持ち帰ったクジラの肉は、まずはステーキと竜田揚げにした。ムチムチとした食感と、独特な香りがあって、とても美味しい。ひとまずは安心。
8月23日に和田を訪問したのだが、今シーズンの和田の捕鯨はこの日が最後だったというから、運が良かった。職人たちはこれから、北海道の釧路に向かうという。この記事が公開される頃には、北の海でクジラを追っていることだろう。
房総半島の海沿いを、突端から反時計回りに20kmほど進んだところに和田という町がある。
普通に生きていたら一生訪れないようなこの小さな港町には、大きな特色がある。和田港は日本に5ヶ所しかない捕鯨基地がある港で、解体したクジラの肉をその場で買うことができるのである。
印象に残っているクジラ食い体験が二つある。
一つは、皮下脂肪つきのクジラの皮を鯨油で揚げた『コロ』と呼ばれるもので、和歌山を旅行した時に道の駅で買った。
持ち帰ったそれを自室で茹で始めたら、たちまち部屋中に古くなった揚げ油を濃縮させたような臭いが立ち込めた。臭いは、下茹での湯を捨てても、調味料で濃い目に味をつけても消えず、第一印象をほぼ維持した状態で食卓に到達した。
結局二切れほど食べてギブアップした。茹でられて1.5倍ほどに膨張した『コロ』の山が恨めしそうにこちらを見ているようで胸が痛んだ。
もう一つは、一昨年の夏に北海道を旅行したときだ。
物は、網走でたまたま立ち寄ったスーパーで売られていたミンククジラの赤身である。なんでも網走港で30年ぶりに水揚げされたミンククジラだそうで、あまりのタイミングの良さに「こいつは俺がここに来るのに合わせて捕まったに違いない!」と、テンション爆上がり。前述の苦い経験から学習せず、買ってしまった。
軽く焼いて食べたら、今度は美味しかったので驚いた。
クジラ肉にはひどい目に合わされたり、いい思いをさせてもらったりしたわけだが、そうなると逆に情がわいてくるというもの。
そんなわけで、この夏はクジラを求めて遠路はるばる千葉の和田まで行ってみることにした。
クジラの水揚げに関する情報は、捕獲と解体を引き受ける外房捕鯨という会社のホームページに掲載される。
http://gaibouhogei.blog107.fc2.com/
捕鯨船からクジラ捕獲の一報が入ると、その日の夜にホームページ上でその旨が報告される。そして、水揚げされたクジラは翌日の朝には解体されてしまう。超特急である。
この日のクジラの解体は、朝の10時開始だと告知された。すぐさま関西発→横浜着の夜行バスを予約。横浜からは、東京湾をぐるりと一周するよりもショートカットになりそうなので、フェリーで房総半島へ渡ることに。
朝一番で横浜に到着した。
まずは京浜急行本線で久里浜を目指す。
中学生の頃に、さくらももこのエッセイに影響を受けて山口百恵の歌を聞いていたことがある。
「流行に流されずに親世代の歌を聞く俺、超クール!」
という下心とは別に、間違いなくそれらは美しい歌だったのだが、「シオイリ、オッパマ、カナザワハッケイ、カナザワブンコ」のようなフレーズは、当時の私には意味不明だった。
京浜急行本線に乗っていて、車内放送でそれとまったく同じ言葉が流れているのに気がついて心拍数が上がった。
「あれは駅の名前を順番に羅列していたのだな」
心の奥底に沈殿していた疑問がするすると昇華した瞬間である。
東京湾を突っ切って対岸に渡るのに、40分しかかからないというから驚きだ。しかも、運賃はたったの720円だというのだから、これはちょっとしたアトラクションである。
浮かれた気分で乗船券を買ったが、1時間に1本出航する船はちょうど出てしまったところだった。
仕方がないので、近くを散策することに。
ちょっと景色を見るぐらいのつもりだったのに、立て続けに退廃的なものに目を向けてしまった。これ以上薄暗いものを見つける前にフェリー乗り場に移ることにしよう。
乗船時間が短くて移動した気がしなかったのだが、土産物屋に鎮座した金の巨大落花生を見て、千葉にきたんだという実感が湧いてきた。
漁港の中は、本当に静かだ。よくよく見ると、そこかしこに働いている人がいるのだが、基本的に黙々と作業をしておられるので近くにいくまで気がつかない。
駅の近くで
「クジラの解体をする場所に行きたいのですが、漁港のどのあたりですかね?」
と聞くと、
「行ってみればわかる」
という答えが返ってきた。
そんなものかな?と煙に巻かれた気分だったのだが、漁港を歩いてみて納得した。
閑散とした漁港に、一箇所だけ人が大勢集まっているところがあったのだ。
解体されるクジラの周囲は、大勢のギャラリーで賑わっていた。テレビカメラや大きな一眼レフを持った、記者と思しき人たちもいる。
少し前には、イギリスのBBCも取材にきたという。大人気だぞ、和田の捕鯨。
普通、哺乳類の解体は①内臓を取り出し、②皮を剥いで、③骨から肉を外す、という順番で行われるのだが、私が到着した11時頃の時点ですでに③の工程の途中にさしかかっていた。さすがプロの仕事、あんな大きな動物の解体を1時間でここまで進めてしまうなんて本当にすごい。
職人が持っている刃物はどれも大きくて、当たり前だがよく切れる。
電柱ほどの太さの肉がすぱすぱと切り分けられていく。
「こいつでスイカを切ったらさぞかし楽しいだろうなあ」などと思ったが、おそらくかなり重たい上に、実際に手に持ったらうっかり周囲や自分の体にぶつけやしないかと気が気ではないだろう。
解体が一通り終わると、職人たちがしばし休憩に入る。
仕事はまだまだ残っているのだろうけれど、とりあえず作業の峠を超えたということで、それまでの緊張感がなくなって職人もギャラリーも談笑し始めた。
私も、館山の自宅から毎年クジラを買いに来るという女性に話しかけられた。
「クジラを解体すると、あたりに独特の『クジラ臭』が立ち込める。でも今日のクジラは臭いが弱かった。だからこいつはきっと若い個体で、肉は柔らかくクセがないに違いないよ」
つまり『クジラ臭』とはクジラの加齢臭のことなのだろうか?
臭いだけで肉質を言い当ててしまうなんてすごい。この人にクジラソムリエの称号を送りたい。
業者の買い付けが終わると、ようやくわれわれ一般消費者の番が回ってくる。
おのおの持参した保冷容器を持って並び、必要な分量を切り分けてもらうのだ。
気になるお値段は、『正肉』と呼ばれる大きなブロックが1kgで2400円、『ハギ』という正肉よりは細かい塊(細かいといっても、ティッシュ箱くらいのサイズがある!)が1kgで1700円だ。部位の指定はできない。正肉もハギもお肉としては同じもので、ただ切り分け方が違うというだけだ。
それでも、列に並ぶ人の多くが正肉を注文していた。郷土料理に対するこだわりである。
「何キロ買いますか?」
「6キロください」
「何キロですか?」
「9キロ。3キロの塊3つで」
こんなやりとりを聞いていると、キロ単位で買うのが常識であるような錯覚に陥ってしまう。疲労と興奮で頭が混乱していたこともあり、つい
「1.5キロください」
などと言ってしまった。
今年の夏はもう残り少ないが、クジラばかり食べることになりそうだ。
持ち帰ったクジラの肉は、まずはステーキと竜田揚げにした。ムチムチとした食感と、独特な香りがあって、とても美味しい。ひとまずは安心。
8月23日に和田を訪問したのだが、今シーズンの和田の捕鯨はこの日が最後だったというから、運が良かった。職人たちはこれから、北海道の釧路に向かうという。この記事が公開される頃には、北の海でクジラを追っていることだろう。
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