いつの間にかブームになっていた
調べてみたところ、倉吉周辺では昔から牛骨でスープをとったラーメンを出していたらしく、数年前のテレビ番組で取り上げられたのがきっかけとなり、ブームになっているのだという。
いちばん知っているはずの故郷の事が、知らないあいだに勝手にブレイクし、ブームになっている。なんだか気に食わない。
牛骨ラーメンなんてものは倉吉に住んでる頃に食べた記憶が無い。ほんとにそんなラーメンあったっけ?
実際に食べてみなければわからないので食べに行くことにした。
故郷はいつの間にか観光地になっていた
まず最初に向かったのは「レストラン三日月」。「レストラン三日月」は倉吉の観光地、白壁土蔵群にほど近い場所にある。
この白壁土蔵群、じつはぼくが住んでるころは観光地でもなんでもなく、ただの古い土蔵が残っているというだけの場所だった。
住んでた当時たしかに「古い土蔵が残ってるなー」とは思っていたけれど、まさかここが観光地になるなんて夢にも思わなかった。
国から重要伝統的建造物群保存地区に指定されたのは今から14年前の平成10年で、ぼくは当時すでに上京しており、観光地化されたのはそれ以降なので、この白壁土蔵群はぼくのあずかり知らぬ間に勝手に観光地になっていた。
閑話休題。
牛骨ラーメンの話に戻りたい。くだんの「レストラン三日月」はこちらだ。
このレストランは子供の頃、何回か来たことがある。あるけれど、その時はラーメンじゃなくてハンバーグかなにかを食べたような気がする。いずれにせよ、ここで出しているラーメンが牛骨ラーメンだったなんてことは知らなかった。
メニューには「ラーメン」としか書いてない。しかも「おすすめ」はチャンポンの方だ。
入り口に「牛骨ラーメン」の幟はあるものの、あまり牛骨ラーメン推しではないところが気になる。
店内にいた先客はいずれもラーメン以外を頼んでいる。牛骨ラーメン、本当に流行ってるんだろうか?
意外なうまさに驚く
待つこと数分、たのんだ「ラーメン」が出てきた。
見た目はいわゆる「中華そば」といわれるタイプのラーメンでしかない。違っているといえばカマボコがのっていることぐらいだろうか?
さっそくスープをいただく。確かにスープからは牛脂の香ばしい匂いがする。スープは透き通った醤油ベースで、コクがありつつも後に引かないあっさり味だ。
牛脂の風味と麺の小麦の甘さ、そしてメンマやチャーシューの塩味のバランスがちょうどよく、最後まで飽きずに食べられる。これはうまい。
60年前から牛骨だった
いったい、なぜ牛骨でダシをとるようになったのか? 店のおばちゃんに訊いてみた。
--こちらのラーメンは牛骨でダシをとってるのはなぜですか?
「さぁ、うちは60年前から牛骨でダシを取っとるけぇなあ、んー、なんで牛骨でダシとるやーになったかはわからんなー」
--60年も前からですか! 戦後間もないころですね
「ですなあ、なんにも変わった事しとるやーな気は無かったですけども」
--牛骨ラーメンだってさわぎはじめたの最近ですよね
「そがなこと言うようになったんは最近ですけえ、ちかごろは東京や千葉みたいな遠方からわざわざ食べに来てごしなるひともおりますで」
牛骨でダシを取るようになった経緯はもうわからないらしいが、牛骨スープのラーメンは倉吉では60年も前から普通に食されていたらしい。
気になってることを訊いてみた
ところで、ラーメンとは関係ないのだけど、ぼくが気になっていることをちょっと聞いてみた。
--こちらのレストランの隣の食料品店。閉まってましたがいつから閉まってたんですか?
「さぁ、10年ほど前に店辞めちゃいなったなぁ」
--そうですか……
このレストランの隣の食料品店。じつは中学生の頃、友達の渋谷くんと初めてのエロ本を買った思い出の店だ。
ある日、急に渋谷くんが「あそこの店はばあちゃんが1人で店番しとるけぇ、エロ本が買いやすい」と天啓に導かれたように言い出したので放課後一緒に行き、雑誌のラックに置いてあったエロ本をよく吟味もせず、ばあちゃんに差し出した。
すると定価千円と言われ、想定外の金額にビビったものの、いまさら買わないのも逆に恥ずかしいので、ふたりでなけなしの小遣いを合わせて支払い、渋谷くんの部屋に逃げるように帰り、雑誌を開いてみた。
期待に胸躍らせ、開いたページには、赤いロウまみれになったおっさんや、大根がお尻から生えてるような写真がズラリ。
ここでやっと自分たちが「SM専門誌」を買ってしまったのだということに気がつき、ふたりとも絶句した。
その後、ひととおり中身を見てどんよりとした気持ちになったぼくたちは、桃太郎電鉄を無言で始めた。
まさに青春の蹉跌である。
このとき、専門性の高い雑誌は値段も高い。ということもしっかり学ばせて頂いた。
しかし、こんな恥ずかしい失敗談も、この店の閉店とともに懐かしい思い出となった。
思い出のラーメンは牛骨だったのか?
エロ本の話はさておき、牛骨ラーメンの話に戻りたい。
倉吉のラーメンといえばもういくつか思い出がある。とりわけ思い出ぶかいのは小学生の頃に住んでいた家のはす向かいにあった食堂のラーメンだ。
そこのラーメンも透明な醤油ベースのスープにチャーシュー、メンマなどがのったまさに中華そばといった感じのラーメンで、今思うと牛骨ラーメンだったかもしれない。
「昔好きだったラーメンが実は牛骨ラーメンだった!」なんて、ネィティブっぽくてとっても素敵じゃないか。
記憶を辿りながらその場所に行ってみた。
のれんが出てなくてひっそりしてる……。でもとびらは開いている。すみません……と声をかけたら店の奥からおっちゃんが出てきた。
--あの、ここは営業はもうされてないんですか?
「えぇ、半年ほど前に辞めましたに」
遅かった!
--ぼく、子供の頃、こちらのラーメンが大好きで……久々にこっちに帰ってきたんで寄ってみたんですが、そうですか、もうやっておられないんですか……。
「それはそれはどうも、でも、もう歳ですけぇねぇー」
--んー、残念です……。ところで、こちらで出されてたラーメンってもしかして牛骨でしたか?
「いや、普通の鶏がらスープでしたけど」
思い出のラーメンは鶏がらだった。
いやまてまて、まだあるぞ思い出のラーメン
まだもう一つ、思い出のラーメンがあるのだ。
それはおじいちゃんが入院してたころのことだから、今から30年近く前になる。
その入院していた病院の向かいにラーメン屋があり、お見舞いに行ったときは必ずそこのラーメン屋に行ってラーメンを食べていたのだ。
そこのラーメンも醤油ベースのスープで具はメンマ、チャーシューなどの中華そばだった。
そのラーメンはもしかしたら牛骨ラーメンだったかもしれない。現地に行ってみた。
更地だった。
隣に美容室があったのは覚えているので、確かにここだったはずだ。
「やはり潰れてしまったか」とネットで調べてみたところ、なんとここにあった「香味徳」というラーメン屋は場所を変えて営業しているという。
しかもさらに、香味徳は牛骨ラーメンの店として一番有名らしいのだ。おぉ、ついに来た。昔食べていた懐かしいラーメンが実は牛骨ラーメンだった!
その味を確かめるべく、移転先の「香味徳」に行ってみた。
ついに思い出の味に再会!
移転先の香味徳は小奇麗な建物の1階部分にあった。
ここも「牛骨ラーメン」の幟やポスターは貼ってあるものの、メニューは「ラーメン」としか書いてない。一番スタンダードなラーメンをたのむ。
見た目は透明で全体的に淡い色使いのラーメンだが、スープを飲むと実にしっかりとした牛の味がする。
縮れ麺に、とても複雑な旨みのある牛骨スープがよく絡む。ここのラーメンも味がしっかりしている割にはあっさりしていて重くなく、いくらでも食べられそうだ。
これは、30年前おじいちゃんのお見舞いに行ったときに食べたラーメンの味に間違いない!
ラーメンのうまさと思い出が渾然一体となり、なんともいえない感動が体の芯を貫く。そう、あの頃はおじいちゃんもまだ生きてて、おばあちゃんも元気で生きていた……両親もまだ若くて今のぼくぐらいの年齢だったはずだ……。
こういう感動は、やはり店の人に伝えたくなってくる。
--ラーメンおいしかったです! ここのお店って元々病院の前にあったんですよね?
「えぇ、そうですよ、最近こっちに移ってきたんです」
--ぼく、今から30年ぐらい前になると思うんですけど、病院に祖父が入院しているときにここのラーメン食べたんですよ。
「えっ、30年前? うちはそんなに古くないですよ?」
--えっ?
「うちは、始めてから18年ぐらいじゃなかったかいなあ」
--18年? 平成入ってからですか?
「ですなあ、たぶんお客さんが言っとられるのは、うちらがむこうの店舗で始める前にラーメン屋をやっとられた吉田屋さんのことじゃないかえ?」
ご主人の話によると、病院の前には元々「吉田屋」というラーメン屋があって、その吉田屋さんがラーメン屋をやめてから、そこに「香味徳」が入ったのだという。
ぼくは弱弱しく「あ、そうですかー、記憶って当てになりませんねー」と愛想笑いをしながら店を出た。一緒に行ってた親父が「そういえば病院の前のラーメン屋は吉田屋っていう名前だったわー、ギャハハハ」と言い出した。親父は昔から笑い方にデリカシーのないところがあったけれど、今でも変わらずデリカシーのないひとだった。
見た目は地味だけど、本当にうまい
お店の人に色々話を聞いたところ、倉吉では昔から牛骨でラーメンのダシをとる店が多くあったらしい。ここ数年で適当に作ったニワカご当地ラーメンとは違うのだ。
ただ、見た目は普通の中華そばと変わらないため、倉吉の人たちは特に意識することなく普通のラーメンだと思って食べていたところ、「牛骨スープのラーメンは珍しい」と指摘され、はじめてその価値に気づいたのだ。
この辺の「本人は気づいてなくて、人に言われてその価値に気づき始める」といういきさつは白壁土蔵群の観光地化と大変よく似ているような気がする。
ちなみに、東京の銀座にも香味徳はあるので、食べてみたいと思われた首都圏在住の方はぜひどうぞ!
レストラン三日月
倉吉市新町3-2334
0858-22-3586
香味徳(倉吉)
倉吉市山根538-2松田店舗1F西
0858-48-1165