特集 2013年4月23日

筆の毛、何の毛

筆、毛だらけ。
筆、毛だらけ。
いちおう「文房具ライター」という肩書きも持ってるので、オススメのボールペンとか最新の消しゴムについて語れと言われれば3時間ぐらいならしゃべり続けられる。
しかし、新しめではない…逆に筆記用具の元祖とも言うべき筆の事なんかは全く分からないなーということにフと気付いてしまった。「筆の毛って何の毛なのか」とか、そんなことも知らないのだ。
これではいけない。いつ何時、筆について語れと言われるか分からないし。せめて「何の毛か」とかそれぐらいは知っておこう。
1973年京都生まれ。色物文具愛好家、文具ライター。小学生の頃、勉強も運動も見た目も普通の人間がクラスでちやほやされるにはどうすれば良いかを考え抜いた結果「面白い文具を自慢する」という結論に辿り着き、そのまま今に至る。(動画インタビュー)

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持ってますか、筆

自分がどれぐらい筆のことを知らないか…というかそれ以前に筆そのものを持ってなかったかもしれない。まずは自分の文房具棚を漁ってみた。
あ、いちおうあったけど…筆かなー。
あ、いちおうあったけど…筆かなー。
PopCorn ゆび筆という商品。
PopCorn ゆび筆という商品。
何年か前に発売された、指に装着して使うタイプの筆が出てきた。
いや、これも立派な筆なんだろうけど、なんかこれを前提に筆を語るのも間違っているような気がする。
こんな感じで書く。
こんな感じで書く。
これをやるために5本買ってた。
これをやるために5本買ってた。

案の定というか、やっぱりこのままでは筆に関して語るのは無理そうだ。
幸い、友人関係で筆に詳しい人がいるので、その人にざっくりした所を教えてもらえばいいや。

書道やってた人がいた

文房具関係の友人、木木屋さんはなんと新潟大学の書道科を出た、書道エリートの人だ。
木木屋さん。抱えているのは愛用の大字書(巨大な紙に書くやつ)筆。
木木屋さん。抱えているのは愛用の大字書(巨大な紙に書くやつ)筆。
…というのを知ったのは最近のことで、この方は現在では消しゴムハンコのアーティストとして業界ではかなり知られた人なのである。

「木木屋さん、字うまいっすねー」「あー、うん、大学が書道科だったから」
たまたまそんな会話をしたからこそ分かったことなのだが、元より世の大学にそんな学科があること自体知らなかったぐらいだ。

以来、当サイトでも記事にした『消しゴム香道』の時も、ホワイトボードにマーカーで題字を書いてもらうなど、いろいろとスキルを乱用した無茶をお願いしている。
香り付き消しゴムをクンクンするだけの企画だった。
香り付き消しゴムをクンクンするだけの企画だった。
木木屋さんにかかればマーカーでもこの格好良さだ。
木木屋さんにかかればマーカーでもこの格好良さだ。
木木屋さんに「筆の基本を教えてください」とお願いしたところ、じゃあ筆を何本か持って遊びに行くよー、と気軽なお返事をいただいた。ありがたい。
墨とかいろいろ持ってきてくれた。
墨とかいろいろ持ってきてくれた。
まず気になってた筆の毛のことを聞いてみた。
「いちばんベーシックなのは、鼬毛筆(イタチ)と羊毛筆(いわゆる羊ではなくヤギ)とかなー。あと、馬とか豚とか鹿とか。もちろんミックスもあります」
白いのは羊毛筆で、茶色いのが鼬毛筆。
白いのは羊毛筆で、茶色いのが鼬毛筆。
「毛の硬さとかコシとか細さとか色々とあるんだけど…例えば羊は柔らかいし、イタチは弾力ですね」

なるほど、じゃあひらがなとか柔らかい感じの字は羊で、かっちりした漢字なんかはイタチを使うとか、そういう使い分けをするのか。
「というか、書きたい字の雰囲気とか、表現したい内容にあわせて使い分けたらいいんですよー」

言うなり、さっと墨をすって書いてみせてくれた。
こちらはイタチ毛の筆。
こちらはイタチ毛の筆。
書き殴り「バカヤロー」書道。
書き殴り「バカヤロー」書道。
なめらかな羊毛筆。
なめらかな羊毛筆。
すらすら「すらすらすら」と書く。
すらすら「すらすらすら」と書く。
確かに羊毛イタチ毛とそれぞれ筆の性能が明らかに違うので、おのずとそれに合わせた字になってしまう。
イタチ毛では硬すぎて「すらすらすら」と書いてもなめらかに字が続かないし、逆に羊毛で「バカヤロー」と書いたら笑いながら怒るコントをやってる竹中直人のような字になるはずだ。

筆で書くの、面白い

この辺りで筆書きの文字が面白くなってしまい、筆の説明を差し置いて色んな文字を書いてもらう遊びに切り替えてしまった。
僕の中で「筆書きに似合いそうな文字」として選んだお題。
僕の中で「筆書きに似合いそうな文字」として選んだお題。
特に脈絡無く『亀甲縛り』と書いてください、とお願いしたら出てきた二つ。左は壇蜜のイメージ。右は半紙いっぱいを使ってギチギチに縛られてる感を出してみました、とのこと。あ、これ壇蜜だ。壇蜜感が出てる。書道、いろいろすごい。
置き手紙に挿し絵を入れてもいい。
置き手紙に挿し絵を入れてもいい。
ちょうど目の前にDVDがあったので、勝手に題字を作ってもらった。トムがジェリーに襲いかかる直前のイメージ。
ちょうど目の前にDVDがあったので、勝手に題字を作ってもらった。トムがジェリーに襲いかかる直前のイメージ。
おやつが美味しかったので、それを称える書を。「もち」のもち感がすごい。
おやつが美味しかったので、それを称える書を。「もち」のもち感がすごい。
友人だからといって、こんなすごい技術で贅沢に遊ばせてもらっていいのか、という感じだ。申し訳ない。
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いろんな毛の筆を見せてもらおう

筆が面白いということは分かったので、改めて専門の書道用品屋さんに伺って色々と見せてもらおう。
木木屋さんから「筆が見たいなら、神田の清雅堂さんに色々とあるんじゃないかな」と教えてもらった。
清雅堂さん。看板の「堂」の字がなんかかわいい。
清雅堂さん。看板の「堂」の字がなんかかわいい。
清雅堂さんは、戦前から神田で続いている書道用品と法帖(ほうじょう…書道のお手本)の専門店だ。

個人的に、カタログっぽく同じサイズのものが均質に並べられている光景にグッとくるのだが、このお店は店内に入った瞬間に掴まれっぱなし。かっこいい。
筆。
筆。
筆。
筆。
筆。
筆。
事前に電話で取材の趣旨として「筆の毛が何の毛でできてるのか、知りたいんです」と言ってみたのだが、「あ……はい」みたいなすごく戸惑った反応が帰ってきた。
たぶん、大学病院で「風邪ってどんな症状がでるんですか?」って訊くみたいなぼんくらな質問だったんだと思う。しまった、専門店でする質問ではなかった。

そんな間の抜けた取材依頼をしてしまったので結構ドキドキしながら伺ったのだが、とても丁寧にいろいろと教えてもらう事が出来た。
清雅堂の池田さん(左)と社長の廣瀬さん(右)
清雅堂の池田さん(左)と社長の廣瀬さん(右)
改めて自分が小学校の書道の授業以来まともに筆に触ったことのない人間であることを伝えた上で、いろんな筆を見せてくださいとお願いしてみた。

いろいろな毛

店内のあちこちから筆を出してもらう。
店内のあちこちから筆を出してもらう。
「羊毛とイタチ毛は知ってるんですよね。他には馬とか豚とか鹿とか…あ、これはコリンスキー毛」
謎の生物、コリンスキーの毛。
謎の生物、コリンスキーの毛。
いきなり聞いたことのない生物の筆が出てきた。
シベリアイタチという尻尾の長いイタチの別名だそうだ、コリンスキー。たしかにロシア語っぽい。コシがあって、イタチ毛筆の中でも高級品らしい。

「あとは…これはネズミで、これがネコ」
これがネズミ筆。
これがネズミ筆。
ネズミ毛は細くて、わりと弾力がある。
ネズミ毛は細くて、わりと弾力がある。
かたやネコ筆。
かたやネコ筆。
ふわっとしていて柔らかい。まさにネコっ毛だ。
ふわっとしていて柔らかい。まさにネコっ毛だ。
ちなみにネコ筆は別名を「玉筆」という。
そうか、ネコだからタマなのかー、と良く分からない感心をしていたら、池田さんに「ネコは毛先が尖らず丸まっているから玉毛というんです」とクギを刺されてしまった。
単に筆が重なっているだけの写真に見えるが、宿命の対決中。
単に筆が重なっているだけの写真に見えるが、宿命の対決中。
宿命の対決、題字。
宿命の対決、題字。
ところで、以前にテレビで「ラッコはほ乳類の中でも体毛の密度が最も高い」という話を聞いた記憶がある。なんでもあの身体に8億本ぐらい毛が生えてるそうだ。
今回、筆の毛について疑問を持った時に「ラッコ筆もあるんじゃないか」というのを最初に思ったのだ。

「ラッコ…は見たこと無いなあ。こんなのはあるけど」
何の毛だ。
何の毛だ。
毛の見た目はイタチっぽいか。
毛の見た目はイタチっぽいか。
「これはカワウソの毛。四万十のカワウソ」
たしかに「かわうそ」とは書いてある。
たしかに「かわうそ」とは書いてある。
四万十川のカワウソって絶滅したとかそういう類の生き物ではなかったか。
…と思ったが、絶滅とか言われる前の昔に作られたものがそのまま店に残っていたらしい。
そして、そんなレアものが12,000円でいいのか。(値段も昔からそのままになってるらしい)

まだ次々出てくる

「で、これは鶏」
ついに哺乳類以外の筆まで出てきたか。鶏ということは、つまりは羽毛だ。
ケバだった感じが、あきらかに筆っぽくない。
ケバだった感じが、あきらかに筆っぽくない。
ふかふかで触ると気持ちいい。
ふかふかで触ると気持ちいい。
やはり獣の毛に比べると羽毛はふわふわと柔らかく、とても扱いづらい。その分、予測不能な線が書けるのが面白いのだそうだ。

さらに、清雅堂さんの以前のカタログには、孔雀の羽を使った孔雀筆まで載っていた。
左から4本目が孔雀筆。
左から4本目が孔雀筆。
現物を見たかったのだが、これはいま売れてしまって在庫に無かった。
本当に孔雀の羽を使っているので、穂先の中に孔雀の羽のあの模様がくっきり出ていて綺麗なんだそうだ。(検索すると、他の書道具屋さんで扱ってる孔雀筆の画像が見られる)
なんかそんなきれいな模様に墨をべったりつけてしまうのも気が引けるが。

「動物じゃないけど、こんな筆もありますよ」と池田さんが出してくださったのが、これ。竹を削り出して作った竹筆だ。
先端を細くささらに削って、叩いて柔らかくしたもの。
先端を細くささらに削って、叩いて柔らかくしたもの。
軸と穂先が一体化。バンブーモノコックボディである。
軸と穂先が一体化。バンブーモノコックボディである。
毛の部分はもちろん普通の筆よりも遙かに硬いので、ざっくりと擦れた筆跡になる。
かの一休さんこと一休宗純もその書き心地を求めて、には竹筆を用いていたとのこと。へぇ。
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毛以外にも変わった筆がある

いろいろと出していただいている筆の中に、また不思議な形の筆があった。
筆というかモナカだなー。
筆というかモナカだなー。
というか最初に見た時は「あれ、筆が何本もまとめてパッケージされてるのか」と思ったのだが、そうじゃなかった。横一列につながっている、ハケのような筆なのだ。
もちろんモナカやアイスのようにパキッと割って切り離して使うわけでもなく、そのまま手に持って使う。
筆というかジュリ扇だなー。
筆というかジュリ扇だなー。
これで大きい字を書けるということだが、手に持ってひらひら動かしていると、非常に扇子っぽい。もし機会があればこの筆で「ジュリアナ東京」と書いてみたい。

通常、筆の軸というのは木や竹でできているものなのだが、漆器や陶器のものもあった。
陶器と漆器。お椀じゃなくて筆。
陶器と漆器。お椀じゃなくて筆。
漆塗り筆は穂先も羊毛の高級品。
漆塗り筆は穂先も羊毛の高級品。
陶器軸に描かれた竜の顔がボンクラでかわいい。
陶器軸に描かれた竜の顔がボンクラでかわいい。
ちなみに陶器筆は穂先の品質が悪く、ほぼ飾り物用とのことだ。実際、軸も重いのでこれで字を書くのは素直にイヤだなー、という感じ。値段も見た目のわりにはまあ、えー、こんなもんか、という4千円。
かたや漆器筆は筆としてのクオリティも高くお値段は18万円。気楽に「書道の先生が使う赤い墨をつけたら全体が真っ赤になりますねー」とか言いながらぺたぺた触っていた手がハッと硬直するお値段だ。

高いやつはまだまだ高い

18万円で硬直していると、池田さんが「高いのも出しましょうか」と言ってくれた。そうか、18万円は高い方じゃないですか。
擦り切れた古い筆。でかい。
擦り切れた古い筆。でかい。
「これなんかは、実際に使われてたから擦り切れてるんだけどね。馬の尻尾の毛のいいところを集めて作られた高級品で、100万円」
馬の毛は硬いので、書いている間に紙との摩擦で擦り切れていくのだそうだ。

それはさておき、できればもうちょっと安いところから徐々に驚いていきたかった。いきなり大台を突破されてしまっては、こちらとしてもうまく受け身が取れないではないか。

はー、これ100万円ですかー、と見ていると、店の向こう側から社長が「これが一番高いですよ」と声をかけてくださった。
あ、さらに高いのがありますか。
鍵付きの棚に飾ってあるのが、いちばん高い筆。
鍵付きの棚に飾ってあるのが、いちばん高い筆。
「これはいいものですね」「いいものだよね」
「これはいいものですね」「いいものだよね」
ていねいに軸を拭う廣瀬社長。
ていねいに軸を拭う廣瀬社長。
「これが未使用の筆でして、200万円ですね」
擦り切れた筆で100万円するのか、と驚いていたのだが、単に未使用だとその倍はするということだった。シンプルな市場原理だ。
軸と穂先の間に象嵌まで施されている。毛もキューティクルがつやつや。
軸と穂先の間に象嵌まで施されている。毛もキューティクルがつやつや。
軸は水に沈むぐらいの硬い紫檀(ローズウッド)製で、毛は先ほどの100万円の筆と同じく馬の尻尾の毛を選り抜いて作られたもの。
大きい筆だと穂先も当然長くなるが、それだけ切れずに長い毛で品質の良いものを大量に集めるのが大変なので、自動的に高価になってしまうのだそうだ。

筆もいいけど売場もいい

で、清雅堂さんで筆を色々と見せてもらっているうちに、それとは別で面白いなと感じたのが、筆の売場だ。
ガラス瓶や竹筒の筆立てにざらりと筆が立っているその密度感もいいし、さすが書道具屋さんだけあってめちゃくちゃ綺麗な字で書かれた値札も凛々しくて良い。そしてなにより筆の名前が格好いい。
棚に詰め込まれた筆立て。みっしりと、筆。
棚に詰め込まれた筆立て。みっしりと、筆。
「玉蘭蕊」の蕊の字を打つための漢字検索が大変だった。あと、特製なのもグッとくる。
「玉蘭蕊」の蕊の字を打つための漢字検索が大変だった。あと、特製なのもグッとくる。
「右軍書法」と「無上妙品」。字がとにかく美しい。
「右軍書法」と「無上妙品」。字がとにかく美しい。
「則妙」
「則妙」
「椿山」
「椿山」
「精品 鶴脚」精品(よりすぐった品)という言葉、久しぶりに見た。
「精品 鶴脚」精品(よりすぐった品)という言葉、久しぶりに見た。
「道風」これが玉毛。ネコだ。お値段もそこそこ高級。
「道風」これが玉毛。ネコだ。お値段もそこそこ高級。
「極品 鼠鬚」極品という言葉の押し出しの強さよ。ちなみに鼠鬚という名前だけど本当に鼠(ねずみ)の鬚(ヒゲ)ではないらしい。
「極品 鼠鬚」極品という言葉の押し出しの強さよ。ちなみに鼠鬚という名前だけど本当に鼠(ねずみ)の鬚(ヒゲ)ではないらしい。
帰って確認していたら、あまりの格好良さに値札と筆立てばかり大量に写真を撮っていた。これは素敵なので、みんなで共有しよう。ほらほら、超格好いいよね。

結局のところ単に筆のことが知りたかっただけなのに、ちょっと踏み込んでみたら、書道の技術でいろんな字を書くのが面白いし、筆もいろいろあって面白いし、さらに売ってる佇まいまで面白かった。書道、全般的に面白い。
最近は若手の書道家の方がメディアに露出したりと頑張っていることだし、なんかもうちょっと書道を面白がってもいいんじゃないかなと思った。
筆を変えて名前を書くだけでも意外と楽しい。
筆を変えて名前を書くだけでも意外と楽しい。
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