天気を知る
今も天気は気になるが、昔だって天気は気になるものだった。では、どのように天気を知ったのかと言うと自然から読み取っていた。有名なところで言えば、アマガエルの鳴き声が聞こえると天気が崩れるとか、山の向こうに雲がかかると明日は雨とか。
地域によって様々な天気の知り方がある。5月頃、田に水を入れるとカエルが大合唱するが、全く鳴かない日は次の日に季節外れの大寒波が来るとか、イカルが鳴くと雨が降るとか、新幹線の音が聞こえると強い北風が吹くとか、いろいろあるのだ。
全国的に言われている天気の知り方もあれば、その地域だけで通用する天気の知り方もある。私は東京都狛江市に住んでいるのだけれど、もちろん狛江だけに通用する天気の知り方も存在する。買った本に書いてあった。
上記は狛江市制施行50周年記念として出版されたもので、「広報こまえ」という狛江市民しか読まない(私は読んだことないけど)広報誌に連載されたものをまとめたもの。そこに天気予報に頼らない、狛江の天気を知る方法が記されている。それが本当か調べたいと思う。
小田急線で知る
狛江市には多摩川が流れ、多摩川を渡れば神奈川県となる。そんな狛江には小田急線が走っている。1927年に開通した狛江を走る唯一の電車だ。大日本排球協会が設立された年であり、芥川龍之介が自殺した年。随分と昔だ。
昔から小田急線は走っていたので、天気を知る方法になっていたのだ。ドンタクはやることが遅くて鈍いことを言う。鉄橋の音でわかるのが面白い。鉄橋の音で天気を知ろうと思ったことなど、私には一度もなかった。
見慣れた景色である。おそらくこの鉄橋から天気を知っていた時代は、このような鉄橋ではなかったと思うが、鉄橋は鉄橋。散歩でこの鉄橋はよく見るし、小田急線でこの鉄橋を渡ったこともある。
いつもと同じような音に聞こえる。特別ドンタクとは感じないけれど、電車によっては遅い車両もあるので、その時はドンタクと感じる。ただ平均すればいつもと一緒。つまりドンタクではない。明日は晴れるということだ。
撮影した日以外にも、家から近いので何度も通っては音を聞いたのだけれど、どの日もドンタクと聞こえる日はなかったし、ある意味では、全てがドンタクとも聞こえた。当時の人々は聞き分ける耳を持っていたのだろう。
この説は間違いないようだ。問題は、私の耳ではドンタクと判断できないこと。ちなみに撮影の次の日は晴れた。しかし、何度か通いドンタクではないと判断した次の日が、雨だったこともあった。耳を鍛えなければ。
登戸で知る
小田急線が鉄橋を走り狛江から神奈川・登戸へと行くように、狛江の天気を知るのは、必ずしも狛江だけの情報ではない。狛江から他の場所での情報を受け取ることで天気がわかるというパターンもある。
長念寺は登戸にあるお寺。私の家から頑張れば(40分ほど)歩いて行ける距離にはあるけれど、一度も行ったことはなかった。長念寺から狛江は多摩川を挟んでいるし、その間には南武線も走り、住宅街もある。鐘の音は聞こえるのだろうか。
全然聞こえなかった。ということは明日は晴れということになるが、この日以外も、何度も耳を澄ましたけれど、一度も聞こえることはなかった。狛江が発展して、ネオ東京となり、音が届かない環境になったのだろう。
増田さんに「登戸の長念寺の鐘がよく聞こえる時は雨が降る(春から夏の南風の時)」について聞いた。
もし聞こえれば、やはりこの方法で天気を知るというのは間違いではないようだ。問題はそもそも聞こえないこと。もう狛江には5年以上住んでいるけれど、一度も聞いたことがない。狛江はネオ東京なのだ。
京王線で知る
狛江の隣は調布となる。狛江は小さいので少し歩けばすぐに調布。そして、調布には京王線が走っている。京王線も小田急線と同じく、多摩川を渡り、神奈川へと向かう。
京王線でも天気がわかるのだ。1913年に調布まで京王線は開通しているので、狛江の人々は小田急線で天気を知るより先に、京王線で天気を知っていたわけだ。もちろん私は京王線の音で天気を判断したことはない。
近くではもちろんよく聞こえる。とても大きく京王線が走る音が聞こえる。小田急線と違う音なのか、と問われれば、私には違いがわからないけれど、電車の走る音が聞こえる。問題はこれが狛江から聞こえるか、ということ。
狛江から、京王線の音は全然聞こえない。つまり明日は「雨」ということになる。果たしてこの方法は正しいのだろうか。
天気を知る方法としては間違いないようだ。ただ撮影日以外も耳を澄ましたけれど、一度も聞こえなかった。雨でも晴れでも、京王線の音は聞こえないのだ。狛江がネオ東京になった証拠だ。
堰で知る
最後の天気を知る方法は多摩川に関わるもの。狛江にとって多摩川の存在は大きい。鮎がとれ、古くは多摩川に屋形船が浮かび、都心からのやってきた人がそれに乗り、多摩川の鮎漁を楽しんだりもした。
多摩川にはいくつかの堰がある。本には宿河原堰とあるが、おそらく「二ヶ領宿河原堰堤」のこと。当時は多摩川のダムと言っていたのだと知った。いま多摩川のダムと言われると奥多摩にあるものを思い浮かべてしまう。
水が流れている。とても流れている。近くに行くと大きな音が聞こえる。それはなぜか、とても水が流れているからだ。とても流れているから、近くでは大きな音が聞こえるのだ。同じようなことを繰り返し書いてみました。
ポイントとして、二ヶ領宿河原堰堤は調布である。狛江ではない。おそらく農作業などをしながら聞こえた場合の天気を知る方法なので、調布まで聞きに行って、と言うことではない。狛江で聞こえるかが問題だ。
南風が出るということは、雨が降ることを意味している。先までの増田さんのお話を聞いて学んだ。つまり聞こえないということは南風ではないということ。ただ「よく聞こえる」と表現されているので、いつもちょっとは聞こえているということではないだろうか。
ただネオ東京となった狛江では何にも聞こえない。かすかにすら聞こえない。一応、「多摩川のダム(二ヶ領宿河原堰堤)の音がよく聞こえる時は南風」についても増田さんに聞いた。
やはり天気を知る方法としては間違っていないようだ。問題は狛江の発展だろう。だから聞こえないのだ。つまり、そんな大都会に住んでいる自分を嬉しく思います。
新しい天気の知り方
理論上は正しくても、今は通用しない天気の知り方ということがわかった。ただこのような方法は今も新しく生まれていて、先に書いた新幹線の音が聞こえたら、などがそれだ。テレビやネットの天気予報だけではなく、民間の天気を知る方法が今も生まれているわけだ。ちなみに私は実家にいた頃は、空を見ると明日の天気がわかった。野生の勘だ。
参考文献
「農家が教える 天気を読む 知恵とワザ」農文協 2020
「狛江・今はむかし上巻」狛江市 2020