生活の風景に残る掩体壕
というワケで、高知空港に残る計7基の掩体壕をすべて周ることができた。関東地方以外の掩体壕を見るのは初めてであったが、いずれも個性豊かなたたずまいである。
田園が広がる生活風景の中にひっそりと残る、異質な存在感の掩体壕。そのコントラストが掩体壕の寂寥感を際立たせ、心にグッとくる不思議な味わいを生み出しているのである。
「掩体壕(えんたいごう)」という言葉をご存じだろうか。第二次世界大戦中に築かれた、飛行機を空襲から守るための格納庫である。
関東地方では東京都の調布飛行場や千葉県の香取飛行場跡、茂原飛行場跡などに現存しており、私は以前それらの掩体壕を巡る記事を書いた(参照記事→「飛行機用の防空壕、「掩体壕」のたたずまい」)。
掩体壕は関東地方のみならず全国各地の飛行場に築かれており、中でも高知空港の近くには計7基の掩体壕が残っているという。それらは現在どのような状態なのか、気になったので見に行った。
高知空港は高知市から東へ約15kmほど、南国(なんこく)市の物部川河口に位置している。終戦前年の昭和19年(1944年)に建設された、偵察搭乗員の実技教育を行なう高知海軍航空隊の基地を前身とし、現在は高知龍馬空港という愛称で親しまれている。
現在は空港の敷地外であるものの、かつては滑走路からこの前浜地区にまで誘導路が張り巡らされており、その道筋に面して鉄筋コンクリート造の掩体壕が計9基築かれたという。
爆撃に耐え得る頑丈さなだけあって取り壊すことは容易ではないようで、終戦から75年もの月日が経った現在も7基が残っており、「前浜掩体群」と呼ばれている。
うむ、高知空港の掩体壕も実に良いたたずまいである。爆撃から飛行機を守るという機能に特化した、シンプルな構造ながら左右対称の流線形が美しい。近付いて見ると場所によって施工の状態や経年劣化の具合に差があり、それもまたなかなかに味わい深い。
ちなみに掩体壕の築造方法はまず土をカマボコ型に盛り、ムシロを引いたり木の板を張った上に鉄筋を組んでセメントを流す。セメントが固まったら中の土を掘り出して完成、という具合である。
千葉県のものは土の上にムシロを用いたものが多く、コンクリートの表面にもその質感が浮き出ていて朴訥な印象を受けた。一方でこちらは木の板の跡が多く見られ、よりカチッとした印象だ。
この手作り感ある農業車両を最初に見た時には用途がサッパリ分からなかったのだが、よく観察すると左右のキャタピラにそれぞれ座席と荷台を備えており、二人一組で作物を収獲するための車両だとアタリを付けた。が、何の作物用なのかは分からない。
――という旨をTwitterに書き込んだところ、「南国市なら葉たばこではないですか?」との情報を頂いた。どうやら南国市は葉たばこの栽培が盛んなようである。この車両は1m以上に育つ葉たばこの間を移動しつつ、葉を摘むためのものなのだ。
さて、1号掩体の北側には2号掩体が位置している。航空写真で見ると1号掩体は西向きなのに対し、2号掩体は東向きのようだ。訪れたのは午前中だったので、2号掩体の方が逆光にならずに写真向きかと思いきや、2号掩体は1号掩体とは少し様相が異なっていた。
掩体壕が邪魔で畑として利用しづらいのだろうか。周囲に田園が広がる中、2号掩体があるこの一角だけは耕作放棄地となっている。掩体壕も草木に埋もれかけており、その全容を見ることは叶わない。
ううむ、どうやら前原掩体群は一括して維持管理されているわけではなく、それぞれ個別の事情によって現存の状態が異なるようだ。
高知空港に残る前浜掩体群の中でも、4号掩体は文字通り格が違う。遠目でもハッキリわかるほどの巨大さなのだ。
他のものが高さ5m、幅22m、奥行き12m程なのに対し、この4号掩体だけは高さ8.5m、幅44m、奥行き23mと倍くらいの規模がある。前浜掩体群のみならず、私がこれまで見てきた掩体壕の中でも最大級の規模である。
バットレスは屋根の荷重が掛かる壁を支える役目を持つものであるが、アーチ状の天井が地面に達する掩体壕だと壁への負荷はそれほどでもないように思う。
それでもなお壁にバットレスが必要なほど、巨大かつ分厚いコンクリートだということだろうか。あるいは爆撃を受けても絶対に破壊されないよう、より堅固にするためだろうか。いずれにせよ、バットレスを備える掩体壕は初めて見た。まさに規格外の規模である。
前浜掩体群の中で、5号掩体は唯一保存整備が行なわれている掩体壕だ。平成24年度には発掘調査も行われており、基礎の構造が明らかになったと共に、様々な遺物が出土したという。
コンクリートはセメントに砂利と水を混ぜて作られるものだが、これほど大きな川石だと強度が低下することだろう。現にこうして石の部分からボロボロと崩れてしまっている。
よほど素材に窮していたのか、あるいは砕石の手間すら惜しむほど大急ぎで築かれたのか、この掩体壕からは旧日本軍の焦りがひしひしと伝わってくるようである。
残りの6号掩体と7号掩体は、南北に通る県道31号線の東側に位置している。そのうち6号掩体は住宅街に近い水田の中に鎮座しており、他の掩体壕からは少々見えにくい位置にある。
最後の7号掩体もまた同じような感じだろうと思っていたのだが、見に行ってみると、これがなかなか凄いことになっていて驚いた。
これには本当にびっくりし、そして思わず笑ってしまった。1982年の地図にはまだこの路地は描かれていないのでその後に整備されたのだろうが、あまりに頑丈な掩体壕を撤去するのは面倒だったのか、背後の壁だけを取っ払って道路と水路を通しているのである。
入口の高さ制限があるので通れる車両は限られるのだろうが、まぁ、生活道路としてはこれで十分なのだろう。すぐ近くには小学校があるので、その通学路としても利用されているようだ。
これまで見てきた前浜掩体群の掩体壕は木板の型枠を使っていたが、この7号掩体だけはムシロやセメント袋を敷いた上にコンクリートを流したようで、表面がシワシワになっているのが特徴的だ。
というワケで、高知空港に残る計7基の掩体壕をすべて周ることができた。関東地方以外の掩体壕を見るのは初めてであったが、いずれも個性豊かなたたずまいである。
田園が広がる生活風景の中にひっそりと残る、異質な存在感の掩体壕。そのコントラストが掩体壕の寂寥感を際立たせ、心にグッとくる不思議な味わいを生み出しているのである。
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