舞台は大田区・大森
大森駅西口目の前の「神明山 天祖神社」は、かなりの急坂を一気に登った小山の上にあります。
神社の敷地から駅を見下ろす
このように、一帯が起伏のある地形になっているので、逆に「谷底」といえるような場所も存在。
駅のホームと、並行する「池上通り」の間の谷間にあるのが、約40軒のお店が並ぶ、戦後から続く飲み屋街「山王小路飲食店街」。
階段を降りないとたどり着けない場所にあります
通称「地獄谷」と呼ばれる場所。
物騒なネーミングですよね。
なんでも、3箇所ある横丁への出入り口が、かつては舗装されていない土の坂道だったため、ここでしこたま飲んで、さらに雨など降ろうものなら、谷底から這い上がれなくなってしまう。
そんな酔っぱらいが続出したことから、こう呼ばれるようになったそう。
その最深部
こんなにも渋い空気に包まれた場所が、俗世から隔離されたように、谷底に存在する。
それだけでたまらないものがあります。
駅から遠いほうの出入り口にはさらなる高低差が
これが土の坂道だったと想像すると、酔っぱらってたら確かに危なそう……。
偶然が生んだ地獄感
2017年までデイリーポータルZ編集部が所属していた「ニフティ株式会社」、かつては大森にありました。
そのため、ウェブマスターの林さん、10年くらい前までは、ここでよく飲んでいたそう。
というわけで今夜は、林さんに案内役をお願いすることに。
「ようこそ地獄谷へ!」
ところが、谷を一往復してすぐに、林さんより「俺がよく行ってた店、ぜんぶなくなっちゃってるな~」との衝撃発言が。
というわけで方針を変更。
とにかく行き当たりばったりに、気になるお店に入ってみることにします。
つまり、いつも通りってわけですね。
1軒目「よりみち」
通りには昔ながらの飲み屋やスナックに混じって、最近オープンしたであろう、小洒落たバルやバーもちらほら。
林さんから、「一軒目は調査がてら、普通にご飯でも食べられそうなお店に入ってみましょうか」とのご提案があって、たぶんそういったお店のことを指しているであろうことは薄々感じていたんですが、僕が「それじゃあ、ここじゃないですか!?」と選んだのが、
「よりみち」
すみません、どうしても中の様子がわからないお店のほうに惹かれてしまうのは、もはや「性」なんです……。
カラカラと戸を開け、「いいですか?」と伺うと、優しそうなママがにこやかに迎えてくれました。
よりみちのママ
カウンターのみ10席程度の小さなお店。
すみずみまでピカピカで、とても居心地がいいです。
俳句関係の常連さんが多いらしく、壁にたくさんの句が
どうしても「すててこの軽さ体操したくなる」に目がいってしまいますね。
ちなみに今日の探索メンバーは、僕と林さんに加え、めちゃくちゃ良い味わいの風景画を描かれるイラストレーター、つちもちしんじさんの3人。
つちもちさんの最新の画集『東京下町百景』、激しくおすすめです。
許可を得て、店内で絵写真撮影をさせてもらっていると、「こっちからも撮ってあげましょうか?」と、ママ。
やった~! 記念記念
特に決まったメニューはなく、「〇〇あるけど、食べる?」って感じで、
「ナスの煮びたし」
「塩辛」
「トマト」と「絹さやのマヨネーズコショウ和え」
「豆菓子」
などをいただきつつ、瓶ビールや、焼酎の水割りを数杯。
ママによると、「よりみち」のオープンは10数年ほど前。
その前にも何度かお店が変わっている場所だそうで、ここ自体は意外と新しいお店だったんですね。
そうこうしていると、界隈では有名な酒飲みだという常連さんがやってきて、「地獄は初めて?
ここはいいところだよ。そんなに高いお店はないから安心して大丈夫だよ」と、親切にアドバイスをくださいます。
とはいえ、「俺は地獄でしか飲まないからさぁ」とか、地獄谷を「地獄」って訳すインパクトのほうに情報が持っていかれがちになってしまうんですが。
さらにもうひとりやって来た常連さんと、「せっかくなので、一緒に写真を撮ってもらえませんか?」とお願いすると、「あ、俺はダメ。指名手配中だから」「俺も」と、
シュールな記念写真に
冗談であること、祈ってます。
あぁ、とても静かで良い時間だった。
ごちそうさまでした。
ひとり2000円と少しの支払いを済ませ、お店を出ます。
2軒目「司」
再び地獄谷をうろうろしていると、飲む場所を探している我々の存在を窓の外に見つけた「司」というお店のママが、入り口から顔を出してニコニコとこちらに手招きしているのが見えます。
ここは素直に誘いに乗ることにしましょう。
「司」
扉を開けると、そこにはあまりにもかっこよすぎる空間が。
渋い! 赤い!
これぞ本物の昭和レトロ! な、かわいいランプシェード
司のママ
こちらはなんと、昭和39年オープン。
50年以上もの歴史を誇る、地獄谷でも屈指の老舗スナック。
よりみちと同じく、お酒は飲みたいものを注文しつつ、「〇〇お食べになりますか?」って感じでおつまみが出てくるスタイルです。
「枝豆」
「アサリと菜の花の和え物」
ここの、着物をピシッと着こなすママさんが、「あ~そうでございますか」が口癖で、例えるならば“女性版高田純次”って感じの、すごいおもしろい人。
「今日は花粉がすごいですねぇ」なんて話になると、「バカは花粉症にならない」「花粉症は健康であればそのうち治る」と、てきとうすぎる持論を展開してきます。
林さんには「目がとってもきれい。優しい顔してる」。
つちもちさんには「とっても可愛い顔してる。前髪が似合ってる」。
僕には「……Tシャツがよく似合ってる」。
と、お客さんのいいところを見つけて積極的に褒めてくれるのも嬉しい。
女性の常連さんが「焼酎のコーラ割り」を頼むと出てきた瓶のコーラがかっこいい
さらにやってきたサラリーマンらしき常連さん「ママ、レーズンバターある?」
ママ「ないんですよ。レーズンならあるけど」
女性「冷蔵庫にバターがあったじゃない!」
と、もう、全体的に会話が超てきとう。
ただ混ぜりゃいいってもんじゃないでしょうよ……。
最終的に、
キューブチーズとレーズン
おすそわけをいただくと、
ハムなどのフレーバーが付いたチーズなので、若干おもしろい味に。
ゆっくりと飲ませてもらい、大いに笑って、こちらもひとり2000円ほど。
ごちそうさまでした~!
3軒目「大野家」
「最後にもう一軒くらい寄りたいですね」と、再び谷をうろうろしていると、看板の出ていない建物の前に、何やらマジックハンドを持った女性の姿が。
「何をされてるんですか?」
と伺うと、
「今、飼い猫と一緒にネズミを追いかけてたのよ」
と。
何その漫画のようなシチュエーション!
どうやら飲み屋さんのようなので、一杯飲ませてもらえるか聞いてみたところ、
「さっきのネズミ、まだ捕まえてないから、出てくるかもしれないけど大丈夫?」
とのこと。
「はい。めちゃくちゃ大丈夫です!」
「大野家」のママ
例のマジックハンド
亡くなった常連さんが健康を意識して飲んでいた、糖質とプリン体オフの発泡酒
という、少し構造が複雑なお酒をいただきつつ、ここでもいろいろとお話を伺うことができました。
目の前の景色も
横の景色も、最高
大野家の創業は、なんと昭和26年。
終戦が昭和20年なので、ほとんど地獄谷の歴史とともに歩んできたお店と言えるでしょう。
現在のママは2代目で、お年は88歳になるそう。
ものすご~く元気で明るく、お話をしていると年齢を忘れてしまうような若々しさで、比べればだいぶ年の若いこちらのほうが元気をもらえるようです。
ママは函館出身。
家の前に、東京で例えるところの「神楽坂」くらいの坂があったようで、冬にはそこを竹を割ったスキーで滑っていたというんだから、なかなかのおてんば娘。
若い頃は法律事務所に勤め、弁護士さんが酔っぱらって大切な書類をなくしては「どうするのよ、明日の法廷!」と問い詰めたりしていたそうで、時代の違いもあったんでしょうが、なかなかにすごいエピソードですよね。
こちらのお店も、システムはこれまでと同じ。
おつまみは、
「ランチパック」のピーナッツ味
お手製の「厚揚げ煮」
優しい味わいが心に沁みます。
ママはなんでも手作りするのが趣味だそうで、
手編みのペットボトルカバー
のかわいらしさといったら!
ちなみに、おめしになっている素敵なセーターも、もう20年も着ている手編みだそうです。
は~、ここもまた、ふる里に帰ってきたかのように心落ち着くお店だった。
ゆっくりと発泡酒を何本かいただいて、お会計はひとり1000円ほど。
ごちそうさまでした、また来ます。
地獄谷でめぐったお店、その名前に反して、どこも人情味溢れる名店でした。
そして、入ったことのないお店はまだまだたくさん残っている。
いやぁ、通いがいのある横丁だな~。
ちなみに取材終了後、「そういえば今日、お腹にたまるものをあんまり食べてないですね」と、打ち上げも兼ねて入った居酒屋の、
のうまかったこと!
当たり前のことですが、スナックめぐりは、少し飲み食いしてからがおすすめです。
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当サイト編集長、林雄司さんとの対談も収録!