「小さな秋を探そう」の呼びかけに集まる人々
「それぞれの小さい秋を持ち寄って比べたらおもしろいのでは!?」と思いついたのは9月末の金曜の夜のことだった。サトウハチローの「小さい秋みつけた」の歌詞があまりに詩情たっぷりなのに触発されてのことだ。
その目論見は、あくまで小さくて些細でニッチな秋を見つけて愛でること。秋たけなわになってしまってはむしろやりにくいに違いない。そこでさっそく、翌々日の日曜に「小さい秋見つけた」選手権を催すことにした。急な誘いにも関わらず自分を入れて4人が集まることになった。持つべきものはフットワークの軽い友達である。
一応「選手権」と銘打ったので、まずルールを説明することに。とはいえこれがなかなか難しかった。もともと「秋を感じさせる何かの小ささ・微かさを比較したらおもしろいのでは」という思いつきから始まった企画だが、言うまでもなく秋を感じさせる何かのサイズを測るための基準など存在しない。
苦心した末に、物理部門と解釈部門の二つに分けることにした。それぞれのレギュレーションは、ざっくりと以下のような感じである。
物理部門
秋を感じさせる物を持ってきて、その物理的なサイズを競う。
解釈部門
自分にとっての秋を連想させるものを持ってきて、なぜ自分がそれを秋だと感じるのかをプレゼンし、その奥ゆかしさを投票で競う。持ってこられないものの場合は写真でも可。
例えば拙攻さんがメッセージで語ってくれた隣家の婆の笑い声などは解釈部門に属するべきものであろう。隣家の婆の笑い声は、それ単体ではまったく秋らしくないけれど、コンテクストと合わさることで「小さな秋」となるのである。着眼点、ストーリー、屁理屈が「うまい!」と感じさせた人が勝者となる。なんだか歌合せのようである。
小さな秋を求めて、散策開始
一時パラついて主催者の肝を冷やした雨も上がり、一同は思い思いの小さな秋を探すべく鴨川デルタ近辺に散っていった。
とりあえずキープ。でもそれほど小さくないし捻りも効いてないかな。
こうして意識して探してみると、世界は秋の兆しに溢れていることに気付かされる。気温こそなかなか下がってくれないものの、我々に秋の訪れを感じさせるものは日一日と確実に増えているのだ。
そして、植物や虫のような自然物だけでなくて、人の生活にも秋はじわじわとにじり寄ってきていた。
ただ、売れ残った花火や夏を意識したデザインなんかは、人によっては秋というよりも夏の終わりだと感じられるだろう。このあたりの線引きは非常に曖昧である。どういう説明をつけるかが悩ましいのだ。