

これが「フランス式階段工」だ!

長野県の松本市方面に行った。
川沿いの道を車で走っていると、目の前に現れた滝に目が釘付けになった。尋常じゃない雰囲気があったのだ。
詳しく見てみるとそれは滝ではなく、とても珍しい見た目の砂防ダムだった。
川沿いの道を車で走っていると、目の前に現れた滝に目が釘付けになった。尋常じゃない雰囲気があったのだ。
詳しく見てみるとそれは滝ではなく、とても珍しい見た目の砂防ダムだった。

1974年東京生まれ。最近、史上初と思う「ダムライター」を名乗りはじめましたが特になにも変化はありません。著書に写真集「ダム」「車両基地」など。
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ちょっと待った!
その砂防ダムを見つけたのは長野県の松本市の山の中。ライフワークであるダムめぐりの最中、とあるダムに向かう道で、川沿いの小さな集落の中を走っていたところ、正面にしぶきを上げて落ち込む水の流れが見えた。咄嗟に滝かと思って、車のスピードを落としてよく見ると、それは人工的に造られた川の段差のようだった。


おや、滝?


いや、なんか人工的な落差だ!

さすがに15年以上、ダムとか川にある人工物を見続けてきただけのことはある。身体の中のアンテナがピピっと反応した。もっとこう、仕事の問題点とかにピピっと反応したい(見つけても基本的に先送りしている)。
ちょっと待った、これはいい物件に違いない!さっそく気になる段差の近くまで行ってじっくり眺めたところ、15年かけてこんな方向に自分をチューニングした成果か、いいものを見つけたのだ。
ちょっと待った、これはいい物件に違いない!さっそく気になる段差の近くまで行ってじっくり眺めたところ、15年かけてこんな方向に自分をチューニングした成果か、いいものを見つけたのだ。


砂防ダムにつけられた魚道?

段差の正体は、よく分からないけれど恐らく砂防ダムだった。そしてそのダムの下流側に、人工的にジグザグに曲げられた水路がつけられていた。上流から流れてきた水が、その水路に沿って流れ下りつつ、勢いが良い一部の水が、壁を乗り越えて流れ落ちていた。
おお、これはいい。
いや、風景として、構造物として、砂防ダムとしてこれがいいのかどうかはよく分からない。けれど、こういう役割ありきの構造物に、明らかに人の意思が感じ取れる部分が見えるのはいい。
でもこの砂防ダムがこの1ヶ所だったら、そんなに記憶にも残らず、記事にすることもなかったかも知れない。この真上に橋が架かっていて、そこから何気なく上流を眺めたときにこの記事化が決定した。思わず声が出たのだ。
おお、これはいい。
いや、風景として、構造物として、砂防ダムとしてこれがいいのかどうかはよく分からない。けれど、こういう役割ありきの構造物に、明らかに人の意思が感じ取れる部分が見えるのはいい。
でもこの砂防ダムがこの1ヶ所だったら、そんなに記憶にも残らず、記事にすることもなかったかも知れない。この真上に橋が架かっていて、そこから何気なく上流を眺めたときにこの記事化が決定した。思わず声が出たのだ。


そこにも飾られた砂防ダムが


上流の方までずっと続いていた



石碑があった。魚伊羅津流路工というらしい


すべての段差のスペックが書いてある

橋のたもとに石碑が建っていた。どうやらこの段差を造った記念碑らしい。
それによると、これらは全長765.5mにわたる流路工として昭和48年に完成したらしい。意外と歴史が古かった!ちなみに流路工とは、脆い川底や川岸が川の流れによって削られるのを防ぐために造られた「床固工」という砂防施設の一種と、それらの間を護岸で繋いだ水路のことで、まあいかにも人工的な水路!という感じだけど、こうでもしないと大雨が降ったときに土砂が流れてきて大変なことになる川に造られる。
隣の看板には、この川が「魚伊羅津川」と書かれていた。「うおいらづ」川だろうか。
勝手な解釈をすれば、昔からこの川は急流すぎて土砂も多く、魚がいない川だったのではないかと思う。
それによると、これらは全長765.5mにわたる流路工として昭和48年に完成したらしい。意外と歴史が古かった!ちなみに流路工とは、脆い川底や川岸が川の流れによって削られるのを防ぐために造られた「床固工」という砂防施設の一種と、それらの間を護岸で繋いだ水路のことで、まあいかにも人工的な水路!という感じだけど、こうでもしないと大雨が降ったときに土砂が流れてきて大変なことになる川に造られる。
隣の看板には、この川が「魚伊羅津川」と書かれていた。「うおいらづ」川だろうか。
勝手な解釈をすれば、昔からこの川は急流すぎて土砂も多く、魚がいない川だったのではないかと思う。


川沿いの道は鬱蒼としていた


残念ながら途中から入山禁止に

流路工のもっと上流の方も見てみたいと思い、魚伊羅津川沿いの道をさかのぼってみることにした。しかしこの道、周りを大人の背丈ほどある雑草に囲まれ、川はほとんど見えなくなってしまった。
そればかりか、入ってすぐに入山禁止の看板が出てきてしまった。松茸には興味ないけれど、残念ながら引き返すことにした。でも内心少しホッとした。なぜなら荒れた砂利道の急坂で、ところどころ道にゴムのようなもので造られたシートが横切っているのだ。これも予想だけど、これは道の土砂を止めているのではないか。こうでもしないと大雨が降ったときに道の土砂も流れて行ってしまうのではないか。知らない場所でそんな道を進んでいくのは心細すぎる。
そればかりか、入ってすぐに入山禁止の看板が出てきてしまった。松茸には興味ないけれど、残念ながら引き返すことにした。でも内心少しホッとした。なぜなら荒れた砂利道の急坂で、ところどころ道にゴムのようなもので造られたシートが横切っているのだ。これも予想だけど、これは道の土砂を止めているのではないか。こうでもしないと大雨が降ったときに道の土砂も流れて行ってしまうのではないか。知らない場所でそんな道を進んでいくのは心細すぎる。


黒いゴムの向こうと手前でけっこうな段差ができていた

というわけで、せっかく見つけた魚伊羅津川の流路工だけど、あまり詳しく見ることができなかった。けど、そのときに思い出した。
そう言えば松本にはもっと有名な砂防施設の流路工がある!確かそっちは国の重要文化財になっているはず。
というわけで、ダムに行くのはやめて有名な砂防施設を見に行くことにした。
そう言えば松本にはもっと有名な砂防施設の流路工がある!確かそっちは国の重要文化財になっているはず。
というわけで、ダムに行くのはやめて有名な砂防施設を見に行くことにした。

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