漫画家さんの落書きが良い
知り合いの漫画家さんがドローイング集というのを出していた。話のないらくがき集である。サラサラっと描いたもののよさだけがあった。なんかいい、うん、なんかいいぞ。
役に立たないらくがき集とついている。サラサラっとしたものでも上手いんですね
書道の上手な人に伝票を書いてもらう
上手い人はサラサラっとしたものでも上手いんだなあ~という感覚にはよさがある。こうしたよさは他にもあるのだろうか。
デイリーポータルZに以前登場した木木屋ゆかりさんは大学の書道科出身。書道を教えることもできるし、自分でも作品を作っている。
書家の人のサラサラっと書いたものを見せてもらった。
書道の上手な木木屋ゆかりさん。文具イベントで消しゴムハンコの展示しているところにお邪魔しました(木木屋さんの以前出た記事『
筆の毛、何の毛?』)
木木屋さんの作ってる消しゴムハンコとお手紙の文例。字のくずし方ってそもそもあるらしい。「上手い人のサラサラっとしたもの」の本来はたぶんこういうもののことを言うのだろう
ふだん書く字といえば宅急便伝票あたりではないか。ということで木木屋さんにはクロネコヤマトの宅急便伝票を書いてもらった。
住所は編集部宛て、品名は宅急便でしか出会わない言葉、精密機器でおねがいします。
書道は筆を使うのでペン字は苦手だという木木屋さんだったが、横から見るには存在感のある字を素早く書いていく。
「ペン字はすごくきたないんですけど…」という。できるだけふだんの感じでおねがいします!
書く前に字の配置などはイメージしているらしい。字のくずし方がかっこいい
できました。「郵便番号があるのでくずしても大丈夫」とかなりラフに書いたものだそうだ。なんか雰囲気がある!
止めたり払ったりがしっかりしてるのと字体が同じなんですね
いい宅急便伝票ができた
書き上がった。おお、いいな。なんか存在感と雰囲気がすごくある。字のくずし方もかっこいい。止めたり払ったりするところも力強い。
額に入れてかざるほどではないが、メモや絵葉書といっしょに冷蔵庫あたりに貼り付けておきたいくらいだ。
そんなことしてなんになるかはわからないが。
お、おおー! いいもののような気がします!
字体をそろえることがコツ
木木屋さんに字が上手く見えるコツをきいてみた。
一般的にへたくそと思われる人は字がそろわないらしい。たしかに木木屋さんの3の字が並んでいるところを見ると全く同じ雰囲気だ。
木木屋さんが他人の字を直すときも、その人の字を見て一番パーセンテージ高い字体を見つけ、そろってない字をそこに寄せていくらしい。手本に合わせても直らないそうだ。
フォントを作ってるような作業ですねというと、「それが書家で、お習字は他人のフォントに合わせていく作業ですね」とのこと。
なるほど、書家っていうのは独自の書体を作ってそれで書くんだな~。うまい人のサラサラっとしたもの、宅急便伝票でも味わえました!
つづいては茶道の先生に。裏千家ウッド茶道教室の御藤先生におねがいした
茶道の先生にミロを淹れてもらう
つづいて茶道の先生のところにやってきた。ウッド茶道教室の御藤先生にお抹茶でなくふだん飲んでるものをサラサラっと出してもらうのだ。
御藤先生がふだんよく飲むものはコーヒーだそうだが……すいません、なんとなくミロを用意してしまいました!
ミロを作ってください、といろいろ持ち込んだ
「ふだんはコーヒーをよく淹れますね。ミロは飲まないです」すいません、ミロを選んでしまったのは全部おれの責任です
はじめての茶道
そういえばそもそも茶道を知らないので教えてもらった。茶道は基本的にはお茶の出し方のようだ。形が決まっていてそのとおりにすることで無心になれるのだという。
グッと集中して無心になるからこそリラックスできるそうで働いてる人が息抜きに習いにくるのも多いらしい。
となると今日はうまくいけば無心になってミロを出せるということか。無心のミロ。飲んでみたいものだ。
所作! たしかにちょっとした所作が美しい!
計量スプーンをすりきり一杯「自分で飲むときはしませんね(笑)お客様にお出しするときだけ」
おいしいお茶(ミロ)を出す茶道の精神
お茶を作って出すだけでもその日の体調だったり人によってもお茶の味が変わるらしい。
「おいしく召し上がってもらいたい」と念じながらやるとうまくいくと御藤先生はミロをスプーンですりきり一杯量りながら言っていた。
ふだんミロを作るときは量らないそうだ。目分量で後から調整していくという。しかし今日はお客様にお出しするからにはおいしく召し上がってほしい、という茶道の精神にのっとってミロをきっちり大さじ一杯にしている。
利休先生、見てますか。あなたの教えが受け継がれて、今お弟子さんは立派にミロを作ってますよ。
利休さま……ご覧になってますでしょうか。私たちは今ミロつくってます
お抹茶は茶筅を前後に動かすらしく、今日のスプーンぐるぐるとちがう動きらしい
来た、美しい!
これが茶道家の淹れたミロだ!
なんか雰囲気はあるぞ
美露とでも呼ぶべきプレミアムなミロが来た
御藤先生のミロを作る所作はさすがにきれいだった。
もしかしたらお茶室だったりお着物を着てるからかもしれない。しかし着物を着て正座しながらもピンと背筋の伸びた姿勢で丁寧につくられるミロ。こんなプレミアムなミロはないだろう。
お茶とおなじように「おミロ」いや「お美露」とでも呼ぶべきような美しいミロができた。
無心で飲んでみよう
ミロだミロ! 元気に育ちそう!
"こんなもの"だからこそよさがある
書家の書く宅急便伝票も茶道家の作るミロもちゃんとそれぞれのよさが出てしまった。
うまい人がさらさらっと作ったもの。それはどんなことでも同様のようだ。
私たちがミロの中に見るもの。それはその人が何年も何十年も打ち込んできた時間にほかならない。落書きだったり伝票だったりミロだったり、ふだん自分がやってるようなことだからこそその時間が際立つのだ。
ただのミロでもこんなにすごい。我に返るとミロはミロだなと思う程度ではあるが、それはミロを選んだ自分が悪い。