同僚のこと
同僚として一緒に働き始めて、2年と少しが経つ。
彼も僕も同じく、このサイトのライター兼、編集者だ。彼はライターとしては先輩にあたり、組織上、つまり編集部員としては後輩にあたる。(最初はお互い外部ライターで、僕が先に編集部に入った。)
藤原さん。2016.3.25 JR鵜沼駅にて
そういうわけで2年以上一緒に働いているが、彼が極端に無口で、顔にもあまり感情を出さないので、僕は彼の感情を推し量ることができない。
たとえば時折、忙しいと僕は彼に雑用を振ってしまうことがある。上下関係にこだわるわけではないが、心のどこかで「もともと先輩なのに悪いな」という思いもある。
文句も言わずに淡々と雑用を片付けながら、内心、彼はどう思っているんだろうか。僕はそれを読み取ることが出来ない。唯一、僕が読み取れる彼の感情表現といえば、仕事のやり取りに使うメッセンジャーの発言の語尾に「。」がつくか、「!」がつくか、「…」がつくか。それくらいだ。
同日、JR高山本線、車内
そのことについて、100%、すべて彼に原因があるわけではない。僕も、もともと人とのコミュニケーションが得意なほうではないのだ。雑談が苦手だ。話すときに人と目を合わせない。
藤原さんの表情が読めないのも、僕が彼の顔を見て話さないから、ということでもある。
要は、お互いに不器用なのだ。彼のほうも、僕のことをよくわからない奴だと思っているかもしれない。
美濃太田駅で、長良川鉄道に乗り換える
そんな藤原さんと2人で岐阜に旅行に行くことになった。行先は徹夜踊りで有名な、岐阜県の郡上八幡。
旅行といっても仕事なのだが、東京から新幹線・私鉄・ローカル線を乗り継いでの移動である。行き先は観光地。これを「旅」と呼ばずしてなんと呼ぼうか。
対面の座席に座る
同僚と友になる
この記事のテーマは「友」だ。友の会(当サイトの有料コンテンツ)のプロモーション企画だから。企画の内容は「乙姫滝で音姫を作る」。もともとは、会社のトイレに音姫がなくて困っている同僚の女性に、僕たちがお手製の音姫を渡すという友情ストーリーだった。
その音姫に使う音を録音するため、郡上にあるという「乙姫滝」に向かっている。音姫に、乙姫。ダジャレをさかのぼる形である。
記事に使おうと思って撮っておいた、同僚が困っている様子の写真
道中、藤原さんと二人でローカル線に揺られながら、しかし僕は考え直した。フィクションの友情(本当は会社のトイレには音姫がある)よりも、いま目の前にある友情のことを思うべきではないか。
藤原さんには言わずに、僕は心の中でそっと取材のテーマを変更した。
つかみどころのなかった藤原さんと、僕が、この旅を通して「友」になる。それがこの記事のテーマである。
長良川線と言いつつ、外は農地が続く
ローカル線の距離感
二人で同じ一両編成のローカル線に揺られる。
電車に乗りこんだ時、僕は埋まりつつある座席から、二人座れそうな空席を選んで座ったのだ。あとに乗ってきた藤原さんは隣ではなく、対面の席に座った。
距離感……と思いかけたが、彼にとってはこれは旅行ではなく単なる仕事。友である以前に同僚である。お互いのパーソナルスペースを確保しようという気遣いだと思いなおした。
対面の藤原さんが撮った僕。空が青い。
そのうちに線路の向かう方角が変わり、日差しが熱くなってきたので、僕は席を移動した。
藤原さんの隣の席に移り、一言「日差しが熱くて」と言った。
聞かれてもないのに言い訳するこの感じ。自分が10代の頃、付き合ってるか付き合ってないのか微妙な関係の女の子に対してとったのと同じ態度であることに驚く。
もちろん藤原さんに対して恋愛感情があるわけではない。思うに、これは単に僕が「この人と仲良くなるぞ」と強く思った時の行動で、そういう気持ちになったのが10代以来、ということなのかもしれない。
自分の35年間の生き方を見つめ直さずにはいられない発見だ。
遠くを見ながら焼き芋をほおばる
お昼を過ぎて小腹がすいてきた。焼き芋を持っていたので、半分に割って藤原さんにも渡す。食べながら「皮むかないんですか」、「皮ごと食べます」。そんな会話を一言二言。それから少し雑談をしたが、まあそんなに話し込むこともなく数分で終わった。最も盛り上がった「ワンマンバスってそんなに主張する必要あるんですかね?」という会話は、1分半くらいで終わった。
雑談スキルの低い二人である。打ち解けるには会話以外の方法を考えないといけないのだろう。そういう意味では焼き芋を分け合ったのは良かったと思う。
友スタンプカードに1つハンコが押された気がして、その後は気が緩み、友そっちのけで外の景色の写真を撮りまくってしまった。
農地ばかりだった外の景色が、どんどん雄大になってきた
川沿いを電車は走りぬけ
似たような格好の男が二人、駅に降り立った
オフシーズン
電車は目的の郡上八幡駅についた。
ここから市街地を15分ほど歩き、そのあと山道を少し歩くと、乙姫滝につくはずだ。
郡上八幡は、観光地といっても最盛期は夏だ。初春の3月はまだ人通りも少なく、静かな町だった。雑踏の中では話し声もかき消されてしまうような二人である。これならゆっくり会話でもしながら、道中の市内散策ができると思った。
ところが、市街地の道は思いのほか車通りが多くて、2人並んで歩くことはできないのだった。
藤原さん撮影。縦に並んで歩く
いや、写真で見ると十分横にならんで歩けるスペースはあるような気もする。とにかく、そこに何らかの力が働き、僕らはキャリーカートひとつ分の距離を保ったまま、目的地までの道のりを、縦に並んで歩いた。
一列になって無言で歩く2人の姿が窓ガラスに映る
それぞれの楽しみ
藤原さん撮影。いつの間にかおもしろ標語の写真を撮っていた
藤原さん撮影。彼の気を引いたのはイラストか、それとも「トータルファッション」か。
藤原さん撮影。真っ二つ
藤原さん撮影。出生の地(ただし妻)
あとから受け取った写真を見ると、僕の後ろを歩きながら、彼は彼のやり方で市街地散策を楽しんでいたことがわかる。それが会話を通してその場で共有されることは少なかったが(少しはあった!)、僕は後日こうやって彼が撮った写真を見て知ることができた。
記事を書くという作業がなければ、こんなふうに後日、写真のやり取りをすることもなかったかもしれない。自動的にこういう交流が発生するというのは、同僚ならではの強みではある。
道中見つけた謎の押しボタン。
道端にボタンのついた木のケースが設置されていた。「押してください」と書いてあるが押しても何も起きない。
どうやらショーウィンドウに動く人形が入っているらしいが、ウィンドウごとケースにしまわれていたのだ。その場では「まあオフシーズンだから」の一言で片付いてしまったのだが、あとから写真を見ると
ケースの隙間から中の様子がしっかり写真に撮ってあった
町と川と橋と滝
地図を見ながら歩いていると地元の人が声をかけてくれた。軽く道案内してもらっただけだが、語数でいえば藤原さんとの会話2時間分に相当する。
そしていよいよ乙姫の地に到達する。
目指す乙姫滝は乙姫川にあり、その乙姫川が市街地へ流れ込むあたりが、乙姫町だ。そしてそこにかかる小さな橋がこの乙姫橋である。つまり、このあたり一帯が乙姫の地なのだ。ここへきて藤原さんもカメラのシャッターを押す回数が増え、少しテンションが上がってきたのだな、と感じる。
橋から望む乙姫川。音姫にはうってつけのせせらぎ。
藤原さん持参の録音機材
僕もICレコーダーを持ってきていたのだが、藤原さんはもっと大きなオーディオレコーダーと風防カバー、モニター用のイヤフォンまで持参。しかも一眼レフに固定して、動画も一緒に撮れるようになっていた。
こういう抜かりなさのある男だ。
水面近くまで降りて収録する
静かな旅である。録音するとき「録音するから静かにしててくださいね」などと無粋なことを言わなくていい。それも風情かもしれない。
※こちらからmp3をダウンロードして、スマートフォンに入れると音姫として使えます。→リンク
乙姫川にたどり着いた興奮からか、どちらが言い出すともなく自然な流れで、そのせせらぎを録音してしまった。しかし今回の目的地はここではない。この先、山を登ったところにある、乙姫滝。滝である。
観光客、山を歩く
登山口にあった道案内。「Otohime god water」と書いてある
「ゴッドウォーターだって」と伝えると、いい笑顔が出た
川の流れも荒々しさを増す
そこそこの山道である。
誤算だったのは、荷物だ。観光地だからきっと駅前に観光案内所があるだろう、そこで大きい荷物は預かってもらおう、と踏んでいたのだ。しかし実際にたどり着いてみると駅前には何もなかった。結果、こうしてカートを引いたまま(というか持ち上げたまま)山に登っている。
この状況、輪をかけて無口にもなるよな……と思って振り向いたら、あまりのことにちょっと笑っていた
カートを、よいしょっ、と持ち上げて倒木を乗り越えたりする必要がある。やっぱりちょっと笑っている。
これで標高2,000mくらい登れと言われたら険悪にもなりそうなものだが、今回は目的地が近いことがわかっているので、二人でヘラヘラする程度で済んだ。むしろ小さな苦労を共有して、結束感がでてきた。怪我の功名というやつか。
そうして15分ほど歩いたころ、目の前に大きな滝が姿を現す。
乙姫滝?
録音班が素早く収録。手際の良さがある
※こちらからmp3をダウンロードして、スマートフォンに入れると音姫として使えます。→リンク
なんか、コンクリート製だ。乙姫っていうには、そして観光名所にするには、えらく人工的な滝だ。しかも、これまでさんざん道案内の看板があったのに、ここには立て札ひとつない。
おかしいなと思い、念のためもう少し登ることにした。
すると、ここから山道は険しさを増し、二人ともキャリーカートをもう10cm、高く持ち上げて歩く必要があった
そしてほんの5分ほど歩いたところで、我々はいよいよ本物の乙姫滝との邂逅を果たす。
ほんとうの乙姫
これが本物の
乙姫滝
小さな滝が4段に連なって、うねる竜のような全体を形成している。いや、ここは「舞う乙姫のような」というべきか。郡上八幡のある岐阜は、海のない県である。遠い海へのあこがれが、この滝にそのような名前を付けるに至ったのか。いずれにせよ、なるほど、かわいらしくしなやかな滝であることは確かだ。
※こちらからmp3をダウンロードして、スマートフォンに入れると音姫として使えます。→リンク
4段に連なる滝は、言ってみれば4chのサラウンド音姫である。トイレの音姫は個室の壁にくっついてチョロチョロと頼りなく鳴るだけだが、この乙姫のサウンドは僕らを丸ごと包み込んでくる。
駅からここまで、歩いたのは30分ちょっと。さほど険しい道ではなかったが、目の前の景色には「たどり着いた」という達成感があった。
機材をセッティングする藤原さんに笑顔が
僕もいい笑顔が出ていた
勢いで飲んでみる
おいしい山の水なのだと思うが、音姫が頭にあるとどうしても水洗トイレを連想してしまい、素直に味わえないのであった
音姫としての真価
さて、テーマ変更を経て今となっては本題からそれるが、いちおう当初の目的であった音姫作りもすこし掘り下げておきたい。
この乙姫滝の音で、本当に用を足す音が消せるのだろうか。
実際ここで用を足してみるのも手ではあるが、もろもろの事情を考慮した結果、エミュレータ(模倣装置)を使用することになった。
エミュレータ(小)
乙姫滝の前でペットボトルから水を流すことで、音がちゃんと消えてくれるかどうか試してみよう。
水の音はほぼ聞こえないといってもよい。映像を見ながら耳を澄ますとその気配は感じ取れるが、これが個室の向こうであればほぼ無音と言ってもよいだろう。
続いて、通常の音姫と同じく、小川のせせらぎだったらどうだろうか。市街地を流れる乙姫川で試してみた。
乙姫川のせせらぎ vs エミュレータ(小)
放水時のチョロチョロという音ばかりか、最後にチャッチャッと水を切るときの音さえ聞こえてくるようだ。
考えてみれば、トイレで行われているのは、小さな滝を作る行為である。木を隠すなら森の中、用を足すなら滝の中、ということだろう。
とにかく、こうしてこの日の目的は達成。おのおの満足感を胸に、山を下りた。(キャリーカートを持ち上げながら……)
駅の待合室
帰り道、駅まで戻ってみるとちょうど電車が出たところで、次の電車は一時間半後だった。市街地に戻って時間をつぶしてもよかったのだが、メルマガを書いたりとかの細かい仕事が残っていたので、ここで片づけることにした。
来たときは気づかなかったのだが駅にコインロッカーがあった
駅のベンチでそれぞれノートPCを叩く。日中は暖かかったものの、日が落ちると急激に冷え込んできた。「寒いですね」と藤原さんが言った。
何かないかと思ってカバンの中を調べてみると、古いカイロを一つ見つけた。「古いから使えるかわからないけど」と言って、藤原さんにあげた。
譲り合いの精神からでなく、単に僕はマフラーを持っていたから、カイロは不要だっただけである。
「(古くても)たぶん大丈夫ですよ」と言いながらカイロを振り、ときどき取り出して揉みながら、藤原さんはメルマガの原稿を書いていた。ピンチを助け、友情が深まったな、と思った。
昼の写真。木造の趣ある駅だった。
後日、発行されたメルマガを読んでいたら、こう書かれていた。「出張先で寒くて凍えています。石川さんにカイロをもらいましたが古くて全然温まりません」。
直接、言ってよ!!
そこに「友」はあったか
日々のコミュニケーションの中で、言葉数が少なかったり感情が見えなかったりすると、どうしても足りない情報量を想像で補おうとして、本当は怒ってるんじゃないかとか、不満をため込んでいるんじゃないかとか思ってしまう。でもその想像は疑心暗鬼のたぐいであって、実際のところはもっとシンプルなのではないかという気もする。
彼の感情を知りたい、などと思うことはそこを深読みする行為であって、そこから何かがわかると考えるのは思い上がりなのかもしれない。
思い返してみると、僕は藤原さんに接するとき、以前はそういう深読みを試みたこともあったけど、今はあまりしなくなった。それはあきらめたというよりも、彼に信頼を置いたからではないだろうか。なんていうか、得体のしれない相手から、気心の知れた相手に変わったというか。
二人旅を終えて思ったのは、しょせん、一日程度の旅程で急速に仲良くなろうとしてもそれは難しいということだ。特に僕や藤原さんのようなコミュニケーション密度の低い人間の場合、なにかのきっかけで急に意気投合するとか、そういうルートがない。
ただ、そうやってわざとらしく距離を詰めなくても、僕らは僕らでそこそこうまくやっているのではと思う。一日のあいだに、二人でゲラゲラ笑い転げたりとか、話がものすごく盛り上がったりとか、そういうのは一度もなかった。淡々と、行って、滝を録音して、帰ってきた。でも、二人で行く旅行はなんとなく楽しかったのだ。
後日、何かの機会に「あれなんとなく楽しかったですね」と言ったら、彼も「楽しかったですね」と言った。僕の経験上、「はい」とか「そうですね」が彼の平熱の返事で、「楽しかったですね」は本当に楽しかったときの返事だ。たぶん。
僕と藤原さんは、うまくやっている、「友」と言えるんじゃないかな、と思ったのだ。
はたして本人はどう思っているか、僕は彼の表情が読めないので分からないけど。
しかし帰りの電車では、ふたたびほとんど一言も喋らずに帰った(こんどは疲労で)