発表(物理部門)
近くの家で管楽器の練習をしているらしく、バックミュージックに宇宙戦艦ヤマトのテーマソングが響いていた。エアコンを切って窓を開けるから、家の中の音が街に流れ出てくるようになったのだ。拙攻さんが送ってきた「隣家の婆の笑う声」と同じ理屈である。
楽器の練習といえば、この日は河岸で楽器の練習をする人も多かった。気温が下がって、しかも今日は曇りだから、屋外でもそれなりに活動できるのである。季節が変わると町の音も変わる。こういう五感を駆使した新しい着眼点が知りたくて、この遊びを実行したのである。
それはそうと、散策の成果を発表だ。
では順に発表していく。
実だった。これは小さい。鳥が必死でついばんでいたところも秋っぽいと思ったとのこと。絵面として地味だが、小ささを競う勝負なのだから仕方がない。
次は蜂本さんの発表だ。「お願いします」とこちらが言うと、彼女はジーパンの一点を指さしてこう言った。
文句なしに秋らしい、そして一段と小さい一品だ。
では次、野咲さん。
小さい。小さすぎてピンとがうまく合わなかった。なのだが、はたして「それは、ありなのか?」一応説明しておくと、小さくするために花本体からもいできた訳ではなく、花ごと取ると怒られそうだから雄蕊だけ持ってきたという経緯だという。
「前二人がもってきた実や種も植物の一部だからなあ、うーん、これもありか」 難しい判断が下された。しかしトリの発表がそんな瑣末な議論を吹き飛ばした。
毎年この時期になると花粉症に悩まされるんである。私にとって、イネ科の花粉は過剰なほど克明に(悪い意味で)秋の到来を知らせてくれる存在だった。というわけで、大嫌いな花粉のおかげで物理部門の勝者となったのだった。
納得できない空気が漂っていたけれど、実のところ全員が同じようなもの(植物の体の一部)を持ち寄っていた。
あまり、遊びとして発展性がないような気がした。レギュレーションの中で最善を尽くそうとすると似たようなところに落ち着いてしまうというか、そもそも物理的な小ささを競うことに無理があったのかもしれない。ここは解釈部門に期待をかけよう。
発表(解釈部門)
解釈部門では、見つけた物それ自体を持ち帰っている人はおらず、みんなが写真に撮ってきていた。
説明、入ります。
「外がどうしようもないくらい暑かった時期は、当然エアコンの冷気が逃げないようにドアを閉めて営業してたはずなんですけど、さっき前を通った時は客の出入りの利便性のためかこの状態で営業していました。まだまだ暑いけれど、ほんの少しの気温の変化が人間の行動を変えているのがおもしろくて、しかもそれがドアの開閉というとても些細なことに現れていると感じたので」
「『虎に翼』という連ドラを見ています。最近ちょうど最終回が放送されたんですが、冤罪の話が出てくるんです。裁判所の前を通った時にちょうどそれを思い出して。今の時分って、テレビの番組が秋編成に変わる頃なんですよね。かなり回りくどい連想ですけど、そこも小ささかなと」
「鴨川デルタには日差しを遮るものがなく、とてもではないですが真夏の炎天下のもとで長時間過ごせる場所ではありません。そういうときには、川に入って遊ぶか、(写真の左手に写っている)木陰に入って休むのです。なのに、今日は川で遊ぶ子供はほとんどおらず、代わりに鴨川デルタにはそこそこ人がいて、しかも腰を下ろしたりしています。これも、気候の変化が人の行動の変化に反映されて起こった現象です」
「紅葉があるかもっていう期待だけがあって、木に混じってる赤いものを紅葉と錯覚して、でも実際はまだ紅葉はなくて。そのギャップが秋のハシリっていう感じでした」
さてみなさん、どれが一番素敵な「小さな秋」でしょう?
「小さい秋」募集します
全員の答えが植物のパーツに収斂してしまった物理部門と違って、解釈部門は本当に多様で、「小さな秋」を起点にした人の思考のバリエーションを楽しませてもらえた。
そういうのをもっといろいろ見てみたい。「これ!」という小さな秋をお持ちの方は#「小さい秋見つけた選手権」をつけてXなどに投稿してください。一風変わった解釈の小さな秋をお待ちしております。