ただ仕事をしているだけなのにこんなに楽しいとは思わなかった。働く場を自分で自由に選ぶという、不思議な喜び。どこから見える景色も素晴らしかった。チェアリングと仕事を組み合わせたような楽しみ、名付けるならこれは……ワーキングか。
今回私は原稿を書く作業をしてみたのだが、山頂からオンライン会議に参加してみるのもいいなと思った。「これ、実はバーチャル背景じゃないんですよ!」とみんなに自慢して嫌がられたい!
work702
https://mayasan.jp/work702/
神戸に摩耶山という山がある。六甲山地の独立峰で、標高は702メートル。市街地からケーブルカーとロープウェイを乗り継いで楽に山頂付近まで行くことができる。
山頂周辺からは神戸の市街地とその向こうの海を見晴らすことができて、この眺望が素晴らしいのだ。夜景の美しいスポットとしても有名だ。
さて、その摩耶山の山頂周辺では、好きな場所を選んで仕事ができるんだという。山で、仕事が、できる?実際どんなものなのか行ってみることにした。
「山の上で仕事ができる」とはどういうことなのか。まずそこを説明しておきたい。
摩耶山の山頂付近に「摩耶ビューテラス702」という施設がある。ロープウェーの乗降口と直結しているその施設の中には、カフェ兼レストランである「Cafe702」と、アウトドアグッズを販売・レンタルするショップ「monte702」が入っていて、要するに山の上にあったら便利だなというものがだいたい揃うような場になっている。
そしてその「monte702」で提供されているサービスの一つに「work702」というものがある。ちなみにさっきから何度も出てくる「702」は摩耶山山頂の標高である。で、その「work702」なのだが、これは摩耶山の山頂付近で仕事をしようという人向けに最適化されたサービスで、軽量で持ち運びやすいアウトドアチェア、長時間もつモバイルバッテリー、山頂付近を幅広くカバーするWi-Fiの利用権がセットになったものなのだ。
つまり、仕事用のノートパソコンさえ持ってくれば、あとはその「work702」を利用して山の上の好きな場所でネット環境を活かした仕事ができるというわけだ。
私は普段だいたい自宅で仕事をしているのだが、パソコンがあってネットさえ使えれば場所はどこだっていい。家にいるとついついサボってしまいがちなので、外に出た方が集中できてありがたいぐらいだ。コロナ禍になってリモートワークが一気に普及したから、快適なネット環境とパソコンがあればどこでも仕事ができるという方は結構多いかもしれない。
自宅以外で仕事をするという場合でも、Wi-Fiが入るカフェやコワーキングスペースと呼ばれるような場所で作業をするのが一般的だと思う。山の上に働きに行くというのはあまり聞いたことがない。もちろん私にとっても未知の体験である。また、決められた席で作業するのではなく、アウトドアチェアを持ち運んで好きな場所を仕事場に定めるいうのも斬新だ。家で仕事をするのとどんな違いがあるのか、確かめてみたいと思う。
摩耶山の山頂へ行く方法は色々あって、それこそ自分の足で登っていくこともできるのだが、「まやビューライン」を利用するのが便利だ。
「まやビューライン」はケーブルカーとロープウェーから成るルートで、神戸市灘区箕岡通にある摩耶ケーブル駅からケーブルカーに乗り、その先でロープウェーに乗り継いで山頂付近まで行くという行程だ。
摩耶ケーブル駅は灘区の市街地から遠くない場所にあるのだが、坂の上の方にあるのでまずはそこまで登っていく必要がある。そんな時に便利なのが「坂バス」というバス。これに乗れば、JR灘駅や阪神岩屋駅といった町中の駅からケーブルカーの乗り場までスムーズに移動できる。
つまり、坂バスで摩耶ケーブル駅まで行き、そこからケーブルカーとロープウェーを乗り継げば、坂道や山道を自分の力で登ることなく摩耶山の山頂まで行けてしまうのである。体力のない自分でも安心だ。これから仕事をするというのに体力ゲージが減りまくってしまっては困るしな。
というわけで、まずは摩耶山頂までのルートを説明しよう。取材当日、私は阪神岩屋駅に降り立った。
そしてまず、駅近くの「栄食堂」で腹ごしらえをした。
ちなみにこの「栄食堂」、以前デイリーポータルZで神戸―大阪間の30kmほどを歩いた際に通りかかった店でもある。美味しそうな玉子かけご飯の看板が目立つお店なのだが、その玉子かけご飯を朝ごはんにした。
そして、JR灘駅前から「坂バス」に乗る。
JR灘駅前から15分ほど走ると摩耶ケーブル下という停留所に到着。降りると目の前にケーブルカーの乗り場がある。
乗り場でケーブルカーとロープウェーの往復料金1560円を支払えば、これでもう山頂への行き帰りの交通手段が確保できたというわけだ。
ケーブルカーは5分ほどで山の中腹にある「虹の駅」に到着する。
そこから今度はロープウェーに乗り換える。ケーブルカーもロープウェーも乗車時間はおよそ5分。あっという間に着いてしまう。
このロープウェーからの眺めがすごい。廃墟マニアに有名で、国の登録有形文化財に指定されることが決まった「旧摩耶観光ホテル」の建物越しに神戸の町並みが広がる。
ロープウェーで頂上の「星の駅」までやってくれば、あとは働くだけだ。「work702」を利用するためには事前予約が必要なので、「monte702」の受付で名前を伝え、簡単な手続きをしてレンタル品を受け取る。
モバイルバッテリーとアウトドアチェアを借りる。
モバイルバッテリーとアウトドアチェアを借り、Wi-Fi利用について説明を受けたら準備完了。あとは好きな場所に座って働くだけだ!
それにしても眺めがすごい。摩耶山山頂の展望台には「掬星台」という名が付けられている。星が手で掬えそうなぐらいの眺めだという意味の名で、なるほどここからの夜景もさぞかし綺麗だろうなと思う。
早速椅子を組み立てて自分のパソコンを広げ、仕事を始めようと思ったのだが、さすがに展望台付近には人も多く、長時間いると邪魔になってしまいそうだ。
もう少し人のいない静かな場所を探してみよう。そうやってウロウロしてみるのも楽しい。アウトドアチェアを持ち歩いてぼーっとする行為をライターのパリッコさんと「チェアリング」と名付けてやっているのだが、そのチェアリングの楽しみと仕事が合体したような感じである。
ちなみに山頂付近にはベンチやテーブルも点在しており、屋根のある東屋的なスペースもあるので気分にあわせて様々なロケーションを選ぶことができる。
迷った末に、ヤマザクラの綺麗な場所を今日のオフィスと定めることにした。
時おり、どこかのスピーカーから再生されているのではないかと思うほど完璧なウグイスの鳴き声が聞こえる以外は静かで、かなり集中して作業をすることができた。たまに近くをハイカーの方々が歩いていったりするが、人の目は案外気にならない。
天気予報では曇りのち晴れとなっていた取材当日だが、山の上ということもあってか、だいぶ厚い雲が広がってきた。雨が降ってくる可能性も考え、屋根のある場所へ移動してみることに。
取材に同行してくれた大阪のミニコミ専門店「シカク」のたけしげさんは、「Cafe702」の店内へ移動して仕事をしていた。窓からの眺めはすごいし、室内なので気温が安定しているし、こっちもありだな。
ちなみに「Cafe702」のメニューは軽食からしっかりした食事まで幅広く、ドリンク類も色々ある。もちろんアルコール類も用意されているので、仕事がひと段落したらすぐ缶チューハイ!というようなことも可能。
仕事を終えたところで、「work702」の発案者であり、「摩耶山再生の会」の事務局長を務める慈憲一さんにお話を伺った。
――山頂での仕事、想像以上にはかどって景色も素晴らしいし最高でした。これはいつからスタートしたものなんでしょうか?
「『work702』としてスタートしたのは2020年の10月からです」
――どうしてこのタイミングだったんですか?
「Wi-Fiの工事がようやく終わったんです。実はそれまでも同様のプランを提供していたんですけど、その時は範囲の狭いフリーWi-Fiを使っていて、ネットにつなごうと思うと特定の場所まで行く必要があったんです」
――なるほど、こんな風にあちこちでWi-Fiが利用できる状態ではなかったんですね
「そうそう。工事して山頂の一帯をカバーできるようなったから、もうどこでも好きな場所でいけるようになりましたね。かなり端の方でも届きますよ」
――自分で好きな場所を選んでそこで仕事できるっていうのが楽しいですね
「そうでしょう。もともと去年の5月ぐらいから、自分で山の上にパソコン持ってきて仕事してたんですよ」
――あ、慈さんはもうその時からここに来て仕事をしていたんですね
「そうそう。で、これってもっとみんなに広まってもいいんじゃない?みたいに思い始めて、去年の10月から暫定的に始めていたんです」
――なるほど、そうだったんですね。
「それから神戸市の公民共創事業っていうところに提案して、それで予算がついたので工事が進められるようになったんです。工事が終わったのが今年の3月で、やっと本格的に始められるようになって」
――すごい!市の取り組みとして進められている話なんですね
「去年からテレワークの必要性が認知されてきたし、じゃあそれを山の上でやりましょうと提案しました。ウィズコロナ時代の神戸の観光の形としても意味があると思いました」
――テレワークできる上に山の開放感も味わえるわけですもんね。コロナがあったからこそ「work702」がスタートしたわけですね
「そうなんです。コロナがなかったらきっとここまで大きなことにはしてなかったと思います。以前からここに来てノマドワークをする人は多かったんやけどね」
――たしかにそもそもこの「Cafe702」で飲み物や食べ物をいただきつつ作業するだけでも気分がいいですもんね。
――「work702」はまだスタートして間もないですけど、利用されている方は多いですか?
「みなさん利用してくれていますよ。タープを張る『アウトドアオフィスプラン』もかなり予約が入っています」
――複数人で利用するプランですよね。会議をしたりするんですか?
「そうそう、山の上の会議室。こっちで設営するんじゃなくて、タープを張るところから共同作業でやってもらうんです。そこからがもう研修みたいな(笑)会社の会議室と全然違うんで、和やかな雰囲気で私語が多いんです。それは無駄な私語じゃなくて、いい意味の私語なんです。会議って発言しにくい重たい空気になりますよね。それが『これってどういう意味ですか?』って、分からないことが聞きやすかったり、いい意味で会議が活発になったっていう感想がありましたね」
――それは素晴らしいですね。私は会議がすごく苦手で……こういう場所だったらもっと気楽にやれるかもしれないです。摩耶山って夏はどうですか?過ごしやすいですか?
「ここ、夏は涼しいんですよ。なので5月から11月ぐらいまで、まあ11月は少し寒くなりますけど、だいたい過ごしやすいです。夏の間は平日も『まやビューライン』の営業時間が長くなりますし、おすすめですね」
――「旧摩耶観光ホテル」が登録有形文化財に指定されることが決まったとのことですけど、今後はそれを見に来る人も増えそうですね
「すごく問い合わせが増えています。僕らはこれまでもずっと月1で『摩耶山・マヤ遺跡ガイドウォーク』というイベントを続けているんですけど、これを機に摩耶山に来てもらえたらいいですね。旧摩耶観光ホテルはロープウェーからすごくよく見えますから」
――町から摩耶山に来るルートはすごく楽で、疲れなくていいですね
「摩耶山には使い道が色々あるんで気軽に来てもらえるようにしたいんです。山ってハイキングのイメージしかないけど、町でできることはだいたい山でできますからね。『リュックサックマーケット』というイベントを毎月やっているんですけど、これは山の上でやるフリーマーケットなんです」
――山頂のフリーマーケット、面白い!さっきスケジュール表をもらったんですけど、すごく色々な催しがあるんですね
「今日はウクレレ教室が開かれています。町の小さなスタジオで練習するより全然気持ちが違うんですよ。自由に摩耶山を使ってもらえるように、そのための環境を整えるっていうのが僕らの役割ですね。『work702』って言ってますけど、もちろん仕事をしなくても、ただぼーっとしてもいいですし」
――なるほど。そう言われてみると色々なことを山の上でやってみたくなります。じっくりチェアリングもしたいです
「ハンモックとかテーブルもレンタルできますし、色々と使い道を考えて欲しいですね」
――アイデア次第で色々できそうすね。あれこれ考えてみる段階からすでに楽しそうです!
慈さんにお話を伺った後、私はすぐに打ち上げを開始した。「CAFE702」にはバーベキュープランも用意されていて、事前にそれを予約していたのだった。
仕事が終わるなり山上バーベキュー。こんな夢のような展開が作れるのも摩耶山ならではだ。
これが家で仕事をしていたらただの日常だったけど、摩耶山にきて作業をしただけでずいぶん思い出深い一日になった。
すっかり満足し、慈さんに摩耶山のことをあれこれ教えてもらいつつふもとに降りた。今日利用した山頂までの交通ルート「まやビューライン」だが、実は2010年に廃止の話が持ち上がっている。利用者が減少し、赤字が続いていたのだという。その時に慈さんが「摩耶山再生の会」を結成して神戸市にかけあい、市民が摩耶山の活性化に関わることを条件に「まやビューライン」を存続させることに成功した。
私が乗ってきた「坂バス」も慈さん中心となって生まれたバス路線で、市街地から摩耶山までの便利なルートを作り出すべく提案されたものだという。と、この話だけでも慈さんが摩耶山を盛り上げるためにどれだけ尽力してきたかがわかるというもの。「少しでも『まやビューライン』を使ってもらいたい。そうしないとまた廃止になるっていうこともあり得るんでね」と慈さんは言っていた。
摩耶山の山頂へのルートは便利で、かつ移動自体がすごく楽しいのでぜひ一度仕事をしに来てみて欲しい。ふもとには「水道筋商店街」という商店街があって、ここがまた最高なので帰りはぜひ寄り道をおすすめしたい。
ただ仕事をしているだけなのにこんなに楽しいとは思わなかった。働く場を自分で自由に選ぶという、不思議な喜び。どこから見える景色も素晴らしかった。チェアリングと仕事を組み合わせたような楽しみ、名付けるならこれは……ワーキングか。
今回私は原稿を書く作業をしてみたのだが、山頂からオンライン会議に参加してみるのもいいなと思った。「これ、実はバーチャル背景じゃないんですよ!」とみんなに自慢して嫌がられたい!
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