筑後川でなくてもきっと楽しい
というわけで大きな川の下流半分を1日かけて見てまわってみた。よく知らない地域だから新しい発見ばかりで疲れたけど楽しかった。
たぶん筑後川に限らずどこでやっても楽しいと思うので、いつかまた知らない川をのんびり散歩してみたいと思う。
忙しいときに限って、グーグルマップなんかで知らない場所の地図を眺めたりしてしまう。先日も、九州最大の河川である筑後川を上流から河口までたどっていたら、なんだか気になる施設をいくつか見つけたので、実際に見に行ってみた。
筑後川は、熊本県の阿蘇山麓から大分県、そして福岡県へと九州北部を西に横断し、最後は佐賀県に入って有明海に流れ出る。昔から暴れ川として有名で、関東地方を縦断する利根川、四国を横断する吉野川と並んで、日本三大暴れ川に数えられている。
日本三大暴れ川、声に出したい日本語である。もし馬に生まれ変わったら暴れ馬になりたいし、川に生まれ変わるなら思う存分に暴れ、暴れ川と呼ばれ恐れられたい。などと思ってしまうのは、思春期にちょっと不良に憧れるみたいな感情だろうか、と思ったけどもういい歳なので単に日頃のストレスかも知れない。
そんな、全国に名を轟かす暴れ川を抑え、その水を使うため、筑後川にはいろいろな施設が造られている。上流には洪水と戦うダムもいくつかあるけれど、今回は中流から河口にかけてのエリアを見てまわった。
スタート地点に選んだのは大分県と福岡県の県境にある夜明ダム。ちょうど筑後川が山あいから平地に流れ出てくる場所にある。
山間部(右)と平野(左)の境にある
九州電力が管理している夜明ダムは、川幅いっぱいにゲートが並んだ、ダム好きから見ればいかにも発電用といったたたずまい。高さは15mで、日本の河川法で定められているダムの定義の下限ピッタリなので、ダムとしては大きくないけれど、直下にいた釣り人と比べるとダムという構造物の巨大さが分かるのではないかと思う。
夜明ダムにも暴れ川に因むエピソードがあって、建設中の1953年に大雨ですさまじい濁流に襲われ、ずらりと並んだ水門外側の左右両岸が決壊してしまったという。
また、記憶に新しいところでは去年(2017年)の九州北部豪雨のときにも、増水の影響でなんと管理事務所が流されてしまった。暴れるにもほどがあるだろう。
酷い仕打ちを何度も受けて少し悲運だけど、筑後川の豊富な水量を今日もせっせと発電所に送っている健気なダムだ。
夜明ダムを出発して下流に向かうと、遠くの山肌のあちこちに、木がなくなって茶色い地面がむき出しになっているところが見えた。おそらく去年の九州北部豪雨のときに土砂崩れが起こった場所なのだろう。
このあたりの福岡県朝倉市は特に被害が大きかったところで、筑後川に流れ込む支流を少し遡ると、洪水で水や土砂に押し流され、元の地形や街並みがどんなだったか分からないくらいに何もなくなっている場所がいくつもあって、豪雨と被害の規模の大きさに目眩がした。
筑後川に沿って走る国道386号沿いも、洪水の被害を受けて廃屋になった家や店舗、更地になっている土地が目についた。
夜明ダムから5kmほど下流に、ダムというほど大きくはないけれど、川を横切る段差が造られている。これは1674年に築造された大石堰だ。徳川将軍で言うと3代家光、5代綱吉に挟まれてちょっと地味な4代家綱の時代である。
現地の看板やネットで調べた情報によると、もともとこの場所からは、下流の土地に水を送るための用水路が地元の人々によって1664年に開削された。10年後、その水路を拡張した際に、確実に大量の水を引けるように大石堰が造られたらしい。ただ現在見られるのは、昭和になってから改修された姿のようだ。
腰が抜けるような巨大なダムも良いけれど、川の流れに溶け込むこういったゆるやかな堰も良い。人生にもっと時間とお金があったなら、こういう河川構造物をじっくり見てまわって過ごしたい。
しかし今日は日没までに河口まで行かなければならないのだ。先を急ごう。
ところで、大石堰のところから下流の方を見るとこんな景色が広がっている。
過去に何度か記事を書いている(「あの水のない川は何だ」、「巨大トンネル水路の正体とは?」)ように、もう性癖と言ってもいいほど「水の流れていない水路」に興奮する。今回わざわざ九州に来て筑後川をくだっているのも、まずこの空の水路を見つけてしまったからにほかならない。
これを見つけたのがキッカケで東京からやってきました
水のない川沿いの土手を歩いていると、川底まで降りられる道があったので行ってみた。
ここに来られて満足だし実際すごく良い気分に包まれているけれど、その理由を説明する言葉が見つからない。DNAに刻まれているのでは、というくらい本能的なものかも知れない。誰もいない川底をしばらく味わったのち、先の方に架かる橋の上に行ってみた。
まあだいたいお分かりだろうと思うけれど、この水のない水路、筑後川が増水したときに水を流す分水路である。おそらく本流の方のカーブがきつかったり、一部分狭くなっていたりして、予想される最悪の大雨が降ると、その急カーブや狭くなっている部分が想定上の最大流量を流しきれないのだ、と思う。そうなると氾濫したり堤防が決壊する恐れがあるから、その部分をバイパスするように水路を掘って、増水しても安全に流せるようにしてあるのだ。大量の水をなるべく早く海まで流す意味もあるのかも知れない。
ここは大石分水路と言って、建設中の夜明ダムが被害を受けた1953年の大雨を契機に建設された。ちなみに上流の方にあるいくつかの治水用のダムもこの大雨を契機に造られている。
つまり件の大雨はこの川にとって、中学に入って初めてビートルズを聞いてギターを始めちゃったような、その後の人格形成にもっとも大きな影響を与えた存在のようだ。川の人格形成って何だ。
そのすぐ下流にも分水路が2ヶ所ある。当然見に行った。
大石分水路のすぐ下流にある原鶴分水路
原鶴分水路のすぐ下流にある千年分水路は大正時代に造られたらしい
15枚も分水路の写真を続けて当時の興奮度を表現してみた。写真の撮影時刻を見てみたら、大石分水路の最初の写真から千年分水路の最後の写真までの間に3時間近く経っていた。夢中になりすぎ。おかげでこの後の行程がかなりキツくなってしまったのだ。
しかし自分で言うのもなんだけど、東京から飛行機に乗って九州に来てレンタカー借りて堰と分水路と樋管見て大喜びしてる、ってかなり高尚な趣味だと思う。そんなに余裕のある生活ではないのにこんなことしてて大丈夫なのか。
千年分水路が分かれている間の筑後川本流の方にも古い堰がある。これは江戸中期の1790年に造られた山田堰で、大石堰と同じようにもともと開削されていた用水路を拡張するときに造られたらしい。しかし大石堰とは違い、こちらは近くに駐車場があって、展望所や案内の看板も充実していた。こういう差はどこから来るのだろう。
しかし堰が大きすぎて、ベンチや案内板などがある展望所から眺めても良く分からなかった。少し歩くと神社のような場所があり、そこから全景を掴むことができた。
なだらかな傾斜になるように石を敷き詰めた堰は、筑後川のカーブに合わせて斜めに設置されていて、無理なく用水路側に水を導くような形をしている。これはまた優雅で良いなあ。
上から見下ろすのもいいけれど、もう少し堰に近づける場所ないかと思って下流の方にまわってみた。
ここからこの用水路に沿って少し進んでみる。ここまで発電用ダムとか堰とか分水路とか樋門とか見て半日過ぎたけれど、この先にもっと有名なものがあるのだ。
用水路を引いただけでは田んぼに水が入らない。そこでここでは水路から水車で水をくみ上げて田んぼに流し入れているのだ。
ここに水車が作られたのは山田堰よりも古い1789年とのこと。もちろん水車自体は何度も作り替えられてるだろうし、用水路も改修されていて当時とまったく同じではないと思うけど、200年以上前に造られたシステムがいまも使われている、というのは素直に感動する。
ちなみに見に行ったのは10月中旬で既に稲刈りも終わっており、田んぼに水が必要ないので用水路の水は少なく、水車も回っていなかった。たぶん5月とか6月に行くといいんじゃないかな。
水車がどうやって水を汲み上げるか、正直言って知らなかったので現地でひとり「そうかこうなってるのかー!」などと声を上げて感心していた。確かにこれは派手だし、水車が回転している時期にまた観に来たい。
でも夜明ダムだって大石堰だって分水路だって、あの名もなき(たぶんあるけど)樋管だって歴史は違えど役割があって建設されてここまで運用されてきているのだ。同じように案内板設置したり観光ルートに入れてもいいんじゃないか(無理を承知で申しております)。
でも、あの小さな樋管ひとつに謂れとかスペックとか書かれた小さな案内板がついているような社会、なんだか良いと思いませんか?
ここまで2ページも書いてから気づいたのだけど、スタート地点の夜明ダムから三連水車まで、直線距離にして10km少ししか離れていなかった。どんだけ時間使ってるんだ。
しかしせっかくここまで来たので、いったん筑後川から離れ、どうしても行きたかったところに寄り道してしまう。
寺内ダムは洪水被害を抑えたり、福岡市や久留米市に水道水を供給するダムで、雄大なロックフィルの堤体が近くを通る高速道路からも見える、この地域のランドマーク的ダムだ。
そして何より、去年(2017年)九州北部豪雨でこの地域一帯に大きな被害が出ている中、寺内ダムがギリギリまで水を貯めたり流木をせき止めた結果、ダムの下流だけは目立った被害がほとんど出なかった、という活躍で一躍全国(のダム関係者とダム好き)にその名を轟かせたのだ。
その結果、毎年年末にダム好きたちによって開催されている「日本ダムアワード」で2018年にもっとも印象に残ったダムに選ばれ「ダム大賞」を受賞した。
管理事務所を覗いたところ、ダムアワードで贈られたダム大賞のトロフィーが玄関に飾られていた。
九州ではかなり大きいロックフィルダムだし、近くを通りがかったらぜひ立ち寄ってほしい。玄関のダムアワードトロフィーもぜひ見てください。
寺内ダムを後にし、筑後川沿いに戻ってさらに下流へ。地図を見ていて見つけた川の立体交差に行ってみる。
こういうの見つけるといてもたってもいられなくなる
筑後川の堤防のすぐ外(本当は内だけど説明すると長いので省略)で、筑後川に流れ込む川と筑後川から分かれた水路が立体交差してるように見えるのだ。これは気になるよね?
というわけで立体交差地点にやってきた。上の写真で、水門のところが堤防で、その奥に筑後川が流れている。立体交差している水路は写真左からこの川の下をサイフォンでくぐって右に流れ出ているようだ。そこで水路の上流側に行ってみた。
こんな場所、全国に無数にあると思うけれど、でもこんな静かだけどダイナミズムのある施設が、水路を設計したときに「川と交差する。ここはサイフォンだな」みたいな感じでサクッと造られて人知れずふつうに使われていることに、言葉にならない感動がある。これこそ土木構造物の魅力だと思うのだ。
しかし勝手に感動しながら現地で眺めていても、水は音も出さずに流れ、聞こえてくるのは鳥の鳴き声のみ。それ以上何も起こらず日暮れだけが迫ってきたので先を急ぐ。
続いてやってきたのは筑後川の下流、久留米市街地のはずれに設置された筑後大堰である。
筑後大堰は、筑後川下流の広い範囲に上水道や農業用水を供給するための現代的な可動堰だ。筑後川の水利用の最後の砦である。
たとえば大石堰や山田堰のように固定された堰だと、水量の変化で取水できる量が変わったり、増水したときにスムーズな流れの妨げとなることがあるけれど、可動堰は水門を上げ下げして水位の調節をしたり、増水したときは全開にして水をスルーさせることができるのだ。
本当は水辺まで降りて詳しく見たかったのだけど、既に辺りは真っ暗で断念。ちなみに大きさ的にダムではないけれどダムカードも配布されているらしい。ここもまた来なければ。
ここまで川の水を利用したりコントロールする土木構造物ばかり見てきたけれど、川にまつわる土木構造物といえばまず何と言っても橋だろう。というわけで橋に詳しくない僕でも魅力の分かる橋、ということで筑後川昇開橋にやってきた。
筑後川昇開橋は1987年に廃止された国鉄佐賀線の橋で、大型船が通れるように列車が通らないときは中央部分が23m上昇する仕組みになっている。完成したのは1935年で、廃止後に撤去される可能性もあったらしいけれど地元のシンボルとして保存され、現在は重要文化財に指定され、遊歩道になっている。
どうやら毎日ライトアップされているようで、存在感のある真っ赤な橋が遠くに見えてきたときは思わず声が出た。夜間は橋が上がっていて通り抜けられなかったけれど、遊歩道なので1日に何度か稼働しているらしい。
さて、今日最後に紹介したいものが筑後川昇開橋の上から見ることができる。それは明治時代に砂防や治水の土木技師としてオランダから招聘されたヨハネス・デ・レーケが提案したという導流堤である。
筑後川河口は川幅が広く干満の差も大きいため、上流から水と一緒に流れてきた土砂が堆積しやすく、船の通行に支障をきたすことが多かったという。そこで、川の真ん中に堤防を作ることで川幅が半分になったのと同じ効果で流速が上がり、土砂が押し流されて船の通行に影響が出なくなったのだ。さすがデ・レーケ!
こういった河川構造物を見て歩くことが多いので、これまでにも当サイトでデ・レーケの物件が出てくることがあったけれど(「街中を流れる天井川、しかも廃河川をたどる」)、デ・レーケここでも仕事してたかー、やっぱりいつか大河ドラマで取り上げるべきだな、と思った。
で、そのデ・レーケ導流堤とやらはどれだ、ここまで読んだんだから早く見せろ、とお思いの方も多いだろう。では見ていただこう、これがデ・レーケ導流堤だ!
すみません、もう一面真っ暗で肉眼ではほぼ何も見えなかった。そこで手持ちで可能な範囲で長時間露光した結果、なんとかぼんやりその姿を捉えることに成功した。
筑後川昇開橋とデ・レーケ導流堤
というわけで大きな川の下流半分を1日かけて見てまわってみた。よく知らない地域だから新しい発見ばかりで疲れたけど楽しかった。
たぶん筑後川に限らずどこでやっても楽しいと思うので、いつかまた知らない川をのんびり散歩してみたいと思う。
▽デイリーポータルZトップへ | ||
▲デイリーポータルZトップへ | バックナンバーいちらんへ |