……やはり、反復横飛びしかないか
しょうがないので、反復横飛をすることにした。
その行為自体に意味は無い。ただ、寒いデッキにいる以上、少しは体の温まるようなことをしたほうが良いかと思ったのだ。
……なんだろう、何かが間違っているような気もする。
いや、そう感じるのは気合が足りてないだけだ。集中していないからだ。もっと根性を入れて反復するんだ。心を無にして反復するんだ。
寒くてどうしょもない。吹きすさぶ風も、私を見る通行人の目も。 とても耐えられない。特に後者が。
おまけに、船の揺れもなんだか激しくなってきた。海の向こうを見ると、そこにはぼんやり浮かぶ島の影。どうやらそれは、伊豆大島であるようだ。
波が静かな東京湾から外洋に出てしばらく、いよいよ本格的に波が高くなってきたらしい。
動がダメなら静で行け!
揺れはますます激しくなり、支えなしで立っているのが辛くなってきた。高い波が船に打ち付け、時折デッキにも波しぶきが飛んでくる。 もはや反復横飛びなんてできる状態ではない。横に飛んだら、そのまま海の中へ落ちてしまいそうな気がする。
立つのがダメなら、座ればいいじゃない。
というワケで、今度は座禅で時間を潰すことにした。目をつむっていれば、そこにあるのは自分だけの世界。船の揺れや人の目なんて、一切気にならなくなるだろう。
こう見ても私は、インドのブッダガヤ(ブッダが悟りを開いた仏教の聖地)にある日本寺で座禅の仕方を教わったことがあったりする。その経験を今に活かすのだ。
荒波に揉まれる船の上、自分自身と真正面から向き合うことで少しでも時間が潰れれば良い。……が。
結局、開始して5分足らずで私は船内に避難した。
だって、信じられないくらいに船が揺れるんだもの。思いっきり水しぶきをかぶってしまったんだもの。寒いんだもの。
逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ
いや、これじゃぁダメだ。ちょっと寒いからって、ちょっと塩水をかぶるからって、そこからすたこら逃げだしてしまうなんて。それでいいのか私の人生。
そうだ、やっぱり外に出よう。言わば、これは私と海との闘いなのだ。この航海は、私がどれだけ長くデッキにいられるかを大海原が試しているのだ。ならば私は外へ出なければならない。その挑戦を受けねばならない。
しかしこの相当な揺れの中、外で一体何ができるのかと言えば、まぁ、波を見ていることぐらいか。
船が波をはじくたびに作られる白い泡。泡は流れ、再び新たな泡が際限なく作られていく。
その次々変わっていく泡の様子をじっと見つめていると、いはやは、なんていうか頭の中がぐるぐるする。意識がおかしなところへ飛んでしまいそうになる。
これはやばい。このままではどうにかなってしまいそうだ。そして、私は……
酔った
足がふらふらになり、そして妙な何かが胸の奥から込み上げてきた。 要するに、酔った。
私は忘れていた。船に乗っている時、近くの波などをじっと見るのは自殺に等しい行為だったことを。途端に気分が悪くなり、吐き気をもよおす。
あぁ、もうダメだ。船室へ戻ろう。横になろう。
結局、私は寝た。夕方4時くらいから、翌日の朝まで、ただひたすらに寝続けた。この揺れに酔っているのは他の乗客も同じのようで、 夕食時にも席を立つ人はほとんどいなかった。
後から知った話だが、年末、日本全土を覆った寒気の影響で海は大荒れとなり、この私が乗ったおがさわら丸は、普段に無いくらいに揺れていたらしい。
そんな地獄のような船の中、朦朧とした意識でかすかに聞いたトドメのアナウンス。
「これから、さらに船が揺れることが予測されます」
もうどうにでもしてくれというような気持ちの中、私は寝た。
翌日11時過ぎ、おがさわら丸は父島に入港した。父島はとても暖かく、昨日までの寒さが嘘のよう。だが、天気はあいにくの雨。船酔いにやられた私の心情を表したのか。
船を下りても、何だか足が地に付かずふわふわしたままだ。まだ揺れているという感じが収まらない。その妙な感覚のまま、私は宿へと向かうことになった。
これで終わったのはあくまで前半戦。これからさらに帰路が残ってる。後半戦では、せめて波が静まってますように。