始末書か、ハブか
トカラ列島こと鹿児島県十島村は、屋久島と奄美大島の間に点在する7つの有人島と5つの無人島から成る南北約160kmの長い村である。
7つの有人島のうち、最も南にある2島、小宝島と宝島にハブがいる。「トカラハブ」といって沖縄や奄美のハブ(ホンハブ)よりも体は小さく、毒も弱いため血清はない。
奄美ハブセンターで大あくび。かわいい。
こっちがホンハブ。こわい、本職感が段違い。
日本でもっとも北に住む「北国の、ああ北国のハブ」を現地で見たいと長年思っていた。
しかし、トカラ列島へのアクセスは週2回、鹿児島と奄美大島を往復し、各島に寄港する船「フェリーとしま」のみ。港が小さい小宝島に至っては海の荒れ具合によって寄港できずに通り過ぎてしまうこともあるという。
つまり、ちょっとした休みぐらいだと帰れなくなって、上司や取引先各社に多大なご迷惑をかけるおそれのあるサラリーマン泣かせの秘境なのだ。
この度、わりとゴールデンな連休をゲットできる見込みとなった私は意を決して、トカラへ向かうために奄美大島を目指した。
奄美大島の名瀬港から小宝島へ渡り、臨時便を利用して宝島へ移動、そして奄美に帰着というプラン。
いいぜ船旅
フェリーの電話予約を試みたが「名瀬からは空いてるんで予約しないで大丈夫ですよ、当日券を買ってください」との事。マジですか、大丈夫なんですか。予約という大船に乗り損ねた私は一抹の不安を抱えて乗船券販売所へ向かった。
想像よりもはるかにでかい!
心配していたがあっさりと切符を購入。私は予約文明に毒されていたのだな。
「今日は波も静かでいい感じです」といい感じのコメントをもらっていい感じになってきた。そして深夜2時、フェリーとしまは鹿児島港へ向けて出港したのであった。
4時間の船旅、旅情をかきたてる雑魚寝客室。
ライフジャケットを着た頭すれすれマンが旅人を見守る。
夜明け前に宝島に到着、が、ここはスルー。
朝焼けと共に小宝島が見えてきた。「妊婦が横になったように見える」といわれる遠景。
朝6時、おっかなびっくり乗り込んだフェリーとしまは小宝島の港へ到着した、しちゃった。
コンパクトな港にナイス接岸!
小宝島最高です。ハブはぜんぜん出ません。
小宝島は周囲約4kmの小さな島で、周遊する道路をすたすた歩くと30分ほどで島を一周できてしまう。
道はこれだけ。通り過ぎたら少し歩き続ければだいたい元のところに戻れる。
鮮烈なターコイズの海、日本かここは。
海の色を写し取ったような美しさのミナミイワガニ
小宝というコンパクトでかわいい名前とは裏腹に、口を開けて見惚れるほどカリカリでかっこいい奇岩奇石に次々と遭遇する。
牧場の中になにげなく生えてる岩がかっこいい。
惑星ザルドスかと思った。
海岸沿いにそそり立つシンボル「赤立ち神」
人口は約50人、居住区は東側の集落に集中し、セブン-イレブン、モンテローザグループはもちろん売店飲食店の類は一切存在せず、あるのは自動販売機が1台だけ。
学校、公園、診療所など公共の施設が立ち並ぶ通り。
役場出張所横、唯一の(たぶん)ポストがかわいい。
トラクターを停めて釣り。酒の肴のオヤビッチャを狙っているとの事。
ひとしきり巡回したら民宿「パパラギ」前を通り東側の海岸に向かうとほのかに硫黄の香りが漂い、あちらこちらで噴出する白煙が見える。秘湯、湯泊(ゆどまり)温泉である。
最高のロケーション。
私がジェームズ・キャメロンだったらターミネーターを溶鉱炉じゃなくここに沈めて身も心もあったまるハッピーエンドにしただろう。あとからみんなも入ってきてほっこりしながらスタッフスクロール、NG集も流そう。
足湯ですぐ寝落ちた。
温泉の入口、坂道で寝っ転がれば岩盤浴。
ゆるやかな時を刻む離れ小島で透き通った海を見つめながら温泉、風変わりな南国の植物や蝶にきゃいきゃいし、バケイションを満喫、ばかりしていたわけではない。めちゃめちゃ探していたのだ、トカラハブを。ただ、見つからなかっただけだ。
アサギマダラはいっぱいいました。
おそろしく俊敏なオオシマトカゲ。
そのトカゲやカナヘビをいとも簡単にひっ捕えるダイサギ、目が冷酷。
お調子者の猿のような頭をしたアカガシラサギ。
昼間でもよくハブを見るといわれている島で一番高い山、(標高103m)竹の山へ。
ハブは見つからずに落ちたらさくっと死にそうなところにたどり着いた。眺めは最高。
まあ、ハブは夜本気出すしねと時を待つ。空が満天の星空に塗り替わると、この小さい島のどこかで息を潜めていた夜行生物たちが活動を開始した。
近年、奄美群島と小宝島の固有種となったアマミヤモリ(たぶん)気性があらい。
カクレイワガニがラッパーのようだ。
ハブ捕り名人、あらわる!
昼間に何度も歩きまわった道路脇や茂みを丹念に探索するも、ハブは見つからない。
明日の昼、小中学校の生徒たちによる島内一周一輪車大会が開催されるらしい。中央の山以外はほぼ平坦なので一輪車で島を一周することも可能なのだ。
島で唯一の学校。背後にそびえる岩山が「うね神」
私は一輪車には乗れない。しかし学校や会社など、人生の各ステージで所属する組織から振り落とされないように必死に、危なっかしくバランスを取りながらなんとか生きてきた。そういう意味では、ずっと一輪車に乗っていたようなものだし、これからもそれは続くのだろう。ハブぜんぜん見つからないな。
カタツムリだと思って拾ったらヤドカリ出てきた。
突然「何を探してるんですか?」と声をかけられた。自転車にまたがり、ヘッドランプを装着、肩に青龍刀のような堂々たる木の棒をかついでいる。
「ハブですか、私もこれから捕りにいくんですよ、よかったら一緒に行きますか」島一番のハブ捕り名人であるという、岩下さんだった。やったあ、天啓なり!
ハブがつないだ縁!これから夜の島を楽しくあやしく徘徊します。
この島で生まれ育ち、漁師を本業としている岩下さんはもうなんというか小宝島の精ですかと言いたくなるほど島の環境を熟知しており、さる筋から蝶類の生態調査を依頼された事もあるという。
生活圏に侵入するハブ駆除ついでの「こづかい程度の副収入」(奄美大島と同様に買い上げがあるが、トカラハブは価格がかなり安い)としてハブ捕りをしている。
強力というかジョーカーに近い助っ人である。
「今日は湿度と気温がそんなに高くないから多くは出ないかな?でも全くいないという事はないでしょう」
「この島ではハブがよく食べるカエルとか、両生類がいない。ネズミも今ではいなくなりました、ハブのエサが他の地域にくらべて圧倒的に少ないんですよ」
--あ、カエルは確かにいないなーと思いました。ネズミもいないとなるとヘビには結構厳しいですよね。という事は彼らのごちそうは……。
「鳥です、鳥をねらって木に登っている事が多い」
こんなふうに枝で休んでいるのが標的になる。
活動のピークは春先と秋、渡りの途中でこの島にやってくる小鳥を狙って、ハブ達は木にのぼる。
「お、いましたよ」
--え?
「ほら、あそこ」
あー、いたいた!枝かおまえは
「これだと普通の人は簡単にはわからないでしょう」
--わからない!たぶんかなり見逃してますね自分。
岩下さんが自作のハブ捕り機でハブをキャッチ。木の上にいる事が多い小宝島のハブに最適化された高枝切りばさみ型である。
逆に地上を這っているハブは捕まえにくいらしい。
ベーグルみたいに丸まったところを激写!
バーバリーのトレンチコートのような上質感のあるカーキにシンプルな斑紋がよく似合う。表情も穏やかで紳士的、ホンハブと違って話せばわかってもらえそうな感じだ。
「お、あそこにいますよ」さらに岩下さんが林の奥を指差す。
いやー、これはわからない。枝かおまえは。
さっきの個体より白味が強い。やはり理性と知性を感じる佇まいだ。
なんか違う枝をさがせ
--見つけるコツはあるんですか?
「枝にとまった小鳥を狙うわけだから、実がなっていたり、小鳥がとまりたくなる木に来やすいです。ハブがよく通る”ハブ道“があるようにハブがよくのぼる木もあります」
--ハブ木(き)!
「というかどうかは知りませんが」
桑の木にいた若者。
「あと道沿いの木々の繁り方みたいなのはだいたい頭に入っています。ハブが細い枝に乗っかったりするとしなりがいつもと違う。ハブを探すというより木の違和感を見つける感じです」
--うわー習得できる気がしない。
「またいましたよ」
言われてみればたしかに、枝のたわみ具合に、銀座ルノアールをルノワールと打ち間違えた程度の違和感を感じる。
アンニュイなポージング。シッポの先がちょんとツタにからんでるのがかわいい。
「白いやつはかわいいけど黒いのはね、悪いですよ悪い」
トカラハブには今まで見てきたバーバリーのコートの他に黒い個体が存在する。だいたい4~5匹に1匹くらいの割合で捕れるという。ほどなくしてそれは我々の前に姿を現した。
うおー黒い!ブラックレーベルか。
悪い顔だなー。アウトレイジだな。
--悪い、これは悪いですねー、同じトカラハブとは思えない。
うっすらと斑紋が見える。これはこれでかっこいい。
私も見つけたいなー。
いた!ブラックレーベル!
結局、岩下さんのおかげで9匹ものトカラハブに出会う事ができた。
「ここのハブは餌が少ないので何でも食べます。さばいた魚の内蔵を置いておいたら食べていた事もあったし、道路で轢かれたカニやウミヘビの死体を飲み込んでいるのも見ました」
--えー屍肉食ですか。それは図鑑にも載ってないですね。
「学者の先生も信じられないと言ってましたよ」
こっちはこっちで苦労してるんですよ。
--ハブも大変なんですねえ…っていうか道路にウミヘビ上がってくるんですか!?
「秋になると産卵で上がってくるエラブウミヘビがよく見られます。運がよければ、今の時期でも見られるかな」
翌日の夜、奇跡はおこった。
おー夜道にエラブウミヘビ!毒の強さでいえばこちらのほうがはるかに上。
興奮しながら写真を穫っていたら通りがけの住民の方も一緒に喜んでくれた。翌日、港で会った時に「昨日すごく喜んでたよね」と言われた。
いよいよ島を離れる。来た時とは違う角度から接岸を見学。
皆が手を振って送り出してくれる。名残惜しゅうございます。
島を去る旅人達の視線を残しながら、フェリーとしまは港を離れ、宝島へとむかった。
ハブ旅は続く
小宝島で遭遇した念願のトカラハブはおしゃれで気品にあふれ、そして餌事情の厳しい環境で一生懸命木に登り、鳥や雲や夢までもつかもうとしていた。
トカラハブは毒が弱いといってもやはりハブ、咬まれたらそれなりに大変な事になるので観光の際は注意が必要である。ただ島を歩き回った実感では、わざわざ探しに行かなければ、ハブに出会う事も、被害に会う事もほとんどないだろう。神経質になりすぎずに他にない島の風情をのんびり楽しみたい。