特集 2018年9月27日

「4年の学習」伝説の読者投稿コーナー「ピコピコシティ」

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かつて学研が発行していた「科学」と「学習」という雑誌をご存知でしょうか?
1946年に創刊された学習雑誌で、「◯年の科学」「◯年の学習」というタイトルで、小学1~6年までに向けたそれぞれの内容で発行される月刊誌でした。
「科学」と「学習」は残念ながら、2010年、2009年に休刊となっていますが、ピーク時には頻繁にテレビCMも放送されており、懐かしく感じる方もいらっしゃると思います。

僕も子供時代、親が定期購読してくれており、楽しみに読んでいたのですが、その中に、トラウマ級に僕の心に刻まれたあるひとつのコーナーがありました。
それが、「4年の学習」の読者投稿コーナー「ピコピコシティ」。

当時読んでいなかった方には、こんなコーナーがあったということを知ってもらいたい。
そして、僕と同じように読まれていた方には「あったあった!」と思い出してもらえたら嬉しい。
そんな想いから、今回は、インターネット史上でも初めてかもしれないくらいじっくりと、「ピコピコシティ」について掘り下げてみたいと思います。
1978年東京生まれ。酒場ライター。著書に『酒場っ子』『つつまし酒』『天国酒場』など。ライター・スズキナオとのユニット「酒の穴」としても活動中。

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いきなり作者のくぼやすひと先生が登場します!

あらためて、「4年の学習」とはこんな雑誌でした。
1986年「夏休み特集号」
1986年「夏休み特集号」
あぁ、子供の頃思い描いた未来、こういうのだった……
あぁ、子供の頃思い描いた未来、こういうのだった……
この「4年の学習」を舞台に、1983年から16年間も連載されていた、漫画ベースの読者投稿コーナーこそが「ピコピコシティ」(年によっては「ピコピコシャワー」「ピコピコエクスプレス」「ピコピコシンドローム」など、別タイトルだったこともあり)。
こんなページです!
こんなページです!
はい、どうでしょう!?
「思い出した!」「好きだった!」って方、いらっしゃいませんか?

実は僕、好きで読んでいた科学と学習の、他のページについての内容はすっかり忘れてしまってるんですが、このピコピコシティに関してだけは強烈に記憶に残っているんですよね。
それくらいにインパクトが大きくて、自分にとって最高におもしろいコーナーだった。

そこで今回はなんと、作者であるくぼやすひと先生に、実際にお話を聞いてしまいます!
というわけでここからは、撮影に同行してくださった古賀さんも交えてのインタビュー形式でお送りしたいと思います。

インタビュースタート

古賀:
今回の企画を提案いただき、そして実際にくぼ先生との場をセッティングしてくれたのもパリッコさんですが、そもそもいち読者だったパリッコさんが、なぜくぼ先生に連絡を取れたのでしょう?

パリ:

話はそうとうさかのぼるんですが、僕が仕事でちょこちょこと漫画やイラストを描かせてもらうようになりはじめた10年近く前、インタビューなどで「影響を受けた漫画は?」と聞かれると、必ず「原体験は『ピコピコシティ』です」って答えてたんです。そしたら、くぼ先生が偶然それを目にされたようで。

くぼ:
クリエイター的な活動をされている方で、実際にお会いすると「ファンでした」って言ってもらえたりすることはあるんだけど、あんなに直接的に僕の名前を出してくれている人は珍しかったんです。それで、リンク先を見てみたりして、「おもしろいことやってる人だな」って。

パリ:
そして忘れもしない、2010年6月28日。僕がとあるオールナイトのイベントで、ライブペインティングをやらせてもらってたんですね。大きなキャンパスに、生で絵を描くパフォーマンス。DJイベントが開かれてる、青山の小さなクラブの前の道ばたでやってたんですけど、深夜の3時くらいかな? ベスパに乗ってやってきたひとりの紳士が「パリッコさんですか? くぼやすひとです」って声をかけてくれて。

古賀:
なにその映画のワンシーン!

パリ:
それまでにネット上でやりとりしたことがあったとかでもなくて、一瞬なにがなんだかわからなかったんですが、「その名前、強烈に知ってる!」って。

くぼ:
あの時、ちょうど漫画の締め切りが終わったタイミングだったのかな? なにげなくネットを見てたらそういう情報を見かけたので「散歩がてら行ってみようか」と(笑)。

パリ:
驚きますよ! そもそもね、見てください。当時僕が慣れ親しんでいたくぼ先生の自画像、これなんですよ。
ずっとこういう人だと思ってた
ずっとこういう人だと思ってた
古賀:
イメージが違いすぎる(笑)。

パリ:
あまりにダンディなので名前と結びつくまで時間がかかった(笑)。そんなきっかけで知り合わせてもらって、その後飲みに行っていろいろな話をさせてもらったりもしたんですが、ほどなくして先生が愛知県に引っ越されてしまうことになって。

くぼ:
今日はそれ以来だよね。だから、実際に会うのは3回目。

古賀:
そんなパリッコさんに今日お持ちいただいた当時の史料の数々。これまた、なぜこんな貴重なものを持っているんですか?

パリ:
その後も先生とは、メールや手紙ではやりとりを続けさせてもらっていたんです。年に数回とか、まるまる1年期間があいてしまうようなこともありつつ。

くぼ:
そうしている間に、パリッコさんが本を作ったり、ライターや編集の仕事なんかをどんどんするようになってきて。僕も手元にある「ピコピコ」の膨大な原稿をどうしたものか迷っていたので、一度、ファンだと言ってくれて、しかも出版業界にも関わっているパリッコさんに見てもらうのもいいんじゃないかと思って、少しずつ送ったりしてたんだよね。

パリ:
ありがたいことに。こうやって記事として紹介させてもらったり、何かできることもあるんじゃないかと思って。
古賀:
すごい、ファン代表じゃないですか!

パリ:
光栄すぎます。というわけで、普通ならば学年が変わると自動的に読めなくなってしまう「ピコピコシティ」の当時の原稿、刷り出し(印刷見本)や、コピー、画像データを合わせると、今ここにほとんど揃っているという、すごい状況なんです。

古賀:
なんと!
それでは振り返っていきましょう
それでは振り返っていきましょう

連載開始までの経緯

くぼ:
僕の漫画家デビューは『週刊少年マガジン』だったんですが、そこで連載していた漫画が終わった時、同じ講談社の児童書部門の方から「終わったなら時間あるでしょ?」って、そのキャラクターを使った学習漫画の依頼があって、何冊か描き下ろしたんですね。それを見た学研の社員さんが「学習雑誌にちょうど良さそうだ」と、僕に連絡をくれたのがきっかけで。

パリ:
そこから16年間に渡る連載が始まったんですね。こちらが、記念すべき第1回目の刷り出し。
80's的ポップさが今の時代に新鮮
80's的ポップさが今の時代に新鮮
この時は主要キャラクターたちが違った
この時は主要キャラクターたちが違った
くぼ:
1年目は、自分主体で何かを作っているという感覚はなかったんです。レイアウトもほぼ決められていて、そこにリクエストされたカットをはめこんでいくという作業だった。「漫画を描いている」という感覚もなかったな。

パリ:
この年だけはキャラクターも違ったんですよね。主人公が、ナポリ、U作、ケーコという3人で、ギャグもどこか優等生的です。

古賀:
でも、絵がすごくかわいい!

くぼ:
ところが2年目になったら突然、どーん! とハガキを持ってこられて「はい、これでお願い」ということになって。

パリ:
「もう慣れたでしょ?」っていう感じですかね(笑)。

くぼ:
任されたというと聞こえはいいけど、すべてを放り投げられた(笑)。
以降15年間はこちらの、愛作、ブルース、みみ美が主人公となる
以降15年間はこちらの、愛作、ブルース、みみ美が主人公となる

最大の魅力は、子供に媚びないやりたい放題感!

パリ:
僕がピコピコに心酔した理由は、自分たち子供にまったく媚びていない、容赦ないやりたい放題感だったんです。2年目から先生主体で作ることになって、そうなっていったというわけですね。

くぼ:
だけど今見返すと、まだ遠慮があるよね。やっぱり、年を追うごとにエスカレートしていったんでしょう。

パリ:
いやでもこういうの、「ピコピコらしいな~!」って感じます。
子供が一生懸命描いたイラストに対するコメント
子供が一生懸命描いたイラストに対するコメント
くぼ:
ほんとだ(笑)。もう、大人目線でおもしろがってたんですよ。真面目に描いてくれた子としては「ガーン!」って感じかもしれないけど、この絵、点描と呼ぶにはあきらかに点が少ないし。

古賀:
厳しい!

パリ:
だけど、そこが良かった。僕としては、生まれて初めて自分たちを子供扱いせずに対等にぶつかってきてくれる大人に出会えた! という感じで、すごく刺激的だったし、心の底から笑えたんです。

くぼ:
そんなに真面目な志でやってたわけじゃないんだけどね(笑)。小学生の書いてくれるハガキだから、文章や漢字が間違えていることもあって、一般的な大人、しかも学習雑誌なら、そもそも採用しなかったり、「正しくはこういうことだよね?」と補足してあげたりすると思うんだけど、僕にしてみたら恰好のネタだった。「これ、いじれる!」っていう。

パリ:
読者が主役のページであるようでいて、実はくぼ先生にネタを提供する存在だったと(笑)。

パリッコがリアルタイムで読んでいた1988年の原稿を例に

パリ:
もうね、本当にぶっ飛んでるので、今日はぜひ古賀さんに「読んでいなかった側代表」になってもらって、ピコピコの魅力をプレゼンさせてください。

古賀:
ぜひぜひ。

パリ:
これ、まさに僕が読んでいた年の原稿なんですけど。
1988年のピコピコシティ1年ぶん!
1988年のピコピコシティ1年ぶん!
古賀:
おおおー! パリッコさんの家に本は残っているんですか?

パリ:
いや、それがないんですよ。今思うともったいないんだけど、読んである程度したらまとめて捨ててしまっていた。何の疑問も持たず、「雑誌とはそういうもんだ」と思っちゃってて。

古賀:
それじゃあ久々の出会いだったんですね。内容、覚えてるもんです?

パリ:
30年近い年月を超えて読み直してみても、びっくりするほど「あったあった!」って思い出して。
このカラーページのたまらなさ!
このカラーページのたまらなさ!
例えば何の説明もなく登場する
例えば何の説明もなく登場する
「少年隊のヒガシの父親」というキャラクター、東山ピョロ郎
「少年隊のヒガシの父親」というキャラクター、東山ピョロ郎
連載6年目にして下ネタ花盛り。そしてピョロ郎は普通にレギュラーに
連載6年目にして下ネタ花盛り。そしてピョロ郎は普通にレギュラーに
ピュアな女子小学生に対し容赦なくウソをつく
ピュアな女子小学生に対し容赦なくウソをつく
他にも異常なキャラクターだらけ
他にも異常なキャラクターだらけ
パリ:
この桑名編集長のルックス、トラウマになりかねないでしょ?

古賀:
不気味ですね(笑)。

くぼ:
スタッフいじりも積極的にやってましたね。桑名さんは最初、このウロコを描かれて「失礼だ!」って本気で怒ってたらしいんだけど。

古賀:
マジギレですか!

パリ:
失礼っていうか、意味がわからないですよね、自分が半魚人のキャラとして描かれたら(笑)。

くぼ:
でも最終的には、自分の名刺にこのイラストを印刷してた(笑)。
その後、桑名編集長は蛹化~羽化をくり返すことになる(意味不明)
その後、桑名編集長は蛹化~羽化をくり返すことになる(意味不明)
サナギになったからといって、普通にしゃべる
サナギになったからといって、普通にしゃべる
最終的にはバイク人間に(意味不明)
最終的にはバイク人間に(意味不明)

大人のクールな対応にしびれる

パリ:
いろいろな魅力の詰まったピコピコシティですが、僕が特にやられてしまったのが、小学生の読者に対して容赦のない、身も蓋もない対応。例えばこういう。
「それがどうしたの?」ってコメントする読者投稿コーナー、あります?
「それがどうしたの?」ってコメントする読者投稿コーナー、あります?
「あっそう」
「あっそう」
パリ:
この「ラッコ王子」ってキャラクターはどっから出てきたんですか? 定番のキャラではなかったと思いますが。

くぼ:
これはね、1学年下の『3年の学習』の読者投稿ページのキャラクター。昔のことなので、なんでここに描いたかは「記憶にございません」としか……。

パリ:
はは! 勝手に使った上、勝手にこんなセリフを言わせたんですね(笑)。
似顔絵コーナーも安定の厳しさ
似顔絵コーナーも安定の厳しさ
これは確かにそうかも
これは確かにそうかも
くぼ:
完全に自分の趣味で、当時好きだったアイドルを「みんな描いて~!」って募集してただけのコーナーだね。

パリ:
なのにコメントは容赦ないですね!

あの時代ならではの危険さと、やりたい放題感

現在なら即社会問題。というかここにすら載せられないネタの方が多い
現在なら即社会問題。というかここにすら載せられないネタの方が多い
くぼ:
あらためて見返してみると、今だったら表現的にNGなものばっかりだよね。

古賀:
しかも、学習雑誌ですよね!? 編集さんから「ちょっとこれは……」と言われるようなことはなかったんですか?

くぼ:
やっぱり時代が違ったんでしょうね。ただ、編集長に見つかると「いくらなんでもこれはひどいから直せ」って言われるから、ばれないようにコソコソ印刷に回しちゃったりはしてたらしい。刷り上がってから直すのは大変なので(笑)。

パリ:
先生に見つからないようにいたずらをする共犯感覚に近いものもありますね。だからこその、この過激な誌面だったんだなぁ……。
完全なるページの私物化
完全なるページの私物化
「耳クソファッション」はピコピコシティの定番
「耳クソファッション」はピコピコシティの定番
作り方
作り方
パリ:
これも別の意味で信じられませんよ。
「アイドルの顔を切り抜いて相撲あそびをしよう!」っていう
「アイドルの顔を切り抜いて相撲あそびをしよう!」っていう
パリ:
当時でもバレたら怒られるやつじゃないですか?

くぼ:
どうなんだろうね?(笑)とにかく僕は好きなようにやってただけだから。
ついに読者からも指摘される
ついに読者からも指摘される
指摘されても決して悪びれない
指摘されても決して悪びれない

ピコピコシティが教えてくれたこと

パリ:
当時は、届くハガキもすごい数だったんでしょうね。

くぼ:
そうみたいですね。編集さんが打ち合わせにハガキをたくさん持ってくるので、ものすごいスピードで見ながら、「あ、これおもしろい!」みたいに選んでいく。それもかなりの作業だったんだけど、実はそこに届くハガキは、厳選されたごく一部だったらしくて。

パリ:
今のようにインターネットも発達していなかったですし。

くぼ:
ピコピコの初期を支えた、漫画にも出てくる編集者、鳥越ちゃんとの打ち合わせは、まずはバーっとハガキを選んで、あとはふたりで居酒屋に行って、わいわい関係ない話で盛り上がって、最終的にうちに泊まってそこから会社に行くというのがお決まりのパターンだった。だから、大変だったという記憶もぜんぜんなくて、そういう楽しかった雰囲気がそのまま誌面にも出ていたのかもしれないですね。
それにしてもこの自由度は奇跡的だと思います
それにしてもこの自由度は奇跡的だと思います
くぼ:
やっぱりこれ、すっごく変だよね。パリッコさんみたいな人にそう言ってもらうまで、自分では気づいてなくて。

パリ:
あらためて、そこが最大の魅力だと思います。大人が本気で遊んでいて、時に下ネタが高度で意味がわからないことなんかもあるんですけど、それも含めておもしろかった。

くぼ:
前に会った時、「漫画ってこんなに自由でいいんだってことを教えてもらった」って言ってくれたでしょ。だけど、逆に僕が「そういう風に受け止められていたんだ」と教えてもらった感じでしたね。
後期は絵柄も現代風になっていった
後期は絵柄も現代風になっていった
が、やっていることは基本同じ
が、やっていることは基本同じ。プリクラが貼ってあるのもやばい

裏話・感想

以上、膨大な原稿のなかからほんの一部を例に取っての「ピコピコシティ」のご紹介でしたが、少しでもその魅力をお伝えすることができたでしょうか。

普通に購読していれば1年ぶんしか読むことのできない、貴重な16年間の原稿を実際に読ませてもらえたことは、ファンとして身に余る光栄だと思っています。
今僕が感じているのは、同じようにこの原稿を読みたいと感じるたくさんの同志の方がいるはずのなか、自分だけがそんな恵まれた状況にいていいのか? という焦りにも似た感情。
もしも「ピコピコシティ」のアーカイブ化などに関するアイデアをお持ちの方がいらっしゃいましたら、ぜひご一報ください!
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