船場で繰り広げられるタヌキたちのドラマ
最初にあんたがたどこさの歌詞を復習しておこう。
あんたがたどこさ 肥後さ 肥後どこさ 熊本さ 熊本どこさ 船場さ
船場山には狸がおってさ それを猟師が鉄砲で撃ってさ 煮てさ 焼いてさ 食ってさ それを木の葉でちょいと隠(かぶ)せ
曲の前半で「おまえどこ中?」みたいなやりとりを無駄に尺を使ってやる割に、後半で同じくらいの尺でタヌキを撃って、煮て、焼いて、食って、隠すところまでを猛スピードで行うアンバランスさが魅力のわらべうたである。
「熊本弁じゃない!」「熊本の人はわざわざ肥後を熊本だと説明したりしない!」みたいな意見から熊本で生まれた唄ではなく、船場も熊本ではないという説もあるようだが、ここは素直に熊本の唄だと受け止めたい。
熊本の船場は今ではタヌキが出そうな気配もないくらい熊本市街から近い場所にある。船場町という町名が今も残る他、船場橋という橋があり、橋の隣は先ほどの洗馬橋駅もある。
唄ではあっけなく撃たれて食べられてしまうタヌキだが、船場周辺にはいくつかのタヌキ像が点在している。タヌキからしてみれば、食ったくせに銅像立てたりして「人間って情緒がぶっ壊れてるのか?」と思わざるを得ないだろうが、まぁ唄のことも像のこともたぶんタヌキは知らないので許してほしい。
食べられたタヌキへの哀悼の意も込めて、船場のタヌキたちを愛でていこう。
これは母親と子どもだろうか。子ども守ろうとする意志が表情に表れているのかもしれない。
一方で、駅の向かいにある郵便局のポストのタヌキはまた違った表情を見せてくれる。
よく見ると先ほどの駅前のたぬきたちと同じポーズをしている。先ほどのタヌキが母と子だとしたら、こちらは父かもしれない。
ちょうど駅前の親タヌキの視線の先にこの虫取りタヌキがいるのだが、もしかしたら母ダヌキが父ダヌキに「早く帰ってきなさーい!」と怒っているのかもしれない。船場で人知れず繰り広げられるタヌキたちのドラマ、いつかネットフリックスで実写化してほしい。
いろいろなタイプのタヌキに出会える街
船場ではまだまだタヌキに出会える。
そういえばタヌキは海外では珍しい生き物だ。今では人の手で持ち込まれたタヌキがヨーロッパでも生息しているようだが、もともとタヌキは日本を含む極東が原産の動物である。
そのため欧米ではあまり馴染みのない動物で、今でも空想上の動物だと思っている人もいるそうだ。日本人にとっては実生活で見ることは少なくとも、店先やキャラクターなど色々なところで目にする身近な動物なので、そのギャップに驚いてしまう。欧米の人たちはもしやタヌキにばかされていやしないか?
珍しすぎて、日本の動物園がシンガポールの動物園に世界三大珍獣といわれるコビトカバの入手を交渉したところ「タヌキくれるならいいよ」と言われて、タヌキとコビトカバを交換したこともあるそうだ。
シンガポールの皆さん、やはりタヌキにばかされていやしないか?
閑話休題。
船場橋にもタヌキのモチーフがある。
そしてもう一体、船場には一目見たら忘れられないタヌキがいる。
最初にここを通りかかったときは夜だったので、かなりギョッとしてしまった。どちらかというと昔のヨーロッパで想像されていたタヌキ寄りのタヌキである。
最初にタヌキは唄のことを知らないと書いたが前言撤回。たぶんこのタヌキは食われたことも知っている。すべてを知っているタヌキが船場にはいた。

