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楽しかった浅草旅行
近すぎる雷門
「浅草の歴史を勉強してきたんですよ」
トルーさんはそう言いながら背負っていたリュックからノートを取り出しました。ノートを開くとそこには浅草で起きた出来事が年号とともにびっしりと並べられていて、僕はびっくりしました。
集合場所は銀座線浅草駅。1分も歩けば雷門へたどり着くことができます。
両脇には風神と雷神が祀られており、正式名称は「風雷神門」と言います。なぜ風神は完全に無視されて雷門と呼ばれているのか調べたところ、雷神の方が風神より人気があったから、という説が有力だそうです。「雷おこし」はあるけど「風おこし」は売られていません。少しかわいそうだと思いました。
耳を澄ますと外国人観光客のツアーから「Konosuke Matsushita…」と聞こえてきます。
そう、実はこの提灯はパナソニックの創業者・松下幸之助さんの寄付によって作られたものだそうです。
「とにかく大きい提灯を作ってくれって言ったみたいですね」とトルーさんが話してくれました。
雷門から続く参道は活気にあふれています。人混みを避けながらしばらく歩くと、浅草について説明がされた展示が目に留まりました。
これまで何回か浅草には行ったことがありましたが、正直、こんな展示があったことを初めて知りました。ですが今の僕たちは興味津々です。
浅草寺の起源である、檜前兄弟が漁をしているときに菩薩像を見つけた時の様子も描かれていました。
学んだこと:時は飛鳥時代、檜前浜成・竹成兄弟が隅田川で漁をしていたところ、網の中に金色の像を見つけました。
二人は村の賢人の土師中知にこれを見せたところ、この像が観音菩薩を描写したものだとわかりました。この像に感銘を受けた中知は、自らの家を改装し、この像を祀るための寺を建てました。この出来事が浅草寺の始まりだと考えられています。
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源頼朝の参詣
源頼朝が平家を倒すために浅草寺に参詣して戦勝を祈ったり、江戸時代には徳川家康が篤く保護するなど、各時代の将軍たちの拠りどころとなってきたことが分かります。
展示に見入りすぎて、ここまで来るのに1時間かかってしまいました。
トルーさんが「志ん橋…しんばしって書かれていますね」と訝しがっています。これは僕もなんでだろうと思ったのであとで調べました。
大きな天井画は当時を代表する日本画の巨匠二人の作品。細かな意匠の灯篭が本堂のなかを照らします。
雷門があまりに駅から近いので「趣のない近さ」「情緒がない」などと話していた僕たちですが、”あくまで雷門は入り口であり、本番はここからなのだ”という当たり前のことに、浅草寺の堂々たる姿を目の当たりにして気づくことができました。
雷門があまりに名所すぎる。サビから始まるGLAYの曲みたいです。
仏と神が混在する場所、浅草
ここから右手奥へ進むと浅草神社がありました。
しばらくのあいだ仏教の世界にいざなわれていた僕たちの前にいきなり現れた鳥居。神仏習合、という四文字が僕の頭をなぐります。
この”神も仏もごちゃっと共存する場所”こそが浅草の魅力であり、特異なところなのだ、ということが今回の修学旅行で一番印象的だったことでした。
少し緊張しながら鳥居をくぐります。
とくに強い信仰心があるわけでもない僕たちですが、寺から神社に切り替わる瞬間、まるで異世界の入り口を通り抜けたような感覚になりました。
説明はよく磨かれた石に書かない方がいいことを学びました。これでは読めません。
気を抜くと仏教の世界に神道が入り込んでくる、神と仏の交互浴です。そしてこんなに混ざり合っていたことを今の今まで知らずにいました。これが浅草かあ。
「だからこそ、ここにはいろんな人が集まったんですね。とにかく浅草に行けば自分の悩みは解決する、という間口の広さがあったんです」事前に勉強した僕は得意げに話しました。
幅広い、それはまるで現代のイオンモールのようです。
かなり素敵なことが書かれていました。浅草寺のおみくじ、意外とよい結果が出るものなのかもしれません。
願いは叶わず、病気はかかると危ない。失物は戻らず、待ち人は現れず、引っ越しも、旅行も、結婚、付き合いも悪い。
僕は浅草寺に来るのが3回目。毎回「凶」を引いてきたのですが、今回はその中でも一番悪い凶だと思います。
北向「あれは暫(しばらく)ですね」
トルー「暫ってなんですか?」
北向「歌舞伎の…なんですかね…?」
勉強が足りないとこういうことが起こります。暫はヒーローが活躍する勧善懲悪の演目だそうです。
江戸時代には歌舞伎が栄え、植物園として「花屋敷(現在の花やしき)」も開園。明治になると日本初の電動エレベーターを設えた12階建ての凌雲閣が誕生し、そのふもとでは活動写真館やオペラの上演など様々な大衆文化が醸成されたのがこの浅草でした。
浅草を体感するためには食文化も避けては通れません。僕たちは文化を学ぶため、浅草もんじゃのてっちゃんを訪れました。
カウンターの鉄板というのもなかなかいいものです。
トルーさんが「ああー」という声を上げました。2杯目のウーロンハイが濃かったようです。僕はハイボールを飲み「うわあー」と言いました。脳みそを介さない感嘆です。ここはいい店だ。
浅草は「祈る・遊ぶ・食べる・見物する」が全部できる場所でした。
今でいうとパワースポットやショッピングモール、テーマパークが一体化したような、そんな場所。そりゃあ人も集まる。駅もできる。
浅草寺の前には芝生が広がり皆がくつろいでいました。
関東大震災や空襲を経験し、多くの建物が被害に遭い、そのなかで浅草は形を変えながら今も昔も多くの人が集まっています。
僕たちの訪れた浅草はそんな魅力的な場所でした。
現代の北向ハナウタより
学生のていでしっかり真面目に浅草を回っていましたが、もんじゃを頼んだところどうしてもビールを頼んでしまい、ほどよく濃い味つけが2杯目のハイボールを呼び寄せ、もう決して修学旅行には戻れなくなりました。
修学旅行を友人とまわれる子ども時代は楽しいし、お酒を美味しく飲める大人の時代も楽しい。それでいいのだと思います、たぶん。

