単純作業が好きだ
黙々と、同じ作業を繰り返すのが好きだ。
無心になって体だけがオートで動く自分を実感できると、なにかこみ上げてくるものがある。
よくビジネス書に出てくる逸話で、レンガをただ積んでいる人と、壁や建物といった目的を意識しながらレンガを積んでいる人では仕事の質が違うという話があるが、僕は間違いなく前者である。
それも嬉々としてただレンガを積んでいる。
目的もなく積みたいのだ。
仕事はできないかもしれないが、ピュアという点、そして作業そのものへの意欲は評価して欲しい。
ベルトコンベアが欲しい
そんな単純作業フリークにとってのロマンは、ベルトコンベアである。
そもそもが単純な、単純作業の「作業」の部分だけを自分の前に運んできて、終わったら持っていってくれる。
この間山梨県にある信玄餅の工場を見学したら、ベルトコンベアで運ばれてくる信玄餅の、風呂敷のところをひたすら縛る、という作業をやっていて、見た途端に唾液がいっぱい出てきたのだ。
口を半開きにして見ていた。
プラレールで簡単にできた
ベルトコンベアを作ってひたすら単純作業をしたい。
というわけでこれを作った。
プラレールである。
ショートケーキを引っ張ってぐるぐる回る。
ベルトコンベアだ!いいぞ!
いい。かわいさすら感じる。
単純作業をするには大量の「作業される何か」が必要になるが、コンベアが円になっていれば、材料はひとつでもひたすら作業ができる。
そして肝心の作業だが「ショートケーキにイチゴを乗せる」というものにした。
イチゴを乗せ、2週目でイチゴを回収している。
延々作業し、そして成果品が一切ない「何も作らないベルトコンベア」である。
イチゴを乗せ、
回収している。
この作業、ずっとしていられるし上のgifアニメもずっと見ていられる。
夜にお酒を飲みながらやりたい作業だ。
そしてこの「何も作らないベルトコンベア」のいいところは、作業のための材料のストックや、成果品の置き場所を気にせず、ただひたすら何も考えずに作業できるところである。
動き出せば無限に作業していられるし、その作業で生み出されるものは何もない。
無限とゼロが背中合わせになった、次元の狭間で行われる数学的に崇高なアルバイトなのだ。
無限であり同時にゼロでもあるアルバイト。
冒頭のレンガの例えで言うなら、延々とレンガを積みながらレンガを片付けている。
塀も家も作っていないし、なんならレンガを積んでさえいない。
「何をしているのですか」と聞かれること自体がなくなるだろう。
見るからに何もしていないからだ。
存分に作業に没頭できる。
しかしこの作業、自分でイチゴを置いて自分で回収していると、ふとした時に虚しさを感じる。
本当はひたすらイチゴを置いていたい。
乗せてるシーンだけ切り取った。本当はこうしていたい。
妻とベルトコンベア
天気が良かったので外にも来た。
イチゴを乗せ続けるためには、ベルトコンベアの向かいにイチゴを回収し続ける人がいればいいのだ。
妻を呼んでやってみた。
プリンアラモードにブルーベリーを乗せ続けるベルトコンベア。
右でブルーベリーを乗せ続けているのが僕で、左でブルーベリーを回収し続けているのが妻である。
妻は特に何も言わずにベルトコンベアに参加してくれた。
向かい合って作業しているとなんだか恥ずかしかった。
目を合わせられない。
初々しい空気に包まれた夫婦を、知らない少年が自転車でぐるぐる回っていた。
とにかくもうどうしていいか分からなかった。
妻は、今まで色々な撮影に協力してくれてきたが、今回のベルトコンベアが一番恥ずかしかったそうだ。
少年も回っていたし。
ちなみに、一番「この人は何をしているのだろう」と思ったのは、色水を色水で洗った時だそうだ。
そんな夫婦が、今日はベルトコンベアを挟んで黙々と作業に勤しんでいる。
きっと今日も「私たちは何をしているのだろう」と思いながらブルーベリーを外し続けているのだろう。
そんな作業に付き合ってくれることに感謝しながら、こちらはブルーベリーを乗せ続けた。
感謝のブルーベリー乗せ
しかしベルトコンベアはいい。
作業自体の難易度もちょうどいい。
ベルトコンベアの速度に合わせながらきれいにブルーベリーを乗せるのだ。
うまく乗せられると次工程の妻をチラッと見るのだが、どう思っているかは分からなかった。
海苔巻きを出しては入れる工場
せっかくなので他の単純作業もやってみた。
おせんべいのアソートパックから海苔巻きを出しては入れる。
海苔巻きを出しては…
入れる
これも延々できる。
海苔巻きが何個か入っているので、どれを取り出すか選ぶ瞬間に自分のアイデンティティーを次工程に伝えている感触がある。
難しい場所にある海苔巻きを取れると、やはりチラッと向かいを見た。
同じメガネを試着し続ける工場
最後は100円ショップで買ったメガネを試着し続けるベルトコンベアをやった。
ベルトコンベアで運ばれてくるメガネを試着し続ける。
メガネを、
取り替え続ける。
これも適度な難易度があってとても良かった。
メガネを外す、新しいメガネを取る、古いメガネをコンベアに戻す、新しいメガネをかける、この動作を素早く繰り返し行うのだ。
やっていくと徐々に上達していく自分が分かってとてもやりがいがあった。
そしてもちろん何も生み出していない。
置いてあるレンガをひたすら取り替える作業である。
だがかく汗は爽やかで、労働の充実感を得ることができた。
これは、体を動かす喜びなんじゃないか
今回の試みは以上である。
本来なら得られた知見を最後にまとめるべきなのだと思うが、何も作らないベルトコンベアなので特に発表することがない。
何も作っていないからだ。
ただ純粋に、レンガを積む体の動きを自分で感じ、それを楽しんだのだ。
体を動かすことを純粋に楽しむ。
「ダンス」みたいなものだ。
ダンスの起源は宗教儀式や豊作を願う呪術的行為にあるとwikipediaには書いてあった。
ひたすらレンガを積む行為は、ビジネス的には間違っているのかもしれないが、人間の根源的なものには迫っているのかもしれない。
迫っていないのかもしれないし。
ダンス。
色々あった
ベルトコンベアだが、プラレールの列車で引っ張ることを決意するまでに色々あった。
企画会議で「ベルトコンベアを作りたい」と言ったらライターの三土さんが起案して、ライター井上さんがテストしてくれた。
動力の列車を逆さにしたベルトコンベアである。
元の動画は井上さんからいただいた。
線路自体が動いているところがかなり理想に近かったのだが、家でやってみたらどうしても動きが安定しないので諦めた。
さらにその前は、タミヤの工作キットでキャタピラを作っていた。見た目はベルトコンベアっぽいけど、どうやって循環させたらいいか思いつかずにボツになった。
そういう試行錯誤あっての何も作らないベルトコンベアであった。
感慨もひとしおである。
何も作らなかったが、協力いただいた皆様には感謝申し上げます。
最後に、レールを外れて自由に動くショートケーキを撮ったので見てください。