特集 2018年2月1日

“しなくていい苦労”をしてから飲み会をしてみたら全部いつもより美味しかった

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富士山に登ったことがある。「吉田ルート」という登山道では、5合目から頂上にかけていくつもの山小屋があり、そこで少しずつ休憩しながら登っていった。売店で日清のカップヌードルを買って食べたのだが、それが衝撃的に美味しかった。確かにいつも食べているカップヌードルのはずなのに50倍ぐらい美味しい気がした。

もう少し登った先の売店で買って食べたバナナ(1本150円ぐらいだったか)も鳥肌ものの美味しさで、山頂で飲んだ缶ビールも涙が出そうにうまかった。疲労と空腹によって感覚が研ぎ澄まされ、いつもより美味しく感じたということだろう。未だにあの衝撃が忘れられない。

苦労した後に飲み食いするものはいつもより美味しく感じるものだ。その法則をもっとカジュアルに日常の中に取り入れられないものか。そう思って、あえて“しなくてもいい苦労”をしてから集まる飲み会をセッティングしてみた。

参加メンバーは飲み会に先駆けて各自が考える“しなくてもいい苦労”をする。苦労の大小は問わず、どんなものでもいい。私はおよそ30キロの距離を歩いて目的の居酒屋を目指すことにした。結果、あまりの美味しさに泣いた。
大阪在住のフリーライター。酒場めぐりと平日昼間の散歩が趣味。1,000円以内で楽しめることはだいたい大好きです。テクノラップバンド「チミドロ」のリーダーとしても活動しています。(動画インタビュー)

前の記事:駅の「注意喚起アート」を探し回ると駅を歩くのが楽しくなる


美味しいビールを飲むためだけにわざと苦労する

しなくてもいい苦労によってビールを美味しくのむために、まずはごく普通に飲み会を設定した。大阪の西九条にある「鳥貴族」で20時から飲むということで友人たちと約束をしてある。昼ごろから歩き始めて、19時ごろにその辺りに着くようにしようと思う。

グーグルで調べてみると、30キロぐらいの距離を歩くと6時間半ぐらいかかるようだ。1時間で5キロ弱という感じか。目的の「鳥貴族」がある西九条から30キロの距離にあたる地点を探すと、JR神戸駅がちょうどよさそうだった。兵庫県から大阪府へと県をまたいで歩く、壮大かつ無駄な感じ。
道はまっすぐで簡単そうだけど……
東京・渋谷で会社員をしていた頃、終電を逃して池袋近辺にあった自宅まで歩いて帰ったことが何度かある。渋谷駅-池袋駅間がおよそ9キロの距離である。それでも足が棒のようになり、「もう二度と終電を逃すまい!」と心に誓うぐらいに疲れた。

普段から長い距離を歩く方にとっては30キロという距離は驚くほどのものではないのかもしれないが、私にとって未知の距離である。渋谷から池袋の3倍って……。取材前日は、「明日は昼から歩かなきゃいけないのか」と憂鬱で仕方なかった。でもやるしかない。ビールを美味しく飲むためだ。

歩き出してすぐ、そこら辺の店でビールが飲みたくなる

取材当日、12時過ぎにJR神戸駅に到着した。JR大阪駅から神戸駅まで電車で来て、わざわざ歩いて引き返す。なんという無駄だろう。
大阪駅から電車で30分ぐらいで神戸駅だ
大阪駅から電車で30分ぐらいで神戸駅だ
とりあえず、JRの高架に沿って大阪方面へ歩きだすことにした。天気がいいのがせめてもの救いだ。
大阪方面へ向かう電車のスピードよ
大阪方面へ向かう電車のスピードよ
神戸駅から隣の元町駅、その次の三ノ宮駅までの高架下には小さな商店が軒を連ねている。雑貨屋、レコード屋、古着屋、喫茶店、定食屋、居酒屋など何でもあり。
狭い空間に面白い店が次々と現れる
狭い空間に面白い店が次々と現れる
魅力的なお店が多く、思わず足を止めかけるが、先を急がなければならない。
ファミコンのカセット買いそうになってる場合じゃない
ファミコンのカセット買いそうになってる場合じゃない
神戸駅から三ノ宮駅まで30分ほどで来た。町並みも見ていて楽しいし、ここまでは余裕である。というか、飲食店がたくさんあり過ぎて、もうここで飲んで行きたい……。
シンプルなラーメンが美味しい「淡水軒」に寄っていきたい
シンプルなラーメンが美味しい「淡水軒」に寄っていきたい
三ノ宮駅前から国道2号線を歩いて行くことにする。「大阪30km」という案内板が出ているし、とりあえずこの道をずっと歩けば大阪方面に向かえそうだ。
この道の先に大阪があるのか
この道の先に大阪があるのか
高架下を歩いていた先ほどまでとは違い、ドーンと道幅の広い国道沿いを真っ直ぐ歩いていくだけである。そうなると途端にこれからの距離がとんでもないものに思えてくる。歩きだして1時間ほどでちょっと飽きてきた。
「魚民」入りたい
「魚民」入りたい
商店街に寄っていきたい
商店街に寄っていきたい
今すぐ車買って乗りたい
今すぐ車買って乗りたい
「おいしい卵かけご飯」食べたい
「おいしい卵かけご飯」食べたい
欲望が次々溢れてくる。だいぶ疲れたぞ……と思って、仰ぎ見た案内板には「大阪28km」の文字が。
30ひく28だから……
30ひく28だから……
さっきからたった2キロしか歩けてない!「芦屋」にいたってはさっきから数字が減ってないぞ。どういうことだ。

目の前に師匠が現れる

30キロという距離の途方もなさに打ちのめされた時、道の脇にかかしの座っているベンチがあるのに気づいた。
兵庫県姫路市の「奥播磨かかしの里」から来たかかしだそうだ
兵庫県姫路市の「奥播磨かかしの里」から来たかかしだそうだ
せっかくなので隣に座らせてもらう。
ずっとここにいたいけど……
ずっとここにいたいけど……
一瞬座ったことにより少し元気が出た。

歩き続けながら、朝から何も食べていないことを思い出した。道沿いにちょうどよくコンビニがあったので入ってみたが、「飲み会前なのにここでガッツリ食べるのもなー」と思い(とはいえ飲み会までまだ6時間以上あるのだが)、適当なものが見つからない。なんとなく手に取ったベビースターラーメンを買い、歩きつつ水のように流し込んだ。
ものすごいスピードで食べ終えた
ものすごいスピードで食べ終えた
最初は「うわーまだまだ先が長いな」とか「風が冷たいな」とか色々思っていたのだが、徐々に心が静かになってくる。3時間ほど歩いてようやく芦屋駅近くまでやってきた。案内板は「大阪20km」になった。
これで3分の1だ
これで3分の1だ
やっと10キロか……。まだ半分にも到達していない。しかも、3時間で10キロという数字は、グーグル検索で出た予測時間のペースより遅れている。

もう少しスピードを上げなくては、と意識して歩いていると、目の前に颯爽と歩いていく男性の後姿があるのに気づいた。
いつの間にか目の前にいた
いつの間にか目の前にいた
アウトドアブランドのリュックに荷物をたっぷり詰め、スッスッと淀みなく足を前に出していくその姿には、いかにも歩き慣れた雰囲気が漂っている。一目でタダものじゃないのがわかる。

さらにこの男性の歩くペースが、私が気を抜いて歩いているとドンドン置いて行かれるぐらいのスピードで、きっとこの人についていけばグーグルが基準にしてるペースに重なるんじゃないかという気がするのだ。

私はこの人を「師匠」と心の中で呼ぶことにした。師匠に遅れないよう、かといって近づき過ぎぬよう、しっかりついていく。師匠の頼もしい背中を見ていると励まされる。ひょっとして師匠もこのまま大阪まで歩くつもりなんじゃないかと思えてくる。きっとそうだ!師匠!どこまでも着いていきます!!

そうして20分ほど一緒に歩いた頃だったろうか、師匠がふいに通りを外れたと思うとあっという間にビルの1階の「英会話教室」と書かれたドアの向こうに消えていった。

欲望が消え、足先の感覚だけになる

再び一人になって歩いていると徐々に足の先に痛みを感じ始めた。左足の親指と人差し指が特に痛い。できるだけ痛みを感じないように踏み込み方を工夫しながら歩く。いつしか、そのバランスの取り方が思考のすべてになって、あれがしたいこれがしたい、というようなことはほとんど考えなくなっていった。

邪念が消え、とにかく歩く。夙川を越え、西宮を越え、途中にあるギャグ看板を目にしても完全に真顔である。
今さらの「今でしょ」
今さらの「今でしょ」
瓦メーカー「山平」のポスターらしい
瓦メーカー「山平」のポスターらしい
武庫川を渡ると案内板の数字は「大阪12km」に。
気持ちのよい眺めだがそれを楽しむ余裕はない
気持ちのよい眺めだがそれを楽しむ余裕はない
だいぶ近くなってきたけどまだまだ
だいぶ近くなってきたけどまだまだ
尼崎の手前で有名なラブホテル「べんきょう部屋」を見つけて少し興奮
尼崎の手前で有名なラブホテル「べんきょう部屋」を見つけて少し興奮
尼崎市に入ったところですっかりあたりが暗くなった。杭瀬を通過し、左門橋という橋を渡るとついに大阪市に突入。
大阪市西淀川区に入った
大阪市西淀川区に入った
でもまだここから目的地までは1時間ほど歩かねばならない。日が落ちて気温がグッと下がり、顔に風が当たって冷たい。ビールが飲みたいというより、あったかいお風呂に飛び込みたい。こういう距離を歩かずに済むように車やバイクなどが生まれたんだろうな、と思った。

そんな時、目の前からやってきたバスの行先表示に「福町」という文字を見つけて驚いた。
見覚えのある地名だった
見覚えのある地名だった
昨年末、「一生降りないかもしれない駅への旅」で下車した「福駅」のある町だ。ここは福町の近くだったのか。取材時に、「河川敷からの夜景が綺麗ですよ」と地元の方に教わったのだが、その時は残念ながら見ることができなかった。

淀川大橋を渡る際、その夜景を見ることができた。思いがけない喜び。
疲れ果ててはいたが、この美しさには心が動いた
疲れ果ててはいたが、この美しさには心が動いた

生ビール以前に椅子ですでに感動

淀川を越えると目的地まではもう一息で、なんとか約束の20時ちょっと前に西九条に到着することができた。グーグルの予測よりだいぶ遅れ、7時間半ほど歩き通したことになる。その間、口にしたのは少量の水とベビースターラーメン。腰かけたのはかかしの隣に10秒ほどだ。よく頑張った!自分!
やっと着いたぞ!「鳥貴族」
やっと着いたぞ!「鳥貴族」
入店してまず、椅子に腰を下ろした時に全身が多幸感に包まれた。腰を、尻を、椅子に置くとすごい楽!感動だ。心の底からありがたい。

集まってくれた仲間たちと早速乾杯。
さっきまでが嘘のように明るい世界だ
さっきまでが嘘のように明るい世界だ
おそるおそる生ビールを飲んでみる
おそるおそる生ビールを飲んでみる
ああ……これはヤバい
ああ……これはヤバい
美味し過ぎる……。いつも居酒屋で一杯目のビールを飲むときはゴクゴクと飲み干す喉の奥が美味しいという感じだが、30キロの後のビールは脳の奥が旨い。そこから体全体にほわーっと心地よさが伝わっていく。

鳥貴族では「ザ・プレミアム・モルツ」の生ビールが税抜き298円。この値段でこんなに美味しいものがこの世にあるんだろうか。
これが実際の生ビールなのだが、
これが実際の生ビールなのだが、
私にはこう見えていた
私にはこう見えていた
あと、唐揚げ。まず最初に衣の表面が旨い。そして、衣と鶏肉の間が旨く、鶏肉の中でも衣に近い部分と、中心部分がそれぞれ旨い。旨みに奥行きがあるのだ。
これが実際の唐揚げなのだが、
これが実際の唐揚げなのだが、
私にはこう見えていた
私にはこう見えていた
飲み会参加メンバーに「どうしたんですか?大丈夫ですか?」と言われ、「いや、唐揚げが美味し過ぎて……とにかくありがたくて……」と言いながら涙が込み上げてきた。
旨さにひれ伏すのみ
旨さにひれ伏すのみ
その様子に「なんですか!怖い!」と笑うメンバーであったが、私がしてきた苦労について語ると、「それだけ歩けばそうなるでしょうね。絶対嫌ですわー」と納得してくれた。

苦労をしてから飲みに来るとつまみが全部やけに美味しい

さて、今回参加してくれた私以外の3名のメンバーにも、それぞれの苦労話を披露してもらおう。
やけに美味しそうにビールを飲むこの人がヤマコさん
やけに美味しそうにビールを飲むこの人がヤマコさん
ヤマコさんが経てきた“しなくていい苦労”は、「前夜から嫌いなものしか食べない」というもの。ヤマコさんは高野豆腐が大の苦手らしいのだが、昨夜の晩ごはんから今日の朝ごはん、昼ごはん、とここに来るまで高野豆腐しか食べてないんだという。
これが晩ごはん
これが晩ごはん
翌日の朝ごはん
翌日の朝ごはん
会社へ持って行った弁当がこれ
会社へ持って行った弁当がこれ
苦労を乗り越えての飲み会の感想を聞いてみると、「ビールもめちゃくちゃ美味しいんですが、その前にこのチャンジャが美味しすぎますねぇ。高野豆腐は土の味しかしないけど、このチャンジャは旨みの塊ですねぇ」としみじみ語る。
高野豆腐にはない色味
高野豆腐にはない色味
「っていうか高野豆腐以外なにもかもうまっ!」とのこと
「っていうか高野豆腐以外なにもかもうまっ!」とのこと
本人にとって「土の味」としか思えないものを3食も食べさせてしまい、大変申し訳ないことをした気持ちになったが、「おかげさまでいつもより一段と美味しいですわ!」とのことでホッとした。

次はミニコミショップ「シカク」の代表・たけしげさんだ。
美味しそうに焼酎お湯割りを飲んでいるこの人がたけしげさん
美味しそうに焼酎お湯割りを飲んでいるこの人がたけしげさん
経てきた苦労について聞いてみると、たけしげさんは今日、昼頃から飲み会直前までずっとお店で仕事をしていたそうなのだが、その間ずっとYoutubeで「宴会 余興 練習」などと検索し、まったく知りもしない人が宴会芸を練習する動画を繰り返し見続けてきたのだという。
こんな感じの動画だそうだ
こんな感じの動画だそうだ
なんという“しなくていい苦労”だろうか。余興の練習動画をアップした人々もこんな形でたけしげさんを苦労させることを望んでいないであろう。

苦労を経ての飲み会の感想をたずねると、「お酒も美味しいですけど、まずお店のBGMがプロの歌だっていう時点で最高です。プロの歌、うますぎます!」とのこと。苦労をすることでまさかそんな部分に感動できるようになるとは。

最後にハヤトさんに苦労話を聞いた。
この人がハヤトさん
この人がハヤトさん
やけに美味しそうにチューハイを飲んでいるが、特別な“しなくていい苦労”はしてないとのこと。「仕事ですよ!朝から仕事してきただけです!でもそれが僕の一番の“しなくていい苦労”なんですよ!」と言う。

話を聞いてみると、今日は朝から寒い中を自転車で銀行に行かなければならなかったそうで、その後にいつも仕事で使っていた電卓が壊れてしまい、替えのものが探してみるも見つからず、作業が滞ったんだという。

それから夕方頃、以前から上司に「業績次第では昇給があり得るかも」と言われていたのが、「今期はやっぱり難しい」ということが明かされた。そこでハヤトさんが「夢見させるようなことを言わないでくださいよー!」と言うと、「おっ!ひょっとして『スラムダンク』好きなの?」(登場人物の「木暮」の名ゼリフで「夢見させるようなことを言うな!」というものがある)と、その後ずっと上司と『スラムダンク』の話で盛り上がったという。

どこが苦労なんだよ!と思うが、「いや、昇給がダメになったんですよ!電卓も壊れたんですよぉー!」と語るのを聞いているうちに、確かに仕事って“しなくていい苦労”の連続だよなーと思えてきた。

考え方次第で、お酒もつまみも美味しくなる。ハヤトさん自身が「うめぇー!いつもより豆腐がうめぇー!」と喜んでいるのが何よりの証拠である。
昇給はふいになったが、おかげで豆腐が旨い
昇給はふいになったが、おかげで豆腐が旨い

30キロ歩くと生ビールは劇的に美味しくなることがわかった。唐揚げをはじめ、食べたつまみのすべてが驚愕の旨さになる。というか、いくつも川を越えて歩き続けた先に知っている人が待っているというだけで泣ける。感情のブースト状態。おかわり自由のキャベツまでもが輝いて見えた。
しかし、30キロはやり過ぎだと思った。ここまでしなくても、例えば飲み会の1時間前に2駅前で電車を降り、そこから歩いて会場へ向かうというだけで一杯目が相当美味しくなると思う。

また、どうでもいい話なのだが、取材当日は私の誕生日の前日にあたっており、「こんなことしてまた一つ歳をとって、この先自分は大丈夫なんだろうか……」と不安になった。まあ、いいか。とりあえず今日もビールが旨いし!
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