特集 2020年11月30日

四国遍路・修行の「奥の院」巡り

巨岩の裂目を這い上がるなど、四国遍路の奥の院で貴重な体験ができました

弘法大師空海にゆかりある四国八十八箇所霊場を巡る四国遍路の札所には「奥の院」が存在することが多い。

それは札所の近くにある番外霊場であったり、札所の開基伝説にちなむ聖地であったり、札所がかつて存在した旧境内地であったりと云われは様々であるが、中には昔から修行場とされてきた奥の院も存在する。

修行の場というだけあって参拝するにはなかなかに大変な奥の院であるが、その苦労に見合うだけの楽しさと達成感があったので紹介したい。

1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー)

前の記事:カブ遍路は歩き遍路と車遍路のいいとこ取りだ!

> 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twitter

ずっと心残りだった2箇所の「奥の院」

私は2011年の春に徒歩で四国遍路をやっただが、その時はできるだけ奥の院にも立ち寄ることを心掛けていた。札所のみならずその奥の院まで参拝することで、札所の歴史や四国遍路についてより深く理解できるのではないかと思ったからだ。

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たとえば第1番札所の「霊山寺」の奥の院は――
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少し東に位置する「東林院」という寺院である

この東林院はかつて空海が滞在し、天災や疫病に悩む農民を救うべく自らクワを振るって種を蒔いたという伝説が残ることから「種蒔き大師」とも呼ばれている。

また四国の玄関にあたる鳴門の岡崎港から霊山寺へと至る街道沿いに位置しており、かつて四国に上陸した遍路はまず東林院に参拝して心に菩提の種を蒔き、四国札所をたどることでその芽を育てたという。

要するに四国遍路を始める覚悟を決める場所だということだ。霊山寺の前に訪れる寺院なので、奥の院というよりは前の院という感じであるが、まぁ、霊山寺に関わりの深い寺院であることには違いない。

現在の四国遍路は霊山寺まで直接自家用車や公共交通機関で訪れる人が多く、わざわざ東林院に立ち寄る遍路はごくわずかであろう。今の時代において、奥の院をたどるということは、昔の遍路の足跡を追うことでもあるのだ。

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こちらは第3番札所の「金泉寺」
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その奥の院である「愛染院」は遍路道沿いにある

この愛染院は空海が自ら不動明王像を刻んで安置していたと伝わる寺院であり、第4番札所の大日寺へと向かう途中に位置している。遍路道をたどっていればおのずと門前を通ることになるので、こちらは現在も立ち寄る歩き遍路が多いはずだ。

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第5番札所「地蔵寺」の奥の院は、境内のすぐ裏手に隣接する
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東西に長い回廊状の「羅漢堂」がそれである

こちらの羅漢堂は地蔵寺の本堂裏手から階段を上がったところに建っており、内部に祀られている五百羅漢像も見応えがあるので、歩き遍路でなくても立ち寄る人の多い奥の院だろう。

とまぁ、一口で「奥の院」と言っても札所ごとに千差万別であるが、その中でも特に参拝の難易度が高いのが修行の場とされる奥の院だ。できるだけ奥の院に立ち寄ることを心掛けていた私であるが、歩き遍路の時には時間的にも体力的にも余裕がなく、訪れることができなかった奥の院が2箇所存在する。

今年の秋、改めてカブ(原付バイク)で四国遍路をやったのだが(カブ遍路の詳細につきましては、先月の記事「カブ遍路は歩き遍路と車遍路のいいとこ取りだ!」をご覧ください)、原付とはいえ徒歩よりも圧倒的な機動力で体力を温存することができ、心残りになっていた奥の院にも参拝することができたのだ。

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「焼山寺」の奥の院は伝説の大岩が圧巻!

1箇所目は、第12番札所「焼山寺」の奥の院である。四国山地にそびえる焼山寺山の中腹に位置する山寺であり、歩き遍路では第11番札所の「藤井寺」から「遍路転がし」と呼ばれる急峻な山道をひたすら歩いて行かなくてはならない。

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ちなみに「藤井寺」の奥の院は、焼山寺への山道の途中にある(右の祠)
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「遍路転がし」は文字通り転げ落ちそうな急傾斜が続く山道だ
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ようやくたどり着いた「焼山寺」の境内には、歴史を感じさせる巨木が林立する

焼山寺の奥の院は、焼山寺山の山頂(標高938m)に鎮座する「蔵王権現堂」である。焼山寺からは往復1時間半ほどの山道をさらに歩かねばならない。

私は朝7時に藤井寺を出発したものの、焼山寺に到着したのは15時頃で、参拝を終えると16時近くになっていた。山に入るには遅すぎる時間ということで、奥の院は断念せざるを得なかったのだ。

今回のカブ遍路では、念には念を入れて午前中に焼山寺を訪れた。納経所で奥の院に参拝したいという旨を伝え、登山口の場所を教えて頂く。さぁ、いよいよ、焼山寺の奥の院へと出発である。

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登山道に入って早々から結構な急坂でちょっとひるんだ
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握りこぶしのようなコブを持つ木があったりと、ただならぬ雰囲気である
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木のウロには石がはめられ台座が置かれていた。石仏でも祀られていたのだろうか

焼山寺は修験道の祖である役小角(えんのおづぬ)が開いたとされる寺院であり、昔から数多くの行者がこの山道を歩いて修行に励んだことだろう。

奥の院への道なだけあって普通の登山道とは雰囲気が少し違う感じがするものの、想像していたよりは歩きやすい山道だ。意外とすいすい登っていけたが、それはあくまでカブ遍路だからこそで、藤井寺から焼山寺まで歩いた遍路がさらに登るにはキツい道のりである。

順帳に山道を進んでいくと、やがて前方に視界に収まり切らないくらいの巨岩が現れた。まるで山の中腹から突き出たかのようなその岩は「大蛇封じ込めの岩」だという。

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下から見上げると、岩塊がせり出しており物凄い迫力だ
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オーバーハング状にせり出した岩陰になっており、石仏が祀られている
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岩の上部には祠も鎮座しており、昔ながらの行場であることがうかがえる

なんでも、かつてこの山には神通力を持つ大蛇が棲んでおり、しばしば火を吐いて農作物や村人を襲っていたという。その被害を耳にした空海が退治に向かうと、大蛇は山全体に火を放って抵抗。空海は負けじと水輪の印を結んで突き進んだところ、大蛇は山頂近くの岩窟に閉じ籠ったのでそこに封じ込めたそうだ。

その大岩が大蛇を封じ込めたという場所であり、大蛇が吐いた火により焼け山になったので焼山寺という名になったという。確かにあまりに巨大なこの岩を眺めていると、そのような伝説のひとつやふたつあってもおかしくないと思えてくるから不思議なものだ。

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「封じ込め岩」からさらに急坂を上ると「杖立権現」という祠に差し掛かった
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そこからは尾根沿いを歩くのだが、両側が切り立った崖で結構怖い
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最後の坂道を一気に上がると――
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焼山寺の奥の院、山頂の「蔵王権現堂」に到着である

焼山寺から約40分、十分な余裕をもって焼山寺の奥の院にたどり着くことができた。歩き遍路の時には訪れることができなかったこの場所に約10年越しで来ることができ、なかなかに満ち足りた気分である。

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山頂から見える景色は、ただただ山が広がるのみだ

山道をほぼ丸一日歩いてくる寺院なだけに、山深い土地であると頭で分かってはいたのが、こうして見るとやはり物凄い所である。

今でこそ車道が通され自動車でも来ることもできる札所であるが(物凄い急傾斜かつ狭路なので運転に苦労するが)、アクセス手段が徒歩しかなかった頃はまさに外界から隔絶された修行の道場であったに違いない。それはこのどこまでも山々が連なる奥の院からの景色を見て、改めて実感できたことである。

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56体の石仏に参拝してから進む「岩屋寺」の奥の院

2箇所目は第45番札所「岩屋寺」の奥の院である。岩屋寺はその名の通り巨大な岩壁を持つ岩屋(岩窟)のたもとに位置しており、他の札所にはない独特の雰囲気を醸している。

その境内は山の中腹に位置しており、歩き遍路の場合は尾根伝いの遍路道から岩屋寺へと下りて行く。一方で駐車場は山麓の集落にあるので、車両の場合は駐車場から参道を約30分歩き、中腹まで上ることになる。交通手段によって境内へのアプローチが異なる札所なのだ。

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歩き遍路の時は出口として通った山門を、カブ遍路では入口として通る
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境内まで急な上り坂が続くので、車両遍路にとってはかなりの難所だ
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岩屋の岸壁に寄り添うように本堂と大師堂が建っている

かつてこの場所では法華仙人という女性行者が岩屋に籠り修業をしていたのだが、霊地を求めて訪れた空海に山ごと献上したという。

本堂横の上部には大きな岩窟が口を開けており、これは法華仙人が修行をしていた場所なのだそうだ。

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法華仙人の岩窟へはハシゴで上ることができるようになっている
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歩き遍路の時はここに上るだけで満足していた

これはこれで思いのほか高くて少し怖かったのだが、岩屋寺にとってこの程度のハシゴは小手調べに過ぎない。岩屋寺の奥の院は「逼割禅定(せりわりぜんじょう)」と呼ばれる行場の先に鎮座する「白山権現」であり、参拝するにはなかなかの胆力が必要らしいのだ。

逼割禅定は本堂からさらに山道を上ったところ、尾根筋の遍路道から下りてくる途中に位置するので、歩き遍路の時にもその入口だけは確認していた。……が、岩屋寺まで山道を歩き続けてきた疲労と、夕暮れが刻々と迫る時間的な焦りもあって、後ろ髪を引かれつつもスルーせざるを得なかったのである。

納経所で逼割禅定に参拝したいという旨を告げて入山料300円を納めると、門の鍵と共に納札の束を渡された。この納札はなんだろうと思ったが、逼割禅定へと続く道沿いにある「三十六童子行場」を巡る為のものだという。

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年季の入った木札付きの鍵と共に、56枚の納札&お守りを頂いた
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歩き遍路の時には境内への入口だった仁王門を潜ると――
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そのすぐ先に石仏が祀られていた
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とりあえず合掌し、赤い札を石仏前の入物に納める

要は逼割禅定へとたどり着くまでにこのような石仏が56体あるので、それぞれに参拝して札を納めるのだ。よく見ると納札には一枚一枚違う石仏の名が記されているので、その順番通りに巡ることになる。

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仁王門から順路に従って進み、石仏をたどっていく
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56は結構な数であり、なかなかに大変だ

ところで「三十六童子行場」なのに56体の石仏とは妙だと思ったのだが、なんでも36の童子に20の番外札所を加えた数だという。

そのすべてに参拝するのは結構時間がかかるものの、石仏間の距離は割と短く点々と続いている。これなら迷うことはないだろう……と思っていたが、ここでひとつの問題が生じた。

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おや、この石仏の納札は緑色のようだが……
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青色の納札がまだ一枚残っている
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少し戻ると、青い納札の石仏があった。これを見落としていたようだ

石仏は大まかにいくつかのグループに分けられており、各グループごとに納札の色が違っている。なので石仏の見落としがあると、次のグループで色が合わず、抜けがあったことが分かるのだ。そのお陰ですべての石仏を巡ることができる、よく考えられた仕組みである。

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すべての石仏を周り切り、最後の札を納めると――
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その眼前に大迫力の「逼割禅定」が迫る!

仁王門から30分以上の時間を掛けて「三十六童子行場」をすべて周り切り、ついに「逼割禅定」の入口に到着した。

逼割禅定はご覧の通り巨大な岩山が真っ二つに割れており、自然にできたものとは思えないような地形である。この狭い亀裂の間を進んでいったその先に、岩屋寺の奥の院「白山権現」が祀られているのだ。

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納経所でお預かりした鍵で扉の錠前を開ける
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さぁ、いよいよ逼割禅定へと突入だ!
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巨岩の裂目を這い、断崖をよじ登る!

その不思議な造形に強く興味を惹かれながら、歩き遍路の時には立ち寄ることができなかった逼割禅定。開け放たれた扉を前に、否応なしにテンションが跳ね上がる。

「よし!」と意気込んで扉の内部に足を踏み入れた途端、ただでさえ薄暗い山中なのがますます光の量が減り、左右に岩壁が迫る回廊となった。これは……かなりの閉塞感だ。

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人ひとりがかろうじて通れる狭さで、進むにつれて傾斜も増していく

入口の付近はまだ余裕があったが、進むにつれて幅が狭まり岩壁の陰が濃くなっていく。昔から数多くの行者が通ってきたので足元はしっかりと踏み慣らされており、石段のように段々になってさえいる。

さらに奥まで行くと岩壁の幅はさらに狭まり、ついには足の幅くらいの狭さとなった。石壁に体をピッタリと挟まれ、閉所恐怖症とかの人は厳しいかもしれない。

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体を横に傾けないと岩壁に突っかかって進めない
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最後の辺りは傾斜もキツイが、岩壁の出っ張りに手と足を掛けてなんとか上る

 

岩屋寺の周辺は石礫が堆積してできた礫岩の地層であり、雨風に侵食されて剥き出しになった岩肌はゴツゴツとした石礫が露出している。これが手や足を掛けるのに丁度良く、先人たちもそうしてきたのだろう、摩耗してツルツルになった手掛かり、足掛かりがまるでクライミングジムのコースのように続いているのだ。

長きに渡り行者が手や足を置いてきた場所に、私もまた手や足を置いて上る。いやはや、悠久の時を感じさせるロマンじゃないですか。

岩壁を這い上がって体を起こすと、逼割禅定の裂目を抜けて外へと出た。そこは岩山の中腹といった感じであり、奥の院まではまだ先があるようだ。

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逼割禅定の出口から右手へと回り込んでいくと……
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今度はほぼ断崖といった感じの鎖場が現れた

一見すると鎖だけで上る必要がありそうな岩壁であるが、よくよく見ると、やはり先ほどと同じく石礫が露出している。そこに手足を掛けていけば、なんとか上れそうである。 

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デコボコしているので手足は掛けやすいが、いやこれ、かなり怖いぞ

逼割禅定とは違ってほぼ垂直に近い傾斜であり、なおかつ高さがある。石に手足を掛けられるといっても不安定な体勢になることも多く、鎖を握る手のひらも汗まみれになりかなり緊張した。

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上り切ってから下を見ると、その高さにヒエッとなった
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最後に待ち構えていたのは、岩山の頂上へと続くハシゴである

このハシゴもかなりの高さであるが、鎖よりも圧倒的に安心感があるので全くもって問題にならない。両手でしっかりハシゴを掴みつつ、一歩一歩確実に上っていったらすぐに岩山の上に出た。

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岩屋寺の奥の院、岩山の頂上に祀られた白山権現に到着だ

とりあえず祠に祀られている石仏に合掌し、無事到達できてありがとうございましたとお礼を述べる。岩山の周囲は木々に覆われていて他に何も見えず、なるほど、岩屋寺一帯の中でも特に突出しているこの場所に神仏が祀られたのは必然といえよう。

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なんとか、無事に戻ることができた!

山頂で少し休憩してから岩山を下りたのだが、鎖場も逼割禅定も上りより下りの方が恐ろしく、門まで戻った時には全身汗だくで脚はカクカクである。体力的にも精神的にもかなり疲弊したが、その分、鍛えられた感じである。これぞまさしく修行の場だ。

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最後に、門の横に鎮座する不動明王像にもお礼を言って岩屋寺へと戻った

大変だけど楽しかった奥の院

というワケで、歩き遍路の時には行くことができなかった2箇所の奥の院に参拝することができた。ずっと心残りになっていた奥の院を訪れることができ、ようやく胸のつかえが取れた感じである。

いずれも修行場らしく大変な道のりであるが、焼山寺では「大蛇封じ込めの岩」に圧倒され、岩屋寺では「逼割禅定」の裂目を這い上がるなど、そこでしかできない体験ができたと思う。四国遍路をする際には、ぜひともこれらの奥の院まで足を運んでみてはいかがだろう。

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第85番札所「八栗寺」の奥の院は背後にそびえる「五剣山」だが、現在は危険なので立入禁止になっている。いつか登ってみたいものだ

 

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