ぬいぐるみを考えすぎて
子供のころクリスマスは楽しいものだった。あのツリーの電飾をじっと眺めているのが好きだった。 しかし、うまくプレゼントをねだった覚えがあまりないのもまた私のクリスマスだった。
さておき、ぬいぐるみである。よく考えると、ぬいぐるみを欲しがったこと自体、私にはあまりないのだった。よって、ぬいぐるみのことがよくわからない。ぬいぐるみ、ぬいぐるみねえ・・・ ぬいぐるみって、ふかふかのたたずまいを生かして、動物やらなにやらをかたどるのが自然な気がするが、最近そうでもない。 宇都宮や横浜では餃子のぬいぐるみを売っているし。「ぬって」「くるむ」という行為なら、まあ餃子もわかる気がする。 しかしこれはどうだろう。
私が中学のときに作ったものだ(正確には「クッション」かもしれませんけれども)。中学生がバドワイザーって。まあそういうデザインが受けた時代だったのだから仕方がない。
しかしこれはなかなかの出来だったらしく、家庭科の先生に気に入られ、夏休みの宿題でしばらく学校の玄関に展示されていた。
8月の終わり、土壇場3日間くらいで作ったにしてはよくできている。この刺繍の懲りようとかすごい。
まあ自慢はこれくらいにする。
この場合、ビール缶がぬいぐるみになっているわけだが、これはこれで、形状からしても何か自然なたたずまいを感じさせる。抱き枕とかにもできそうだ。
では、もっと他のオブジェクトをぬいぐるみに写し取ったら、それはどんなたたずまいになるのだろうか。例えばこんなもので。