一番昔からある建物を探す
その街のちいさいおうちを探したい、などとうっかりロマンチックなことを口走ってしまったが、やってることはいつもどおり地味なのだ。
たとえば渋谷駅前
ヒカリエはもう見慣れた感じがするが、できたのは2012年。つまり4年さかのぼると渋谷にはまだこの建物はなかった。
そんな感じで時間をさかのぼりながら、その当時にはまだなかった建物を視界から順番に消していくと、最終的に残るのが「ちいさいおうち」、つまりその街でいちばん昔からある建物だ。
イメージとしてはこんな感じ。
2015年現在の渋谷宮益坂の建物のうち、
30年前もあったのはこれだけだ。
30年さかのぼるとずいぶん建物が少なくなってるのが分かるでしょう。こうやってさかのぼっていって、最終的に1つの建物が残るようすが分かったら痛快だなと思うのだ。
で、そのための仕組みを作った。
具体的には、渋谷の宮益坂周辺の建物ができた年を不動産サイトで1つ1つ調べて、地図に載せた。そうやってできたのがこれだ。
このすぐ上にある「昔にさかのぼる」というボタンを押してみて下さい。
2015年からどんどんさかのぼって、最終的に1つの場所が赤く残るのが分かるでしょう。
一番昔からある建物を見にいく
1950年付近までさかのぼっても残っている建物は2つある。
そのうち1つはこれだ。1953年にできた宮益坂ビルディング。
これです
地上11階建て。いまでは普通の階数だが、当時は驚きの高層高級アパートとして憧れの的だったそうだ。「渋谷の上空に、棲まう。」みたいな広告も出ていたのかもしれない。
このビルにはすでにライターの梅田さんが2007年に訪れていた。住人が各階でポストに出した郵便物が、筒を通って最終的にこの白い集荷箱に集まるようになっているそうだ。すごい仕組み。
老朽化のため建て替えの話も出ているようだが、「ちいさいおうち」にならうならビルごと郊外に引っ越させてあげたいとも思う。
そして一番古いのはここ。
渋谷のんべい横丁
渋谷の宮益坂周辺は1945年にいちど丸焼けになっているが、のんべい横丁ができたのはその5年後。1950年。
渋谷駅のそばにやたら古びた飲み屋街があるでしょう。あそこです。
おでん屋さん
おでん屋さんの「なだ一」の建物は、1952年築。宮大工さんが建てたのを今でも使っているそうだ。
その後、すぐ隣を流れる川はフタがされ、地下鉄もなぜか空中を走り出し、若い人が大勢やってくる東京一の繁華街になった。いまや「ちいさいよこちょう」といっても過言ではない状況だが、まあ楽しそうなのでこのままここにいてほしいなと思う。
新宿はどうか
次は新宿の西口でやってみよう。
高層ビルの立ち並ぶイメージだが、古い建物なんか残ってるんだろうか。
さきほどと同じ要領で「昔にさかのぼる」ボタンを押してみて下さい。
1980年くらいまでは意外にずっと残ってるんだけど、70年代くらいからばたばたとなくなる。高層ビル群ってこのころ建ったんだ、とか、ヨドバシカメラのあたりはやっぱり古いビルが多いな、とか思う。
竣工年が分からなかった建物も多いんだけど、今回調べたなかで一番昔からあったのは「明治安田生命新宿ビル」だ。
これですね
1961年竣工。ぼくにとって新宿の顔といえばこのビルだ。初めて新宿駅を降りてこのビルを見たときに、ああ、テレビで見た東京に来たなあと思ったのを覚えている。
小田急ハルクも1962年ごろの竣工らしい
小田急ハルクも約50年前。新宿駅前は意外と古いビルでできている。
そして、最後まで残っているのが「思い出横丁」だ。
新宿 思い出横丁
渋谷につづいてまた横丁か、とも思うが、まあどうやらそういうもののようだ。
吉祥寺のハーモニカ横丁もしかり、駅前の横丁は戦後のバラックから続くというところが多い。
思い出横丁の前身となる闇市「ラッキーストリート」ができたのは1946年ごろ。店舗ごとに少しづつ改築したり建て直したりしているので、当時の建物がそのまま残っているということはなさそうだが、全体としては昔の雰囲気がずいぶん残っている。
こことかすごい
ここも
思い出横丁には珍しい食材を扱う変わったお店なんかも多いのだが、そういうのの紹介は今回はまあいいでしょう。
戦争で焼けなかった街はどうか
渋谷も新宿も1945年には焼けてしまった街である。だから戦後の横丁が一番古いみたいなことになる。
じゃあ戦争で焼けなかった街はどうだろうか。たとえば、谷中。JR日暮里駅の周辺を見てみよう。
例によって「昔にさかのぼる」ボタンを押してみてください。
さかのぼっても全然消えない建物があるでしょう。そう、お寺です。いい加減じれったくなるというか、「お寺、古っ!」と言いたくなる感じである。
谷中 天王寺
地図で最後まで残っているお寺の1つ、天王寺にやってきた。
天王寺は室町時代に創建されたそうだが、さすがにその当時の建物がそのまま残っているということはないようだ。お寺の人に話を聞くと、
「明治維新でほとんど焼けちゃいましたのでね。」
と言っていた。
そうなのだ。1945年に焼けなくても、明治維新のときに上野のあたりは丸焼けになった。上野公園ができたのも、そこに昔からあっためちゃめちゃ広い寛永寺が丸焼けになったからなのだった。
大仏もあるよ
空襲の前には関東大震災、その前には戊辰戦争、その前には江戸の大火、という感じでなんども焼けているため、それらをくぐり抜けて焼け残るのはなかなか難しい。
それでも、天王寺では「書院」と呼ばれる部分と、この大仏様が江戸時代から残っているらしい。
書院のできた年代ははっきりしないが、大仏様は1690年の建立との記録が残っている。なので、谷中の「ちいさいおうち」は暫定でこの大仏様ということにいたしましょう。
網羅したい
今回地図に書けたのは、竣工年が調べられた一部の建物だけだ。だから2015年現在の地図も結構すかすかになっている。
欲をいえば全部埋めたい。そして室町時代くらいまで遡りたい。たとえば京都なんかでやったら面白いだろうと思う。