シェンゲン協定の国だから国境が県境レベル
三つの国が集中している三国国境は世界中にいくつもある。一説には170以上あるといわれている。
なかでも、オランダ、ベルギー、ドイツの三国国境がある場所は、オランダ本土の最高峰であるファールス山の山頂にある。
この辺に三国国境がある
国境は、県境なんかと違って、イミグレーション(出入国管理)を経る必要がある。もし、勝手に越えてまたがって写真なんか撮ったりすると犯罪である。
国境警備隊の気が短い国なんかだとカラシニコフ的な鉄砲で撃たれてSNSで炎上、みたいなことになる。
しかし、ヨーロッパはそうでもない。
シェンゲン協定という協定に参加している国同士だと、国境間の行き来は自由にできる。もちろん、国境線にまたがって写真を撮ってもカラシニコフで撃たれることはない。県境気分でまたげる気軽な境界線だ。
今回訪れたオランダ、ベルギー、ドイツはいずれもシェンゲン協定に参加している国なので、ふざけて国境をまたいでもなんら問題はない。
アーヘンからバスに乗車
というわけで、ドイツのアーヘンという町にやってきた。
アーヘン中央駅
ヨーロッパの冬は日中の明るい時間が短いので、なるべく早くホテルを出たのだが、それでも朝7時でまだ夜明け前だ。すでに通勤ラッシュは始まっており、車も人もかなり多い。
この町から、ドイツとオランダ国境の町までバスで向かう。
マーストリヒト行きのバスで向かう
バスに乗るさい、料金の支払い方がわからず、運転手に「どこまで行くのか?」と聞かれたときに唯一聞きとれた地名「マーストリヒト」と、うっかり答えてしまった。条約の町だ。
そのため、余計な運賃を600円分ぐらいとられた。
海外では、せめて事前に下車する予定の地名ぐらいは覚えてからバスに乗ったほうがいい。(当たり前だ)
オランダ最高峰は千葉県より低い
アーヘンの町からオランダ、ドイツの国境があるファールスまでは15分ほどで到着する。
国境の町ファールス
この町から、オランダ最高峰の山、ファールス山へ向かう。
死ぬほど寒いです
スマホの地図では、町から山の山頂まで歩いて30分ほどで着くと出ている。
緩やかな坂を登っていく
先ほどから、オランダ最高峰、オランダ最高峰といっているけれど、どれほどのものなのか。
ファールス山は海抜322.5メートル、オランダ本土では最高峰である。ちなみに、日本の都道府県で、最高峰がいちばん低い千葉県の最高峰、愛宕山は408.2メートルである。オランダは千葉県より低い。
もっとも、海外領土も含めると、オランダの最高峰はカリブ海のサパ島にあるシーナリー山の887メートルらしいが、それでも筑波山の877メートルよりちょっと高いほどである。
ファールス山とおぼしき山
オランダ最高峰は、山というより小高い丘のようにしか見えない。
牧草地だろうか? 散歩の犬がゴロゴロと転げ回って遊んでいる。頭わるそうで楽しそうだな……
急坂の雑木林だったが、すぐ終わった
誰もいない山頂
住宅地や、いかにもヨーロッパといった風の牧草地、雑木林を抜けて30分ほど歩くと、ひっそりとした公園のようなところに到着した。
ここがオランダ最高峰かつ三国国境……
誰もいない……
とにかく、人の気配がない。
それもそのはず、まだ朝の8時30分ごろである。
本来であれば、ファールス山の山頂は、ちょっとした公園になっているので、それなりの観光客も居るはずなのだが、いかんせん早く着きすぎた。
展望台やレストランなどもあるが、当然閉まっており、営業していない。
営業してない展望台
もしかしたら
これだー
でかい鉛筆形のモニュメントに「NL(オランダ」「D(ドイツ)」「B(ベルギー)」と書いてある。しかも、ご丁寧に、国境線とおぼしき線までひいてある。
三国国境だー
冒頭でもふれたが、三つの国が重なる国境、三国国境は、世界中いたるところにあるが、ほとんどは水上や高山の上にある。つまり気軽に訪れることができるのは場所が限られてくる。
なかでも、このファールス山は、山といえど普通の観光地にもなっており、比較的訪れやすい三国国境といえる。
オランダをまたいだぜ
ここまできたからには、やはりまたがなければならないだろう。つまりこういうことだ。
オランダをまたいだぞ
以前、
飯豊山で福島県をまたいだことがあるけれど、ファールス山ではオランダをまたいだ。
なお、ベルギーとドイツもまたごうとしたのだが、角度が90度以上あり、股が裂けそうだったのであきらめた。
消えた国中立モレネ
ファールス山山頂にあった案内板を見てみると、なんだかふしぎな境界線が引いてあるものがあった。
三角形はなんなのか
「ニュートラルモレネット」というところが三角形の名称らしい。調べてみると、面白いことがわかった。
この三角形は、1815年~1919年にここに存在した「中立モレネ」という国のことらしい。
1815年のウィーン会議でオランダとプロイセンが国境を画定するさい、モレネ一帯にあった鉱山について争いが生じた。そのため、鉱山のある部分は、オランダとプロシアの共同統治領ということにして、ほぼ三角形の中立地帯となった。
当時の地図(Wikipediaより)
その後、1830年には、オランダからベルギーが独立し、中立モレネの西隣部分はベルギー領となった。つまり、この時期は、オランダ、ベルギー、プロシア、中立モレネの4つの国の国境が集中する四国国境がファールス山の山頂にあったということになる。
モレネでは、アルコールの製造が自由だったため、オランダ向けの密輸酒が製造されるなど、その特別な立ち位置を用いた産業が栄えた。
学校や病院などの行政サービスは、実質的に鉱山会社が行っていたが、1885年、鉱山が廃鉱になると、モレネはその存在意義がゆらぎはじめる。
モレネは、国旗を制定したり、エスペラント語の国歌を作るなど、独立することを模索し始めるが、モレネの併合をねらっていたプロシアによる送電や電話の停止などのイヤがらせがはじまる。1903年にはカジノの設置を計画するが、ドイツが強硬に反対したため、頓挫してしまった。
中立モレネの国旗
その後、中立モレネは、第一次世界大戦でドイツに占領されるが、ドイツは敗北し、ベルサイユ条約によって全域がベルギーに編入されることになり、1919年、中立モレネは消滅した。
国旗がどうみても消しゴムみたいだけれど、たぶんモレネの国旗のほうが先だと思う。
モレネが存続していれば……
さて、モレネについて調べるうちに腹が減ってきた。
朝飯を食べていないのだ。
レストランがあいていればいいのだが、ことごとく閉まっている。
仕方ないので、持ってきた食材を広げて食べるしかない。
スーパーで購入した食材
もし、中立モレネが存続し、国として独立していれば……という想像をふくらませつつ、ハーリング(ニシンの酢漬け)とパンで朝食をとった。
ハーリングが異常にうまかったのです
ハーリングはうまいけど、寒い
ヨーロッパの魚料理にはあまり期待していなかったのだが、このハーリングはびっくりするほどうまかった。オランダでは、尻尾の方をつまんで、上を向いて丸呑みするように食べるらしい。
ハーリングの食べ方
インドの手で食べるカレーとか、韓国のなんでも混ぜて食べるビビンバとか、まねして食べたくなるやつだ。
魚の白身フライもうまかったし、ヨーロッパの魚料理は侮れんな。などと、独り言ちしながら、朝食を終えた。
こんどはもうちょっと暖かいときに……
ひとまず、三国国境をまたぐという目的は達せられたが、時間帯が早すぎた。人がいないのは、それはそれでまた味わいがあるといえばあるが、寂しさは否めない。
歌舞伎町を観光しようしてる外国人が、朝5時ぐらいに行っちゃって、カラスとゴミと潰れたよっぱらいしか見なかった、みたいな感じだろうか。
今度くるときは日曜日の昼間にいこうとおもう。
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