山梨といえばほうとう、鳥もつ煮
甲府駅前に降り立つと「名物 煮貝」の看板が見える。海がないのに貝を名物にしてくる山梨県である。
観光客が多く入りそうな店には「ほうとう」「鳥もつ煮」の文字。このあたりが山梨名物めしの代表選手だろう。
一方カツ丼はその店のメニューの隅のほうに「甲州風カツ丼」とだけ書かれている。一応名物として認められてはいるようだ。
駅前の店ではほうとうと鳥もつ煮推し。カツ丼は大きくは書いてない
カツ丼を求めさまよう
このカツ丼してないカツ丼が山梨では「カツ丼」としてふつうに出されているそうだ。できれば「甲州風カツ丼」ではなく「カツ丼」として出されている町の食堂みたいなところに行きたい。
古そうな食堂に聞く。「そう、東京とも長野ともちがうね。三代前からこのカツ丼だからねー」
ずっと山梨ではこのカツ丼だった
あいにく今日は休業日だという年季の入った食堂でお母さんにきいてみると「そうそう、キャベツの上にカツがのってるのね」と言う。それだ。それがカツ丼してないカツ丼だ。
「昔からあるねえ。うちだと三代前から」と言うからそうとう古いのだろう。
またどうしてこんなカツ丼になったのかもわからないらしい。カツが卵とじになったみたいなダイナミックな変化でもないから手がかりも少なそうだ。
地味な丼で不明点も多い。官公庁は休みでお店も休み。今日はあやしい。
お蕎麦屋さんで聞く「煮カツ丼ならあるんですけどね」全国のカツ丼は煮カツ丼。山梨のカツ丼にはそばつゆが必要でないからお蕎麦屋さんではやってないのかもしれない
カツ丼と煮カツ丼
お蕎麦屋さんってカツ丼置いてあるなと思い入ってきいてみると「煮カツ丼ならあるんですけどね」という。
山梨でカツ丼をたのむとカツ丼してないのがくるため、全国的な卵とじのカツ丼は煮カツ丼と呼んで区別してるらしい。
そばつゆを使わない山梨カツ丼はお蕎麦屋さんとも切り離されているのか。
それでは一体どんなものか。事前に検索して目星をつけていた食堂にいくと店頭にディスプレイがあった。
これが山梨のカツ丼スタイルである。カツ丼と煮カツ丼がある。
私たちがイメージする全国的に普及しているカツ丼は煮カツ丼と表記される
そしてこれが山梨のカツ丼である。おわかりだろうか。私はこの食品サンプルでわかる自信がない
年季入りすぎた町の食堂に
ガラガラと扉を開けると奥からおばあさんが出てくる。こういう店には独特の匂いがある。なつかしい感じだ。
インターネットにのせる記事で山梨のカツ丼を調べていること、取材であることを伝えてカツ丼を頼むと「卵でとじられてるのとどっち?」とお母さんが聞く。間違うといけないのでいつもこう聞くそうなのである。
先ほどの食品サンプルの店がこれだ。メニューの頭にカツ丼がある。よく出るのだろう
もちろん全国チェーンの店では山梨でも卵とじカツ丼が「カツ丼」として表記されていると山梨の知人から聞いた。間違う人が続出してお店ではテプラで説明を足したそうだ。
「カツ丼よく出ますよ。さっぱりしてておいしいってね。食べてく人多いですよ」と店のお母さんは言う。
トイレはどこかと聞くと故障してるんですという。なるほど…そういえばこの匂いトイレの匂いである。さっき感じたなつかしさを返してほしい。
店のむかいのコンビニでトイレを借りて戻ってくるとカツ丼はやってきた。カゴメソースとともに。
ドンと置かれるカゴメソースにとまどう
ふたをあけるとごはんの上に千切りキャベツにレモンと紅しょうが。そしてとんかつ。紅しょうがが丼らしさをあおるもレモンの定食感で相殺である。
自分でカゴメソースをかけて完成である。はたしてこれはカツ丼なのであろうか
丼にのったとんかつ定食
丼にはフタがある。フタをとるとごはんの上にはとんかつとキャベツとレモン、それに紅しょうが。紅しょうががかろうじて丼的な要素であるが、ほとんどとんかつ定食である。
食べてみる。うむ。うまい。間違いのない味だ。やはりとんかつ定食はうまいなという味がする。
だがそれもとんかつ定食らしさである。山梨カツ丼のカツ丼らしさ、丼としてのオリジナリティをいまだ器にしか見いだせていない。(へ~、こっちのとんかつ定食は丸いものにコンパクトに収まってるな~)というように、食べ物というより収納の話に近くなっている。
サンリオは山梨の王、山梨王からきているらしいのでキティちゃん
見ればメニューに「カツライス」というのもある。どこがちがうのかときいてみると、こちらは皿で出てきてちょっと小鉢がついたりするそうである。ほとんどちがわなさそうだ。
なるほどそれで100円高いんですねとか、おもしろいですねとか、さっき深沢七郎の小説読んでたんですけどみんな語尾に「ごいす」って言うんですかとか、色々しゃべってそろそろ出ようかというとき、お店のことはインターネットに載せないでくれとお母さんがいう。
私たちがキティちゃんの穴を覗き込むとき、キティちゃんの穴もまたこちらを見ている
何かあったんですか…ときくと、昔つらいことがあったという。記事書くっていってお金とるやつですね、お母さん。あれにひっかかったんですね。でも最初に、最初に言ってくれればぼくはお腹いっぱいにならずにすんだのに……ああ、お勘定!
次の一店。アイスや志まんやき(今川焼き)を売る店で定食も出ているようだ
アイス店でたべるカツ丼
休憩をはさみ、どこかカツ丼のたべられる店はないかとふらついていたらじまん焼きなる今川焼きを売る銀座富士アイスというお店を見つけた。
煮カツ丼とディスプレイにあるのできいてみるとカツ丼もあるという。さすがだ。銀座も富士もアイスも今川焼きもカツ丼も煮カツ丼もあるのだ。ここにはなんでもある。
煮カツ丼がある。ということは…やっぱりありますか!
山梨かつ丼と書かれている。その下のとんかつ定食との差が気になる
持ってくるときに「ソースは自家製ですから」と強調していた。丼っぽくないことを気にされてるのかもしれないな
山梨ルールを更新してくるカツ丼
またもフタがある。フタをとるとマヨネーズがかかったキャベツの千切りとソースのかかったとんかつ、そして辛子である。辛子か。
辛子がよりカツ丼よりとんかつ定食らしさを高めてくれるではないか。だんだんとこのとんかつ定食らしさが愛らしくなってきた。
山梨のカツ丼について検索していると「自分でソースをかけるカツ丼」という定義が出てくる。
ところが「ソースは自家製なんですよ~」とおばちゃんの持ってきたカツ丼にはそもそもソースがかかっていたのであっさりその定義が塗り替えられた。
やはり山梨のカツ丼のルールとは「丼らしくなさ」「とんかつ定食らしさ」にあるのではないか…
ラードで揚がったお肉屋の揚げ物の香り。うまいうまい、とんかつはうまいなあ
丼か皿かというだけ
うまい。やはりうまい。ここはアイス店と書かれているが昼時はお客さんでいっぱいだった。味も人気もある店なのだろう。とんかつ定食もやはりうまいのだ。
いやちがった、食べていたのはカツ丼だった。目をつぶってたべると忘れそうになる。
お店のお母さんに山梨のカツ丼についてきいてみるとやはり昔からこうで由来もわからないという。
――ふつうに皿でたべるのとどこがちがうんですか?
「とんかつ定食というのも出してるんですよ。それとなにもちがわない。丼か皿かというだけ」(※量の違いとか小鉢とかあるんでしょうけど)
でかすぎる信玄公。
やはり山梨のカツ丼は器のちがいだけなのか?
「丼か皿かというだけ」という言葉が頭のなかで繰り返される。
信玄公、この感情をどうすればよいのでしょうか。なぜそんな丼っぽくない丼が存在するのでしょうか。東京から器を見に来たようなものじゃないですか。それと信玄堤はなんで決壊しないんですか? 「人は石垣」と言ったそうですが、組体操のピラミッド的なやつですか? それ今問題になってますよ、信玄公!
喫茶店で考えていた。お腹はまだ空かない。
夜ご飯までねばった。駅前にある「箸で切れるやわらかいとんかつ」力というお店に。先ほどの2店とちがってとんかつ屋である
定食のためにもられたキャベツとポテトサラダ。これが丼に盛られるのだろう
「甲州風カツライス丼 950円」カツライスというのが一般名称なのだろうか
とんかつ定食と値段は一緒である。中身はどうだろうか……
おおお、これぞ! とんかつ定食となにもちがわないものがきた!
ソースはとんかつ屋さんのソース。どこまでもとんかつ定食なやつだぜ
山梨カツ丼らしさが見えてきた!
ごはんにキャベツにポテトサラダ。こちらのカツ丼もとんかつ定食がのっかっていた。
店主が言うには食べ方があるらしい。「カツにソースをかけて、そしたらカツだけ皿に移して。それでスペースができるじゃないですか。ソースがごはんが少ししみてて、それがたまらないらしいんですね(笑)」
ここにきてようやく出てきた山梨カツ丼のオリジナリティ。となるとやはりただのとんかつ定食ではなかったのか、山梨カツ丼はカツ丼カツ丼していたのだろうか?
とにかくやってみよう、カツをフタにワープ!
ソースをまずかける。下にもしみるようにと考えていたらどっぺりいってしまった
そして皿にカツを移すと、ソースしみごはんができている。たしかにこれは山梨カツ丼らしさかもしれない。しかしふたを皿にすることでとんかつ定食らしさもまた高まってるではないか!!
とんかつをひとかじりして
あ、とんかつ屋のとんかつはさすがに……うまいなあ
なぜこんなカツ丼なのかがわかった
ソースのしみたごはんとキャベツととんかつ、うまいなあ。箸で切れるというとんかつも今までのはなんだったんだろうというほどにうまい。
しかしこのカツ丼の由来なんてわからないですよね。
「このカツ丼はね、もともと蕎麦屋さんのものだと思うんです。
蕎麦屋さんが出前をするときに、皿があってごはんがあって、だと出前できない。だからごはんの上にカツライスをのっけて出前をした。それがどうも発祥のようです。
だからとんかつ屋のものじゃないんですね、蕎麦屋さんのもの」
なんと、これぞという説が出てきた。市の観光協会に聞いてみたりネットで検索してみたりしても一切わからなかったのだが、これは説得力がある。
ソースのしみたごはんにポテトサラダ。よさがわかってきた…
あまりにもカツ丼をたのまれるので出している
「うちもとんかつ屋だからやってなかったんですけど、あまりにもカツ丼ないの?と頼む人が多いんで(笑)。
私くらいの歳の人はカツ丼がたべたくても食べられない時期があったんです、子供の頃。だからあこがれのどんぶりなんです。
年寄りの人はとんかつ定食をたのんでごはんの上にとんかつとキャベツをのっけてて。そこまでやるならいいですよ、やりますってカツ丼を出しました」
――当時のあこがれのカツ丼が今も残っているんですね
「お姉ちゃんのお嫁に行く前に家族でカツ丼をとって食べたとか。そういうエピソードがいっぱいあるんです。特別なんですね。ちなみにほうとうはいやでいやで(笑)…この世代は(笑)」
毎日いやというほど食べさせられたそんなほうとうが今では山梨観光メニューの第一位になっていて、あこがれのカツ丼が末席にいるのである。何が名物になるかはわからないものだ。
「フタがないと成立しないんですね」そういえばどれもフタがされていた。出前に不可欠なフタであり、皿ともなるフタが重要なカツ丼だった。
カツ丼してなさには理由があった
山梨のカツ丼のカツ丼してなさ。それはそもそもそういうものだったのである。
とんかつ定食を出前で運ぶために丼化したものが山梨のカツ丼だったのだ(という説が今のところ有力)。
とんかつ力の店主は「いわゆる卵とじのかつ丼より古いんじゃないですかね」と言う。卵とじカツ丼が甲府盆地をようやく越えたころ、もうこちらの人々は嫁入り前にとんかつ定食カツ丼を食べていたのだろう。
実際に足を運んで調べてみると何もおかしなことはなかった。この盆地のなかではこれが正統な歴史なのである。