特集 2024年4月12日

伊勢では「しめ縄」を年中飾っている

しめ縄というものがある。一般的には正月飾りの一種で、お正月が近づくと玄関に飾り、地域差はあるけれど、1月7日から15日頃まで飾り、その後はドント焼きなどで焼いて処理することが多い。

このことからわかるように、しめ縄はお正月に使われるものなのだ。しかし、三重県の伊勢辺りでは一年を通してしめ縄を玄関に飾る。春も夏も秋も冬も玄関にはしめ縄があるのだ。これはどうしてなのだろうか。

1985年福岡生まれ。思い立ったが吉日で行動しています。地味なファッションと言われることが多いので、派手なメガネを買おうと思っています。(動画インタビュー)

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しめ縄を飾る意味 

お正月はもう随分と前に過ぎてしまったけれど、その時のことを思い出して欲しい。できれば12月の終わり頃から。スーパーなどに行くと「しめ縄」を売っていたはずだ。藁で作られ、そこにはダイダイやユズリハなどもついていたかもしれない。

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しめ縄です!

最近はしめ縄を飾らない家も増えたけれど、一般には玄関に飾る。以前は自動車にもしめ縄を飾った。1988年に書かれた「伊勢郷土史草第25号」を読むと、自動車用のしめ縄についても書かれているので当時はそうだったのだ。

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ドント焼きでしめ縄を燃やします

しめ縄は、年神様を迎えるために、または厄や災難を祓う結界として飾る。年神様を迎えるという部分に重きがあるから、一般にはお正月にしかしめ縄を飾らないのかもしれない。私も長らくそう思っていた、しめ縄はお正月のものだと。

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伊勢に来ました!
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伊勢のしめ縄

三重県の伊勢にやってきた。お正月が終わって随分と経った頃だったけれど、街を歩いているとしめ縄が飾られていることに気がついた。片付けるのを忘れたのかな、と最初は思ったけれど、しめ縄があるのは一軒や二軒ではない。たくさんあるのだ。

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伊勢のしめ縄です!

そう、伊勢では一年を通してしめ縄を飾り続ける文化があるのだ。また飾られるしめ縄も伊勢型という特徴的なもの。向かって左側に藁の根の部分があって、右側に穂の部分が来る。足(上からたれている部分)は扇状の形をしており、飾り部分には必ず木札がつく。

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この地域では多くの家々で見かけます!

三重県全体がこのようなしめ縄を使うわけではない。三重県には7種類ほどのしめ縄が存在しており、多くはお正月だけしめ縄を飾る。しめ縄は県単位ではなく、もっと小さな単位で地域性が出るのだ。

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たくさん見かけました!

たとえば津地域では、1月7日頃までに玄関から片付けて、15日のドンド焼きで焼いて処理する。津市内の一部ではドンド焼きでしめ縄を焼かなければ、その年に火災等を起こすという話もある。津地域ではむしろ一年中飾ってはダメなのだ。

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伊勢では一年中飾ります(謎の記念撮影)

どの範囲で一年中飾るかと言えば、伊勢・鳥羽・志摩地域ということになる。今では必ずしもそうではないが、そもそもはそれらの地域で行っていた風習だ。

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しめ縄の写真をめちゃくちゃ撮りました!
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木札に書いてある文字から理由が見えてくる 

古くはしめ縄の多くは自宅で作っていた。大切な藁を使いしめ縄を作ったのだ。草履も藁だったし、寒さをしのぐ何かも藁だった。対馬の豆酘という地域には「藁小作」もあった。小作人は地主の田で米を作り、米を納め藁だけもらうのだ。藁は大切なものということだ。 

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藁で作られています!

今は業者が作っている。1988年の資料を見ると玉城町がしめ縄の生産量が県下で1、2位を争うとある。伊勢に詣でた後に偶然見かけた雑誌にも玉城町のしめ縄の会社が紹介されていた。今回紹介しているしめ縄もその会社が作っていた。

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昔は家々で作っていました!

このしめ縄を見ていると木札にいくつかの違いがあることに気が付く。「蘇民将来子孫家門」、「笑門」、「千客萬来」の3つが多い。歴史的には「蘇民将来子孫家門」が始まりのようだ。

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書いてありますね!

「笑門」は明治末から大正頃に玉城町の農家が書き始めたそうだ。「千客萬来」もやはり玉城町が始まりだけれど、しめ縄業者が書き始めたものと言われている。商店街を歩くと「千客萬来」の木札があるしめ縄が多い。

結界に重きがあるので、一年中飾る

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千客萬来

始まりは「蘇民将来子孫家門」だ。ではなぜこの文字をしめ縄に飾るのだろうか。その理由を知れば、一年中しめ縄を飾る理由もわかる。

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伊勢で見かけた病院は、
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「笑門」でした

この地域の神話にこんな話がある。

ある時、スサノオが南海を通る途中で「蘇民将来」と「巨丹将来」という兄弟に宿を求めた。弟の巨丹将来は金持ちであったけれど、スサノオを断る。兄の蘇民将来は貧しいけれど宿を貸し、栗の飯もすすめた。スサノオは感動し、「蘇民将来子孫」と書いて渡した。これを門に飾れば、災いから逃れられると。

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こういうパターンも稀にあります!

この話はいろいろなパターンが確認できる。牛王(ごおう)という玉を蘇民将来にあげたとか、茅輪を作ったとか。しかしどれも疫病などから逃れ、子孫繁栄するということになる。

つまり結界としての役割が強く、一年中しめ縄を飾るということになったのだろう。

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結界に重きがあるので、一年中飾るわけです!

1988年の資料によると、地元の人々は二見町にある松下神社で木札を受け取りしめ縄に飾ったそうだ。この神社は牛頭天王(スサノオ)が祀られているため、牛頭天王と関わりのある蘇民社(蘇民将来)も祀られるようになったと思われる。

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安全っていうのもあった!
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自宅に飾る 

一年中の飾るしめ縄なので、いつ新しいものにするのか。それは意外に簡単で12月31日に新しいものに掛け替えられる。古いものは年明けの神事で燃やされることが多い。しかし、一部の地域は不幸があるまで重ねがけする風習もある。十数本ものしめ縄が飾られていることもあったそうだ。幸せでいいことだ。 

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私は一つだけのものしか確認できなかった!

年中飾るしめ縄のことを知ると、私も飾ってみたくなった。どこかで買えないかと伊勢を歩いていると売っていたので買った。1300円。高いのか、安いのか、わからないけれど、縁起物だから問題ない金額に感じられる。

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買いました!

今まで見かけたものからすると、少し小さく感じられるが、私の家に飾るにはちょうどいいサイズだ。藁とウラジロが使われている。ウラジオは腹が黒くないという意味で、葉の裏側を表に向けて飾る。そう、私は腹が黒くないのだ。

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自宅の玄関に飾りました!

一年中がお正月

しめ縄はお正月のものだけではないと知った。調べてみるとそこにはいろいろなお話があって面白い。地域性の高さも面白い理由の一つだ。私はその文化圏にいなかったので、しめ縄を今も飾っていると毎日がお正月のようでめでたい気持ちになる。毎日が新年なのだ。今日もあけましておめでとう。

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たくさん売っていました!

参考文献
「宇治山田市史下巻」宇治山田市役所 1929
「伊勢郷土史草第24号」伊勢郷土史会 1988
「伊勢郷土史草第25号」伊勢郷土史会 1989
「伊勢市史第八巻民俗編」伊勢市 2009
「二見町史」二見町史編纂委員会 二見町役場 1988
「伊勢市の民俗」伊勢市民俗調査会 (財)伊勢文化会議所 1988
「民間暦」宮本常一 講談社 1985

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