ふざけていたら大きな家事が片付いた
テレビにうつっているな、とかふざけてやっていたら、怠けていたテレビの処分に取りかかることができた。
何が暮らしを前に進めるか、やってみないと分からないこともあるのだ。これはきっとそういう話だ。
テレビ番組に出演することを「テレビにうつる」という言い方をすることがある。
しかし、出演しなくてもうつるだけならすぐにできるぞ。
数年前、テレビが壊れた。画面の中にもやっとした円が現れ、日に日に数が増えていき、さすがに見づらいねということになって新しいものを買った。
その時、録画したデータを別の媒体に保存し直すのが間に合わないという理由で、壊れたテレビは引き取ってもらわず、一旦家の隅に置いておくことになった。
隅に置かれた壊れたテレビは以前より一層黒々しく見え、うつっているものが気になってくる。
データのことはとっくにどうにかなった現在、純粋にうつすだけの存在となったテレビがあるのだ。
そう言えば、テレビ番組に出演することを「テレビにうつる」という言い方をすることがある。
「あのお店、テレビにうつってたね」「あの人、テレビのあの番組にうつったんだって」などと言う。
しかし、うつるだけならすぐにできるな。
テレビにうつった。
でも出演したわけじゃない。テレビ局に行ったわけでもないし、芸能人に会ったわけでもない。僕が今、自慢気にお見せしているのは光の反射だ。
意味が全然違うけど、口に出して言う限りでは同じなのだ。
テレビに歌うところがうつるなんてすごい。誰かが見て「うちのイベントで歌ってください」なんてことになったらどうしよう。
ならないのだ。絶対にならない。
テレビにうつったところを見たのは僕一人だからだ。
うつるために奥から引っ張り出してきた壊れたテレビ。またしまいこむのは愚かである。
処分するための家電リサイクル券の用紙をもらい、記入して、リサイクル料金を支払った。
テレビにうつる喜びを知ったので、外でもうつりつつ、指定引き取り場所まで持っていくことにした。
外でうつるとちゃんと画面に開放感が出る。
踊っているところがうつるなんてすごい。
動きがあると、テレビにうつる良さがまたグッと輝きを増す。テレビは動画をうつすメディアだからだ。
少し遠回りして河川敷に来た。家にあるものが外にある、という違和感が際立つ。
かっこよくも見えるし、気味悪くも見える。
真夏の河川敷である。カメラが熱を持って心配になる。10分ほどの滞在ですぐに移動した。
自分がテレビにうつり、テレビ自身のおかしな写真も撮れたので、あとはひたすら運ぶだけである。
当たり前なのだけど、テレビは、持って運ぶには重い。最初は「米の袋ぐらいか?」と思いながら歩いていたが、持ちづらさや平べったさから「重いテレビ」としか思えないオリジナルの負荷に変わっていった。
加えてこの暑さである。覚悟の上やっているとはいえ辛かった。拭っても拭っても目に汗が入った。
信号がなかなか変わらないのをいいことに立ち尽くしていると、
「押さないと変わらねえよ〜!」
という声が聞こえ、次の瞬間、自転車で颯爽と過ぎ去る声の主の背中が見えた。
押しボタン式の横断歩道だったのだ。
その後もひいひい言いながらテレビを運び、冷房が快適なあまり電車を乗りすごしたりして引き取り場所に着いた。
電車を乗り過ごさなければ間に合っただろうな、と過去の自分を恨めしく思いながら休む場所を探してウロウロした。
思えばこれがテレビと過ごす最後の時間である。
長く使って、最後にたくさんうつり、運んで重さを感じ、今はただ一緒に時間が過ぎるのを待っている。
結果として、悔いの残る隙のない、良いテレビとのお別れになったと思う。最後に歌うところや踊るところをうつしてくれてありがとう。
時間になって引き取りをお願いすると、テレビは素晴らしい手際で運ばれていった。
リサイクルされた画面には、また色んな人の歌っているところや踊っているところがうつるんだろうな。
テレビにうつっているな、とかふざけてやっていたら、怠けていたテレビの処分に取りかかることができた。
何が暮らしを前に進めるか、やってみないと分からないこともあるのだ。これはきっとそういう話だ。
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