っておかないといけないらしい。このへんのページは、地球の歩き方の記述が粗くてかなりイライラしてた記憶がある。
拙攻:せっかく早起きしたのにマチュピチュの手前で足止め食らってたら悲惨だ…。
拙攻:このページも訂正が荒ぶっていますね。営業時間と電話番号、地図の場所も。
コニシ:たぶんこのとき、めっちゃ怒ってるよなあ…取り消し線が3行にもわたって。
拙攻:あ、これは下線を引いてるんじゃないんだ。
コニシ:そもそも観光案内所の場所が間違ってて、激怒したみたい。
コニシさんがいう通り、これらの訂正や取り消しは、誰に届くこともないし、自分のためになることもない(次いくときは最新版を買い直すから)。それでもついつい訂正を入れてしまうのは、旅を共にした地球の歩き方への愛ゆえなのだろうか。
ふと思い出してコニシさんに聞いてみた。地球の歩き方には「ごめんけど間違いがあったら教えてね」という投書の仕組みがあるようじゃないか。
これを通じて編集部に正式にフィードバックして、その執念を生かせばいいのではないか?
安宿はどこだ
まだまだ紹介したい書き込みは尽きないが、実はここまでの聞き取りですでに2時間半ほどお話を聞いている。そこで最後に旅の成功を決める要素の一つである「宿」の書き込みで締めたい。あちこち移動をしながら宿を決めるのが南米旅行の基本スタイルらしく、情報収取に余念がない様子を一挙ご紹介だ。
コニシ:地球の歩き方に載ってる宿はやっぱり一定以上のクオリティーで安心な気がする。
拙攻:宿はしくじると痛いしね。
だれかの雑な旅行記録を辿るのはおもしろい
そもそも人の旅行記録を見せてもらうのはたのしいのだけど、今回コニシさんに見せてもらったガイドブックのたのしさは一味違ったような気がする。おれもブログや記事として旅行の記録を残すことはあるけど、きれいにかっこよく、面白おかしく記録しようと思うと、どうしても生々しさが失われてしまう。旅行中に発生するネガティブな感情も含めた、雑多な生々しさがガイドブックにちりばめられていたのが新鮮だった。
ところで余談ながら、コニシさんのように旅慣れていながらしっかりガイドブックを使いこなす人はさぞ珍しいだろうと思って、twitterで簡単なアンケートをとってみた。
慣れてても慣れてなくても、みんな意外とガイドブック持っていくんだね!?ということは、これはまた誰かの雑な旅行記録を拝見する機会があるやもしれませんね。