渡月橋のたもとで待ち合わせ
ナオさんと待ち合わせたのは、大型の台風が接近しつつある7月15日。日差しが強く、かなり蒸し暑いものの、汗ばむくらいの陽気が川べりで飲むにはベストなのだろう。
待ち合わせ場所として指定されたのは、桂川に掛かる渡月橋のたもと。嵐山の橋のたもとで待ち合わせって、どれだけロマンチックなんだ。
この渡月橋を渡った先でナオさんと待ち合わせ。ちなみに男の人です。
「かつら」なのに「おおい」とはこれ如何に。保津川とも呼ぶそうです。
このあたりは大人の水遊びの最高峰ともいえる鵜飼もやる人気スポットらしい。
地図をみると遊覧船が出ているようだ。これに乗るのだろうか。
京都の嵐山で飲もうと言い出したので、もしかしたら大阪で一旗あげて大金持ちになったのかなとも思ったが、待ち合わせ場所に現れたのは、僕にコンビニでの酒の飲み方を教えてくれたときと変わらないナオさんだった。
遊覧船ではない船で目的地へと渡る
本日のテーマは、「嵐山にて船で川を渡って飲みに行く」である。なかなかお大名な遊びである。いくらあれば足りるんだ。
渡月橋に停泊している遊覧船をチャーターするのかなと思ったら、どうもそうではないらしい。
雰囲気の良い和船が待ち受けているが、この船ではないらしい。
対岸を指さすナオさん。どうやらあっちが目的地のようだ。僕と橋を渡りたかったのだろうか。
対岸の船着き場へとやってきたが、ここもスルーしてズンズンと進んでいく。
「ほら、あの川の向こう!」
ようやく足を止めたナオ先輩が指さす先には、赤ちょうちんのぶら下がった茶屋が見えた。
なるほど、あそこで飲むわけか。
あそこまでどうやっていくのかなと不思議に思っていたら、木の立札と黄色い手漕ぎのボートが目に入った。
『向岸の茶屋にお越しのお客様はこの黄色のボートをご利用下さい 嵐山 琴ヶ瀬茶屋 細川』
……え?
受付とかはなく、看板とボートだけが置かれているんですよ。
確かにお茶屋さんのボートだ。それにしたって勝手に乗っていいのかな。いいんだろうけどさ。
まさかのセルフ渡し船。自分でボートを漕いで川を渡って、辿りつくお茶屋さんなんて初めてだ。なるほど、ナオさんがいっていたのはこのことか。
今回は案内人がいるからこそシステムがわかるけど、もし知らないで来たとしたら、看板を読んでもボートに乗り込む勇気はなかなか出ないんじゃなかろうか。
本当にボートを漕いで川を渡る
ボートの周りには誰もいないので、勝手に乗り込んで自分たちで船を出す。対岸にいる店の人から怒られる様子もないので、これできっといいのだろう。
岸を離れて水面に浮かんだとたん、スッと体感温度が下がった。これは楽しい。
川を行き交う遊覧船から、「あの手漕ぎボートはなんなんだ?」という視線が集まる。
対岸の茶屋を目指して、ゆったりと流れる川を手漕ぎのボートで渡る。なんというか、まったく現実感がない。
どこか三途の川っぽいのだが、きっと我々の行き先に待っているのは天国だ。
こちらは川の下流側。いいわー。
ついでに川の上流側。いいよー。
記念撮影。いや本当に最高っす。
対岸が近づいてくると、店の様子がようやくはっきりと見えてきた。
街道沿いならぬ川沿いの狭いスペースで、ひっそりと営業する琴ヶ瀬茶屋がそこにある。江戸時代か。
「この店は応仁の乱より前からここで営業しているんだよ」とナオさんにいわれたら、へーそうなんだと納得していたことだろう。実際は創業大正8年らしいです。
映画か落語のワンシーンみたいだ。
やっぱり琴ヶ瀬茶屋は最高だった
岸にボートをつけると、お店のおじさんがやってきて、ささっとロープで係留してくれた。 川を一本渡っただけだが達成感と満足感がすごい。
この場所は山の影になっていて、川に浮かぶボートの上よりもさらに気温が低く、こんな蒸し暑い日にこそ最高に気持ちのいい場所だ。たぶん京都で一番の風が吹いている。
座る席を選びながらゆっくりと周囲を見渡して、はるばる京都まで来てよかったなと思った。
上陸をアシストしてくれる頼もしいナオさん。
ジャブジャブと流れくる湧水がさらなる涼しさを演出してくれる。
こんな素敵な立地なので、グラスビール800円くらいは覚悟していたのだが、普通の居酒屋価格で驚いた。席料もボート代も無し!
もう最高としか言えない。いやー、最高っす。
ツマミが船からやってきた
この店ではすべての席が川べりの特等席だが、その中でものんびりできそうな場所に座り、とりあえずナオさんと冷えたビールで乾杯。
きっと我が人生で最上級の気持ちいい乾杯だ。
そしてつまみにイカゲソとオデンを頼んだら、意外な場所から運ばれてきた。そういえば陸上の店にはカウンターくらいしかないなと思ったのだが、船の上から料理がやってきたのだ。
この店を案内してくれたナオさんの顔が誇らしげだ。僕も誰かに紹介したい。
船の上で焼かれるイカゲソ。こういうの東南アジアを紹介する旅番組で見たことがあるぞ。
オデンはこちらの船が担当らしい。
すごいなー、琴ヶ瀬茶屋。おつまみを頼んだだけで、ちょっとした東南アジア旅行気分が味わえるじゃないか。
やってきたのはしっかりと煮込まれたオデンと甘辛いイカゲソという純和風の料理なのだが、雰囲気はベトナムとかタイとかそっちの方。
なんだか欧米人が漠然とイメージする、実在しないジャパンの国を訪れた気分だ。
一つのオデンに箸が二つ置かれて、クリームソーダを一緒に飲むカップルみたいだなと思った。
このイカゲソを焼いたりオデンを煮たりする船は、茶屋の客に料理を出すためだけに存在するのではない。
目の前の川を往来する観光船にスッと近づき、そこの乗客に販売する移動売店だったのだ。
うーん、さらに高まる異国情緒。今日のビールは過去最高にうまい。
遊覧船に乗って売店船からオデンを買うのも楽しそうだなー。
きっと天国に一番近い茶屋だ。
目の前でおっちゃんが釣りを始めたんだけど、エサが食パンで最高。あの人、呂尚(太公望)なんじゃないかな。
茶屋なんだからと団子を頼んだら、小粒のが五つ刺さったタイプだった。私は初めて見たのだが、京都の団子はこういうスタイルなんだそうです。
川の向こうから僕たちがやってきた
ナオさんとこの場所の素晴らしさを褒め称えあうだけの会話をしていたら、向う岸から私たちがボートに乗ってやってきた。
そうそう、さっきあんな感じで川を渡ったんだよな。
ボートで川を渡るナオさんと私が見える。あれ?
あれが私たちということは、それを見ている私たちは何者なんだろう。デジャブーっていうやつかな。いや、違うな。
やっぱりここは三途の川で、僕らはいつのまにか死んだのだろうか。でもここが死後の世界なら、まあいいかとも思う。
……もちろん我々の服が見知らぬ二人と被っただけの話なのだが、異国どころか黄泉の国気分が味わえた出来事だった。
台風が来ると川底に沈むそうです
最高の時間を過ごさせてもらったので、お会計のときに最高でしたとストレートな想いをお店の方に伝えたら、意外な言葉が返ってきた。
「今日でよかったわね。台風が来ているから、明日だったらこの店は川の中だったかもよ~」
おつりとチョコレートと衝撃的な話をいただきました。
一瞬耳を疑ってしまったが、確かにこれだけ川から近い場所にある店なので、増水したらその影響は免れないだろう。天国と地獄は紙一重ということか。
台風などで大雨が降ると、この店は川に沈んでしまい、しばらく営業ができないそうだ。高知の沈下橋みたいだ。
そして水没は何十年に一度という頻度ではなく、何年かに一度、あるいは年に何度も、ということらしい。
やっぱりここはあの世なんじゃないかと、一瞬背筋が冷たくなった。
水位が1メートルも上がれば、店は川の中に沈んでしまう。
帰路は川を渡らずに歩いて帰った。そう、ボートを漕がなくても渡月橋の南側から歩いて来られるのだ。
琴ヶ瀬茶屋がいつまでも続きますように
そして後日、我々が訪れた次の日に上陸した台風の大雨で、琴ヶ瀬茶屋が川に沈んでしまったという話を人づてに聞いた。
琴ヶ瀬茶屋の所属する保津川遊船企業組合のブログには、「
それでもわれらはいきていく」と書かれていた。あの天国みたいな場所が、また何事も無かったかのように、無事復活してくれることを祈る。きっとまた行きます。
琴ヶ瀬茶屋
住所:京都府京都市西京区嵐山元禄山町
電話番号:075-871-5069
営業時間:9:00頃~18:00頃
営業日:不定休