今回、1987年の雑誌を読んであらためて実感したことがある。
都や国レベルのビッグプロジェクトの場合、10年以上たってようやく実現される(もしくはされない)ということだ。
そう考えると、現在という時間は10年前に誰かが見た夢の中にいるのかもしれない。
バブル時代の勢いを感じたい。
1989年生まれの自分にとっては、もう生まれているのにバブーと訳も分からず経験できなかった時代だ。
それが前からもどかしかった。
1987年の雑誌『東京人』を読んでみたら、その圧倒的な自信に満ち溢れた空気と、東京が描いていた壮大な未来像を垣間見れて驚きの連続だった。
『東京人』という1986年発刊の雑誌をご存知だろうか。
その名の通り東京に関する月刊情報誌で、暗渠特集や井上ひさし特集、純喫茶特集など、良い意味で枯れた大人の趣味といった感じの雑誌だ。
最新号は「シティ・ポップが生まれたまち 1970-80年代TOKYO」という特集が話題を集めているが、今回手に入れたのは、まさにその80年代当時の雑誌である。
元はといえば『ザ・ニューヨーカー』を目指して作られた雑誌というだけあって、これが結構とがった内容なのだ。
今では回顧的な特集の多い『東京人』だが、この号では上昇いちじるしい東京の未来が熱く語られている。
今の東京を歩きつつ、そんな熱い時代を懐古したい。
時は1987年。銀座で1坪1億円を超える土地があらわれ、マイケル・ジャクソンが後楽園球場で来日コンサートを行い、アニメ「シティハンター」が放送を開始した年だそうだ。
『東京人 第6号』の巻頭、伊藤善市氏という経済学者が書いた「世界都市東京の役割」というコラムには、そんな東京の圧倒的自信が全面にあふれていてドキドキする。
コラムの内容をざっくり言うと、地方からは東京一極集中が批判されているけど、東京は海外から世界都市としての役割を期待されているため、「東京テレポート」を作るなどの都市機能の再整備が急務である…!といったものだ。
2021年を生きているのに、テレポートをよく知らない。そんな駅名があったかも…くらいだ。
日本はそれほどまでに弱体化してしまったのか、たんに死語となったのか。
調べてみると、テレポートとは船の港(port)、飛行機の空港(airport)に続く情報の港(teleport)のことであり、国際化&高度情報化がすすむであろう21世紀に向けて計画された、衛星通信設備や光ファイバーケーブルネットワークなどを備えた国際的情報基地のことだそうだ。
ちょっとワクワクする懐かしい近未来感だ。
そして東京テレポートとは、東京港埋立第13号地に計画されていた、今の臨海副都心(お台場、青海、有明地区)のことなのだ。
その計画の理由もかっこいい。
当時は「世界全体が日本からの資金供給に依存」しており、「東京とニューヨークが世界の金融センターとして整備されれば、地球レベルでの二十四時間フル稼働が可能」とされている。そのために、テレポートの整備は必要不可欠だったそうだ。
大それた話だ…と思うも、当時の株式市場の上場時価総額はニューヨークが約2兆円に対し、東京は1兆7000億ドル。ロンドンが3500億ドル、香港が200億ドルだったそうだ(同コラムより)。
日本全体が若気の至りだったかのように回顧されるバブル時代。
でも、バブルを知らない世代からすると言うだけのことはあるし、今の日本スゴイよりもずっと実を伴っているじゃないかと思う。
当時の急激な地価上昇については、「東京が世界のビジネスセンターとして前途有望を意味するということであり、まさに世界が東京を国際化しているのである。」と書かれており、1987年の東京は世界各地からビジネスエリートが集まる「世界交流の広場」となる真っ只中にあったのだ。
そんな時代に計画された東京テレポート。
11万人が働き、6万人が住む職住遊の巨大な未来型都市が誕生するはずだった。
が、ネタバレを知ってしまった映画のように、過去の栄光はワクワクするだけじゃいられないのが辛いところだ。
バブル崩壊とともに、テレポート構想は大きく変更を余儀なくされることとなる。
とはいえ、さすがに日本の首都だけあって、形は変えながらも臨海副都心は今に生きているようだ。
今の青海地区は、ぶっきらぼうな港湾っぽさと、近未来感が交錯する魅力的な場所に感じた。
この東京テレポート構想の実現しなかったクライマックスは、デイリーポータルZで辰井裕紀さんが「幻の「'96 世界都市博」を追う旅 ~ビッグサイトに明治の路面電車、ケーブルカーが走る~」という記事にしているので、そちらも是非読んでいただけると全容が分かりやすいと思う。
ちなみに、東京テレポート構想が最も実現したのはエンタメ地区であるお台場で、最も実現しなかったのは超高層住宅が林立するはずだった有明北地区である。
一方、30年間空地のままだった有明北地区はオリンピック会場として今やっと手がつけられている。
東京テレポート構想の方にずいぶん入れ込んでしまったが、もっとビックリしたのは『東京人 第6号』のもう一つの巻頭コラム、「新東京人の条件」(磯村英一氏)だ。
国際都市東京に必要なコンベンションセンター「東京国際フォーラム」と、未来に生きる東京人の条件について論じられたコラムである。
東京がニューヨークに肩を並べようかと思われた時代である。
「東京自体が脱日本の性格をもたざるをえない必然性におかれている」のだ。
そんな未来に生きる「新人類的東京人」の条件として、
の三つが挙げられている。
この圧倒的エリート志向…!
そして、都心3区(千代田区、中央区、港区)は発展し過ぎて行政区画が変わり、今の23区ですらなくなっていることまで予見されている。
もはやSFチックというか、『AKIRA』のネオ東京っぽい。
さらに、都心で10年働いた外国人に対して、「準都民」という資格を作ったらどうかという提言までされているのだ。すごい自信だ…!
たしかに、今の東京は間違いなく多様化しているけど、当時の「外国人」とは欧米のエリートビジネスマンをさしているんだろう。
そんな新人類的東京人達にも、相田みつをに癒されるひとときがあるのだろうか。
最後に紹介したいのは、『東京人』の中でさかんに特集されている江戸東京博物館だ。
明治以降、欧風化をおし進め、ついには世界都市にまでのぼり詰めた東京である。
西欧諸国に負けないくらいお金持ちになり、ふとヨーロッパと自分を比べてみたくなったとしよう。すると、ぽっかりと歴史が欠けていることに気付く。
近代化の中で否定した江戸に目がいくのも当然だろう。
そんな「文化的エアーポケット」東京に計画された江戸東京博物館。世界都市東京において、海外に東京の歴史をアピールするねらいもあったのだろう。
雑誌の中では展示構想も語られている。
震災復興・戦後復興を「フェニックス東京」と称していたのが無駄にかっこよかったくらいで、こちらは現在ほぼ実現しているものだった。
バブル時代の構想がちゃんと今につながっている気がして、すこし安心した。
また、「東京のなかのアジア的空間」というコラムも面白かった。
築地市場が台湾やインドなどアジアの都市のようだと取り上げられている。
雑多な超高層ビル群もアジアの風景のひとつとなった今読むと、東京はどこをとってもアジアそのもの…と思うのだが、そうか、この当時はまだ東京にしか超高層ビル群に代表される都会的空間はなかったのか!
当時の超高層ビル群は「脱亜入欧」の証だったのだ。そんな時代がつい30年前まであったのか。
あらためて、30年は短いようで長い。ほぼ自分の年齢だものな。
今回、1987年の雑誌を読んであらためて実感したことがある。
都や国レベルのビッグプロジェクトの場合、10年以上たってようやく実現される(もしくはされない)ということだ。
そう考えると、現在という時間は10年前に誰かが見た夢の中にいるのかもしれない。
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