サーモン科学館ふたたび
北海道の東端、標津町にある「標津サーモン科学館」。昨年私が
サケマイスターを取得したサケの水族館である
異彩を放ついくらタワー。
当時は取材でバタバタしていたのだが、館内のある一角が気になっていた。
「チョウザメ指パク体験」て。
1年後、その謎を解くために再び科学館を訪問した。もう遡上だ。サケだ俺は。
1年ぶりの副館長、西尾さん。手にしているのはスタッフ手作りのマスコット「サマンサ」
「サケ…いや、伊藤さん、ようこそ」
――今ちょっとサケって言いましたね。今回はチョウザメで来ました。指パクというのはやはり…..。
「そう、チョウザメに指を食べさせる体験ができます」
任務に失敗した悪い組織の人はサメの水槽に落とされがち。
「百聞は一見にしかずというわけで早速やってみましょう」
エサをまくと無数のチョウザメがとんがった頭を水面に出してこちらに向かってくる。命を吹き込まれたビジュアル系バンドの靴のようだ。
泳ぐアルフレッド・バニスター。
すごいハイテンション。
「さ、指をどうぞ」
副館長というより組長のような言い草にうながされておそるおそる指をさしだすと……。
どいつもこいつもかむ気満点……。
「あんむ」
これは!歯ぐきだ!健康的な歯ぐきで表面をぬみゃんとこそがれているような感覚。痛みはない。ただ明確に食おうという意志は感じる。
「チョウザメには歯がありません。いわゆる人食いサメみたいに鋭いキバで食いちぎられるみたいな事はないですよ」
こんな感じで食われることはない。ちなみにマスコットのサマンサは背中のフリルのおかげでゴスロリと呼ばれている。
――こんなにがんがん水面に顔を出すものなんですか?
「通常は水底を泳ぎながら顔の下のヒゲをレーダーにして獲物を探して食べていますが、彼らは浮いたエサに慣れさせています。」
エサと間違えてパクリとやる。
――へぇー、しかしなんでまたこんな試みを。
「最初は沈むエサを与えていましたが、飼育していく上で浮いたエサも普通に食べられる事がわかりました。で……」
――で?
「 “これは指パクもいけるんじゃないか”と館長が」
サケ科魚類の研究を中心に数々の論文を執筆している館長、市村さんの思いつき。
――なんだそのインスピレーション。でも指を出してみたくなる気持ちはわかる。
表情もいちいち愛らしい。
笑いながら溺れているようにしか見えない。
チョウザメはチョウザメ
そもそも彼らはサメの仲間ではない。そんならなんでサメとか言ってるのだ。
「サメっぽさですね、サメ感あるじゃないですか」
確かに、パッと見はサメそのもの。
ウロコの形が蝶に似ているから「チョウザメ」(諸説あり)写真はオオチョウザメの稚魚
美しい魚体。高級なキャビアが取れるが、成熟に10年以上を要する。※現在バックヤードで飼育中、展示はされていません。
――あ、そんなノリなんだ。じゃあもうサメでいいんじゃ。
「いやいや、体の構造が違います。サメは軟骨魚類といって骨が軟骨でできていますが、チョウザメは硬骨魚……なんだけど軟骨の割合が多いという、分類上近い仲間があまりいない変な魚なんです」
現生の硬骨魚類で「軟質亜綱」に属しているのはチョウザメのみ。
――じゃあチョウザメって何の仲間なの?って聞かれたら……。
「チョウザメはチョウザメなんだよ!って逆ギレするしかないんですよね」
――逆ギレはしなくてもいいですよね。
標津サーモン科学館は日本一のサケの水族館ですよ。
雑種のトリビアをムダに詳しく解説します
――そもそも、なんでこんなにチョウザメを?
「2000年にサケの定置網にかかったダウリアチョウザメを、当館で引き取って飼育しはじめました。以来、北海道大学と養殖を目指した共同研究が続けられています」
屋外水槽のダウリアチョウザメ、かっこいい!
ダウリアチョウザメをはじめチョウザメの多くは乱獲などにより絶滅が危惧されており、種の保全や産業化のために養殖の研究が行われている。
「指パクコーナーにいるチョウザメは人工授精で生まれたもので、当館のチョウザメも精子を提供しています」
父親の「うっぴ」。体長は2mを超える。
――おお、ダウリアチョウザメを増やしているんですね。
「いや、ここにいるほとんどは”ベスカル”という種で、ダウリアチョウザメと他の種を掛け合わせた雑種です」
――「ベスカル?」なんですかそのベルばら(「ベルサイユのばら」の略、主人公の名がオスカル)みたいな名は。
そんなかっこいい名前だったのか君ら。
「雑種の場合、原則として元の種の英名の頭部分をメスから先に並べます。まずオオチョウザメ(ベルーガ)のメスとコチョウザメ(ステルレット)オスの雑種がベステル」
マイクロソフトパワーポイントで素っ気ないチャートを作った。オレンジ文字の部分を合わせて「ベステル」
ベステルの稚魚、かわいい。
キャビアや魚肉が大きいオオチョウザメと成長の早いコチョウザメ、交配して互いの「いいとこどり」をするのだ。
「そのベステルとダウリアチョウザメを掛け合わせるとベスカル、これが指パクコーナーにたくさんいるやつです」
雑種と純血種の掛け合わせ。
――こうしてベルばらみたいに…..。
「あ、ちゃんとオスカルもいますよ」
――いるんだ!
ロシアチョウザメ(オシェトラ)とダウリアチョウザメ(カルーガ)の雑種。気高く咲いて美しく散りそう。
「ロシアチョウザメは英名がオシェトラなので厳密にはオシェカルなんですが、ベルばらっぽくしたいというなんらかの意思が働いたと思われます」
――意外にゆるいな!
「これ以上はどんどんわけがわからなくなってきます」
「たとえば、ベスカルミカ」
ベスカルミカの稚魚(生後4ヶ月ほど)。かわいい。
※現在バックヤードで飼育中、展示はされていません。
ベスカルミカまでの経緯。雑種同士の交雑。
※ミカドチョウザメは例外的に和名の「ミカ」を使っている。
カラムカルミカ。いろいろからまりそうな名前だ。
※現在バックヤードで飼育中、展示はされていません。
魔法少女が唱えそうな感じになった。
――ちょっと待ってください。これ、それぞれのチョウザメをアップルとかペンに置き換えると……。
「そうですね、PPAPです」
チョウザメはPPAP!
どうでもいい符合を喜ぶおっさん2人(同い年)
「屋外でもっとすごいのを見ましょう。ここでは指パクですが、外のは……」
――外のは?
「腕ガブです」
サケの水族館なんですけど……。
戦慄の腕ガブ
科学館の外に鎮座している丸いプールをのぞくと、2m近い巨大な魚影が、ベーシックインカムを保障されたらこんなだろうなという平和な感じでゆったりと回遊している。先に紹介した純血のダウリアチョウザメ達である。
ちょっとイルカっぽいがチョウザメのほうが断然ばかだ。
「ずっと3尾しかいませんでしたが2015年、なぜか北海道沿岸で次々と網にかかり、一気に23尾に増えました」
彼らも指パクをする。ただ、サイズからして指なんてもんじゃないし、パクなんてもんじゃない。
「だから、腕ガブ。これはさすがにお客様は体験できません。お、始まりますよ。」
言い終わるか終わらないかのうちにどん!水しぶき。そして市村さんの手首から先にとんでもない生物が食らいついていた。
え!?気がついた時には腕にがっぷり。
ウワー
にげてー。
これが本当にさっきまでのチョウザメかと思うくらいの恐るべきスピード。
「チョウザメはあごの骨の可動域が大きく、口を一瞬で大きく前に出す事ができます。食べ物をとらえるまでの時間はわずか0.05秒です」
この瞬速の腕ガブ攻撃をとらえるべく導入(散財)したカシオのデジカメでハイスピード撮影を試みた。
口がうにょんと伸びます。うにょんと。 ※画面サイズの関係でスペースがあまったのでバラエティ番組的なフチをつけています。
のったりとしたムードが一瞬にして真冬のベーリング海沖のような峻厳な感じになった。どんな感じだ。
――完全にジョーズじゃないですかこれ。
「当館最大のダウリアチョウザメ”うっぴ“です。モンスター感強いですけど、やはり歯はないので(我々は)安全です」
「うっぴ」は推定年齢50歳、少なく見積もっても30歳との事。ひょっとしたら市村さんより年上だ。
――歯はないといっても……痛くないんですか?
「このサイズになるとさすがに痛いですね。この重みをあのスピードで受け止めるので関節に負担がかかったり、突き指したり」
――なんか極真会館に話を聞いてるみたいです。
なんかもう口がずれてるんですけど。
逆の角度からスローで。エラのあたりのかっこよさが異常。
あと、ハイスピード撮影にはまったので「幻の魚」イトウのスローも載せておきます。
来場者は腕ガブはできないが、土日限定で先着2名がスケトウダラを直接与える「エサガブチャレンジ」に参加可能だ。
おー来る来る。
どん!
びっくりする間もなく奪われる。
ありえないくらいものすごい力で、一瞬にして魚を持っていかれた。小学生の頃、授業中に友だちと変な落書きをした手紙の渡しっこをしているのが見つかり、まなじりを裂いた先生にひったくるように取り上げられた時の感触がよみがえる。陽が少し西に傾いてきた。
やばいTシャツ
まだプロトタイプだが、チョウザメグッズも着々と開発が進んでいる。
パクTである。
「これがあればいつでも、どこでも指パクが体験できます」
何のニーズですか。※発売は未定。
標津のチョウザメは、サケでできている
――しかしこれだけチョウザメがフィーチャーされるとサケの立場がないですね。
「指パクのインパクトが強いですからねえ、しかし、このチョウザメ研究はサケとつながっているんですよ」
――ん?
「サケがたくさんとれて、加工場もたくさんある標津町では内蔵など廃棄物もたくさん出ます。これを有効活用しようと町内の鮭節業者さんに譲ってもらった削りカスや、隣のレストラン「サーモン亭」の廃棄物をエサとしてチョウザメに与えています」
おお!では昼ごはんのサケイクラ丼も!(ちゃっかり自慢)
――なるほどー、つまり標津のチョウザメは、サケでできている。
ここでサケにつながった!クマもサケでできてます。
「そう、資源を循環させつつ標津ブランドと呼べるチョウザメを育てる試みです。将来的には魚肉やキャビアなど、新しい産業として町の活性化につながればと考えています。指パクとセットでそこはきちんと目指していきたいです」
――いい話ですけどあくまでセットなんですね指パクは。
指パクでもいい、たくましく育ってほしい。
空に向かい口をぱくぱくさせてチョウザメ達が本当に食べようとしているものはなんだろうか。鳥や雲や夢までもか、それとも自らを絶滅の危機に追い込んだ、あく事を知らない人の欲望か。しばらく考えて思った。「まあ、食べ物だろうな」と。チョウザメ指パクは噛ませれば噛ませる程クセになる中毒性を持ったアトラクションである。
また、より成長した彼らの歯ぐき感を無心で楽しみたいと思う。