いるかもね
この世は透明人間にとって暮らしにくかった。しかし、もしかしたら同じようにうっかり透明になってしまったはいいが、一瞬で車に轢かれてその辺で倒れている人がいるかもしれない、見えないだけで。いないね。
朝起きると体が透明になっていた。
まじかよ面倒くせえな、と思いながらも手探りでメガネを探す。透明になったからといって視力は悪いままだった。
メガネをかけ、洗面所の鏡で自分の姿を映してみて事態の深刻さを知る。
何度見ても透明だ。がーん。しかし原因に心当たりがないでもない。昨日の夜、透明人間が女の子の部屋に忍び込むという内容の映画を見ていたのだ。
酔っ払っていた僕は「ああ、おれも透明人間になりてぇなー」なんてつぶやいた気がする。
猫にもどうやら僕のことは見えないらしい。あさっての方向見てる。これはどうやら僕の頭がおかしくなったんじゃなくて、本当に透明になっているらしい。
しかしめったにできない経験ではあるので、ここはひとつポジティブに受け止めて透明のまま外に出かけてみることにしよう。
迷ったが全裸で出てきた。途中で元に戻ったらやばいが、服と靴だけが歩いているのはもっとやばいだろう。同じ理由で車に乗るのもあきらめることにした。
しかたがないので歩くことにした。はだしなので足が痛い。
道を横断したいのだが、一向に車が止まってくれない。横断者優先って教習所で習わなかったか。おまえら全員免許取り消しだぞ。
と思ったのだが、考えてみたらあちらからは僕のことなんて見えていないのだ。まあいま全裸なので見えていたとしても止まらないかもしれないけれど。
歩くのは危ないのでバスを使うことにした。たぶん今ならただで乗れるはずだ。透明になって初めて得することができそうな気がする。
ほどなくしてバスが来た。
「待ってくださーい、僕も乗りまーす。」
聞こえているのかいないのか、バスの扉は僕の目の前で閉まった。プシュー。そして運転手さんは涼しい顔で車を発進させた。
「あ、ちょっと!」
もちろんタクシーになんて乗れるわけないので、安全に気をつけて歩くことにした。まあ特に行く先も決まっていないので歩いた方が便利ではある。
とそこへ駐車場から車がバックで出てきた。どうやら僕のことが見えていないようだ。
「待ってください、人がいます!」
あやうく轢かれるところだった。思ったけど轢かれても誰も気づかないだろう。透明人間孤独死だ。気をつけよう。
お腹が空いたのでコンビニでハムとか開けて食べようかと思ったのだが、なんと自動ドアが開かない。
人の暮らしに絶望したので海に向かうことにした。僕はそもそも人里よりも自然が好きなのだ。
やっぱり海はいい
海は透明の僕でもしっかりと受け止めてくれた。しばし遊ぶ。全裸が気持ちいい。
満足したので海から上がってシャワールームへ向かう。
透明である。今なら女性用にも入れるはずなのだ、と一瞬エロが頭をよぎったが、僕にはどうしてもその勇気がなかった。透明になってもダメなやつはやっぱりダメなのだ。映画のようにはいかない。
透明になってしまったことをポジティブに受け止め、逆にその恩恵にあずかろうと思ったのだが、この世は透明人間にとって暮らしやすくはなかった。
もうだめだ、僕はどうして透明なんかになってしまったのか。元に戻りたい。人に見られたい。人は外見じゃないなんていうけどさ、それって透明じゃないことが前提なんだよね。
という夢を見て目が覚めた。
この世は透明人間にとって暮らしにくかった。しかし、もしかしたら同じようにうっかり透明になってしまったはいいが、一瞬で車に轢かれてその辺で倒れている人がいるかもしれない、見えないだけで。いないね。
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