30年以上前に遊んでいたゲームと対面する
「子どもの頃、恐竜の卵を奪うゲームで遊んでいた気がする」と、私はたまに思い出しながら42歳になった。実家に帰ってもそのゲーム機はもう見当たらないし、古いゲームだから町で見かけるようなことも当然ない。でも確かに、そういうゲームが家にあって、夜遅くまで夢中になって遊んでいた記憶があるのだ。
先日、また「あのゲームはなんだったんだろう」と思い出した瞬間があり、「恐竜 卵 ゲーム」というワードで画像検索してみたところ、あっさりとそれが見つかった。今までの私はなんでちゃんと検索してこなかったんだろうと不思議になったが、まあ、こういう出会いにはタイミングというものがあるものだ。
「CAVE MAN(ケイブマン)」というのがそのゲームの名だとわかった。改めてその名前で検索してみると、古いゲーム機を詳しく解説しているブログが出てきて、1981年にトミーから発売されたものだという情報があった。「LSIゲーム」と呼ばれるものの一種で、その中にはゲームウォッチなども含まれるそうだ。ファミコンのようにソフトを入れ替えて遊ぶのではなく、筐体とソフトが一体になったものである。
ちなみにトミーのLSIゲームは「ケイブマン」以外にも「スクランブル」、「ルパン黄金強奪作戦」などなどといったシリーズあるそうで、シリーズの中では「ケイブマン」はそこまで人気がなく、ちょっと地味めのものらしい。
さらに検索を続けるとケイブマンを売っている通販サイトが見つかった。ものすごく高いと感じるような金額ではなかったため、衝動的に購入。数日後、小包が届いた。
箱を開けると……これだこれだ!!
電源を入れると不思議な気持ちに
本体を眺めているだけでぼーっとした気持ちになってきて過去の記憶が引きずり出されそうである。
作りはシンプルで、左側に「MOVE」と書かれたレバーがある。
右側に「SHOOT」と書かれたボタンがあり、中央あたりに電源を入れるスイッチと難易度を「AMA」か「PRO」かに切り替えるスイッチがある。
アダプターをつなげて電源スイッチをON側へスライドさせてみた。
思わず「ああー!!」と声が出る。これなのだ。「ビシッビシッ」みたいな電子音がなり、「SHOOT」ボタンを押すと「テーレテーレテレレレー」みたいなメロディが流れてゲームが始まる。その音を聴くだけで胸がざわざわしてくる。
恐竜が大事にしている卵をひたすら奪っていくというゲーム
ゲームの内容を簡単に説明すると、プレイヤーは石オノを持った原始人を「MOVE」レバーで左右へ移動させ、「SHOOT」ボタンを押すと石オノを投げることができる。
石オノがタイミングよく恐竜の頭にヒットすると恐竜がしばらく動けなくなるので、その間に足元まで移動し、卵を奪う。
で、左端にある自分のすみかに持ち帰る。卵が一定数たまるとクリアとなり、次のステージへ。
というゲームなのだ。「生きることは奪うこと」といったような、なかなかにシビアなメッセージ性を感じるゲームである。
恐竜の足元の卵をしばらく取れずにいると、卵がかえってしまう。この赤ちゃん恐竜がなんとも可愛いのだ
こんな可愛い赤ちゃんが生まれる元となる卵を、何個も奪う……。なんというゲームだろうか。
ステージが進むと原始人のためた卵を奪う怪鳥が飛んできたり、火山が噴火して火の粉が降ってきたりして難易度が上がっていく。
ポンセのことを思い出した
しばらくケイブマンをプレイしていると、自分が夢中になって遊んでいた頃の記憶がよみがえってきた。
私はこのゲームをしながらプロ野球中継のラジオを聴いていたのだった。小学生の頃、ほんの一時期だけプロ野球が好きだった時期があって、ジャイアンツが好きだったからよくテレビでナイター中継を見ていたのだ。試合が長引くとテレビの中継は途中で終了し、そこからはラジオの実況を聞くことになる。そうやってラジオで試合の続きに耳を傾けながら、このゲームで遊んでいた憶えがあるのだ。
中でもはっきりと覚えているのが、ラジオを聞いていると、横浜大洋ホエールズ(現在の横浜DeNAベイスターズ)のポンセという外国人選手が大活躍し、ジャイアンツ好きだった私が「ポンセ、かっこいい!」と思ったことである。
カルロス・ポンセ。メジャーリーグではいい成績を残せず、1986年に横浜大洋ホエールズに入団。するとすぐにチームの主戦力となって活躍し、1987年にはセ・リーグの打点王になっている。翌、1988年がポンセが最も輝いた年で、2年連続でセ・リーグの打点王に輝いたのに加え、最多本塁打のタイトルも獲得している。口ひげを生やしていたことから「マリオ」の愛称で親しまれ、その年のオールスター戦のメンバーにも選出されている。
しかし、1989年になるとその勢いは失われ、1990年には引退してしまう。つまり、私がケイブマンをやりながらポンセの活躍をラジオで聞いていたのはおそらく、1987年か1988年のことだったのではないかと思われるのだ。
1987年か1988年というと、私は小学校の2年生か3年生だった。ファミコンが発売されたのは1983年で、1987年頃にはもう学校の友達はだいたいみんなファミコンで遊んでいた。ケイブマンのようなLSIゲームはすでに古くなりつつあったはずだが、うちはなかなかファミコンを買ってもらえなかったから、「ファミコンうらやましいな」と思いながらケイブマンで遊んでいたんだろうと思われる。なんだか切ない。
あの頃食べていたお菓子を食べつつゲームする
ポンセを軸に、私がケイブマンに熱中していた時期がだいたいわかった。1987年、1988年頃に発売されたお菓子を調べてみたところ、1987年には「スコーン」「チョコあーんぱん」「ラーメンばあ」などが、1988年には「ぬーぼー」「ケンちゃんラーメン」「ヤングドーナツ」などが世に出たようである。
これで完全にわかった。私はケイブマンをやりながらケンちゃんラーメンをよく食べていた。志村けんがモチーフになった商品で、子ども向けのミニサイズのカップ麺である。私はそれにお湯を入れず生でバリバリかじるのが大好きで、それと一緒に「ファイブミニ」など、当時出始めた健康にもよさそうな炭酸飲料を飲むのが定番だったのだ。
調べてみると、ファイブミニの発売も1988年だというではないか。つまり、私がケイブマンをやりながらケンちゃんラーメンをかじってファイブミニを飲んでポンセの活躍をラジオで聞いていたとすれば、それは1988年に違いないのである!
そうとわかれば、ケンちゃんラーメンをかじってファイブミニを飲みながら今、改めてケイブマンで遊んでみようではないか。ポンセの活躍を告げる1988年のスポーツニュースの動画がYoutubeに上がっていたので、その音声も流せば気分がより高まるであろう。
残念ながらケンちゃんラーメンは現在販売されていないため、おそらく同系統の味だと思われる「ポケモンヌードルしょうゆ味」を買ってきた。
ファイブミニは今も現役で販売されているからすごい。
よし、祭りの始まりだ!
まずはポケモンヌードルから。
この味だ!ほぼケンちゃんラーメンと同じ!そしてファイブミニだ。
そしてすかさずケイブマンをプレイ!
かじって砕けたポケモンヌードルの麺がケイブマンの本体に乗っかり、その光景をみた瞬間、自分が1988年にタイプスリップしたかのような気分になってクラクラした。一瞬のことだったが、あの頃と今がトンネルでつながったような気がする。
好きなお菓子を食べてゲームして、のん気な小学生気分を思う存分味わった。撮影はわが家の小学生男児に頼んだのだが、「お菓子かゲームか、どっちかにした方がいい」と注意を受けた。
懐かしいゲームで遊んでみたら、予想以上に色々なことを思い出した。子どもの頃、ケイブマンの画面に表示される青や赤の光にワクワクして、この光の先に面白い未来が待っているに違いないという胸の高鳴りを感じていた。そのの気持ちをかなり鮮明に呼び戻すことができた。
ボタンを押した時の手触りや操作音に加え、一緒に食べたお菓子の味とか、色々な感覚を重ね合わせることで、より当時の気分がはっきりと思い出せた気がする。
1988年か。あれから色々なことがあったが、ケイブマンはこうして今も問題なく動くし、ファイブミニも売ってるし、案外変わらないものも残っている。
そして、途中で気づいたのだが、私はもう大人なので、ケイブマンで遊びながら酒を飲むこともできるのだ!
これはあの頃の自分にはマネのできないことだ。あの頃もよかったけど、今は今で楽しい気がする!