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ロマンの木曜日
 
崩れ続ける山、「崩壊地」を観に行った


土砂崩れを観に行く休日

「起伏のある土地は、必ず平らになろうとする」

地形や地質に詳しい知り合いが、以前そんなことを言っていた。確かに、多くの人が暮らしている平野部は、長い年月をかけて山間部から運ばれてきた土砂が堆積して造られたものだし、その山間部に行けばあちこちで土砂崩れが起きていて、のちのち平野に運ばれていくであろう土砂が今も生産され続けている。つまり、長期的に見れば山間部は縮小し、平野部は拡大していくのだと思う。

中でも、古くから同じ場所が崩れ続け、大量の土砂を産出し続けている山がある。それらは「崩壊地」と呼ばれ、放っておくと下流に必要以上の土砂を押し出してくるため、数十年から百年以上という時間をかけて砂防工事が行われている。

今回はそんな「崩壊地」のひとつ、静岡県の「大谷崩(おおやくずれ)」を観に行った。

萩原 雅紀



土砂の川、安倍川

東名高速を静岡で降り、市内を流れる安倍川のほとりにやってきた。

安倍川は山梨県との県境をなす山間部からはじまって、静岡市内までおよそ50キロを一気に南下してくる一級河川で、その水は静岡市の上水道にも使われている。


「あべかわ餅」の安倍川です

一級河川としては珍しくダムがなく、清流として知られているらしい(ダムがない川はノーマークで知らなかった)。


清...流......なの...?

...らしいのだけど、数百メートルもある広い川幅に対し流れている水の量はほんの僅か。残りの河原はほとんど土砂に覆われていて、初めて安倍川を目の当たりにした感想は「石の川!」だった。もちろん、流れている水は奇麗だったけど。


清流というより石の川だ!

それもそのはず、この流域はフォッサマグナの西端で、地質が非常に脆いらしい。

したがって、大雨のときは常に上流から大量の土砂が流されてくるため、川底がどんどん上がってしまい、いわゆる天井川状態になっている。

堤防の上に立って、堤防の外側の河原と内側の住宅地に交互に目をやっても、両者の高さに極端な差はないように見える。つまり川底がそれだけ上がっているのだ。


堤防(右側)から見て住宅地と河原は同じくらいの高さだと思った

いま見えている河原も、実はその下にかなり厚く土砂が堆積しているので、伏流水は豊富に流れているらしい。静岡市が使っている上水道も、その伏流水を汲み上げているとのこと。

この場所で眺めただけでも安倍川のすごい状態が見てとれる。急いで上流に向かうことにした。

急いだのは、高速道路の渋滞に巻き込まれて、ここに着いたのが既に夕方だった、というのもある。


土砂崩れだらけ

川沿いの道を遡ると、徐々に両側の山が迫ってきて、平野部から山間部の景色に変わってくる。

すると、あちこちの斜面でくっきり山肌が露出している場所が何ヶ所も出てきた。土砂崩れの跡だ。


まだ新しい崩れ跡と思われる
急角度の崩れ跡、左上も崩れている
ここはかなり大規模だった

いっぽう、道路とずっと並走する川に目を向けると、ところどころにかなりの規模の砂防ダムが造られていた。貯水するダムはひとつもないけど、砂防ダムの数は一般的な川より多いと思う。


3段のかなり規模の大きな砂防ダム
こちらも3段の巨大な砂防ダムだった
安倍川に流れ込む支流にもあった

砂防ダムと言えば、景観を破壊するとか魚が遡上できなくなるとかでしばしば槍玉に挙げられるけど、少なくともこの川ではこうするよりほかにないんじゃないかと思う。下流に人々の暮らしがある以上、そしてこの川の水を利用している以上、土砂の流出はできる限り止めなければならないだろうし、土石流の勢いを極力弱めなければならないだろう。

だいぶ山間部に入り、上り坂も急になってきたところで、滝の看板と駐車場が目に入った。


安倍川を遡ったら見物マストの滝

この赤水の滝は、最初に大谷崩が崩れた1707年に土砂が押し寄せて造られたと言われていて、その時に赤茶けた色の水が流れていたことが名前の由来らしい。

滝に向かう小径を降りていくと、崩壊した当時のものかは分からないけど、周囲の森の中に不自然なほどの巨石が転がっている。そしてその先に、複雑に組み合わさった岩の間を流れ落ちる滝があった。


道路脇の小径を降りていく
ふつう森の中にこんな巨石ない
すごく巨大な岩が組み合わさっているように見える滝

今も大雨の後はこの滝に赤い水が流れるのだろうか。

あの滝を造りだしている巨石が、本当に大谷崩の崩壊とともに流れてきたとしたら恐ろしい。何しろ崩壊の現場はここよりまだ数キロ上流なのだ。

その後さらに上流に進むと、砂防工事の看板がたくさん出ている道が分岐していた。ここが大谷崩への入口らしい。傍には、「工事用道路なので事故にあっても一切責任を負わない」と言いつつ「日本三大崩れの大谷崩までの距離」を示す看板があって、「危険が伴うけど、見てほしい!」というような、工事関係者の複雑な胸の内を感じることができる。


とつぜん治山工事の看板が林立 危ないと言いつつ本当はウエルカムなツンデレ看板

いよいよ大谷崩へ

工事用道路に入ると、それまでより道幅は狭くなり、上りは急になった。いかにも専用道路という感じ。

少し登った場所に、また大きな砂防ダムがあったけど、そのすぐ脇が大規模に崩れていて、このあたりの自然の厳しさを思い知らされる。


あ、また砂防ダム!と思ったら
産地直送...じゃなくて地産地消...じゃなくて、何だっけ
わざとか、というくらい説得力のある看板

さらにずんずん登って行くと、勾配が15%を越えるような本当にきつい上り坂が連続するようになる。車だとギアを1速に入れないと加速できない感じ。ママチャリだったらもう登れないくらいの坂だ。

しかしふと横の川を見ると、ほとんど同じ高さに河原があった。つまりまったく同じ勾配。くねくねしていない分、川の方が急勾配かも知れない。何だここ?

そして、その先の砂防ダムの下に駐車場があり、車が入れるのはそこまで。そこに車を停めて、大谷崩を真正面に見えるという河原に立った。

これが大谷崩だ!


ごめんなさい


この景色でがっくり膝をついた

なんと、ちょうど大谷崩を隠すように霧が出てしまい、肝心な部分がまったく見えなかった。何時間もかけてここまで来たのに、肝心の大ボスが文字通り雲隠れ。

最初から記事にするつもりだったので気が遠くなったけど、気を取り直して改めて周りを見てみると、このへんの景色なんだか尋常じゃない。

こんなに山奥なのに、水の流れていない川幅が妙に広くて、しかもものすごい急角度なのだ。


不自然に川幅が広くて
こんな急角度で下に続く(カメラがほぼ水平)

これだけ山奥で急角度であれば、ふつう川は流速の速い水に削られて、深い谷を形成しているだろう。しかしここでは幅広で平らな河床が急角度で下っている。

あくまでも僕の予想だけど、本来は深い谷だったのが、すぐ上の大谷崩からの土砂供給によってすっかり埋め立てられ、平らな河床になってしまったのではないか。

その証拠に、巨大な石がゴロゴロ転がる河原にはすっかり埋まった砂防ダムの頭だけが出ていて、しかもその表面は石に洗われてボロボロだった。


すっかり角が取れた砂防ダムのてっぺん

その姿は見えなかったけど、今も大谷崩は崩れ続けているのだ。


本当に異様な雰囲気の場所だった

「崩壊地」を深く知ろう

この大谷崩をはじめ、各地の崩れポイントの見方や情報を教えてくれたのは、ダム好きとして10年来の知り合いであるtakaneさん。

ダム好きから最近はすっかり砂防好きになってしまい、各地の崩壊地を見て歩き、「崩壊地ノート」というホームページ(アドレスは「崩れ.jp」だ!)を立ち上げ、さらに「崩壊地ブック」という本まで自費出版してしまった。

「崩壊地ブック」は全国の有名崩壊地を網羅しているので、崩壊地に興味のある方は見てほしい。

最後に、takaneさんの御好意で大谷崩の写真をお借りすることができたので紹介します。


いまも崩れ続けている大谷崩の全景(提供:takane/崩壊地ノート)

崩壊地見たかった

本文で歴史にまったく触れなかったけど、大谷崩は1707年の宝永地震をきっかけに崩壊し、現在も大雨の際には崩れ続けているものの、土砂の流出を減らすための懸命な砂防工事が続けられている。

よく「川に自然を!」なんて言ったりするけど、そしてもちろん緑に囲まれたせせらぎは美しいけど、大谷崩れとその下流の安倍川も、これはこれで同じように自然なのだ。そしてそれも日本の景色として美しいと思った。

なのでまた晴れた日に観に行こうと思う。

日本三大崩れ全部観たい

 
 

 

 
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