発掘! 謎のJALかばん
祖母も叔父もとにかくものを捨てない性格だったので、実家にはガラクタがたくさんある。
これでも2日かけて整理したあと。(結局ゴミしかなかった)
しかし今回は、見つけた瞬間に一発でしびれるほどかっこいい物体を発見してしまった。これだ。
大きくJALPAKと書かれたカバン。
レトロな質感が最高に渋い。
特に「ジャルパック」の部分のデザインの良さは、以前記事にもなった「修悦体」をほうふつとさせ、何とも言えず良い。
むしろ今、こういうロゴあるんじゃないか、という素敵さ。
これは期待が持てる。
油が切れまくってギタギタと鳴る古いファスナーを開けると中には。古い資料がどっさりと詰まっていた。
すごいカビの臭い!ネットで伝わらないのが悔しい。
臭いしぼろぼろだし、中身はどう考えてもゴミだが、それでも興味をそそられてしまう何かがある。
おそるおそるもう少し詳しく見てみると……
懐かしの初代「鶴丸」マーク続出!
「鶴丸」マーク入りの角砂糖!
マーク入り醤油!
ツアー参加者限定バッジ!
そうか、これは日本航空がツアー参加者を対象に売るか支給したかしたカバンなのか。
そういえば僕が生まれるずっと前に、祖父母はハワイと沖縄へ海外旅行に行ったことがあると言っていた。
(沖縄はまだ本土復帰前)
そんなことを思い出しながらさらにカバンを探ると……
あった。ばあちゃんのパスポート。
やっぱりそうだ、海外旅行に行った時のやつだ。
取得年月日が1969年になっているので、約45年前だ。そういえば遺品の山から観劇チケットがやたら出土されたのも45年前だ。
おそらくこの頃に生活が安定し、遊ぶ余裕も出てきたのだろう。
ちなみにこれは手荷物あずかり札。冊子みたいになってて厚い。
まさかの記念証!
これは面白そうだとさらに探ると、興味深いものが次々と見つかった。
日付変更線を通過したことを示す記念証
赤道、および北極を通過した記念シール
なるほど、45年前は海外旅行なんて、それはもう希少体験で、日付変更線の通過に対して「証明書を発行しろ!」を要求する客もいたのかもしれない。(いないか)
それにしてもこんな小物ひとつからも、当時の人々の海外旅行に対するアツい熱気が伝わる。
すごかったんだな、海外旅行。
45年前のカメラ事情
さて、「旅のしおり」的なものもいっぱい詰まっていたのだが、中でもカメラに関する記述が多かった。
驚くほど爽やかに8ミリカメラを携える人
僕は8ミリカメラを手にしたことも無い世代の人間なのだが、とにかくどのパンフも「海外なら8ミリ!」と8ミリカメラを激推しである。推されすぎて、むしろいま欲しくなる。
そしてこんなサービスもあった。
撮影写真の空輸サービス
「フジカラー空輸サービス」、富士フィルムが日航と提携して、フィルムを現像して空輸してくれるサービスである。
ネットで検索したら当然今はやっておらず、昭和50年で終了したと富士フィルムの社史に書いてあった。それ以外にヒットしたページは無かった。
歴史の地層に埋もれた、インターネットでは語られない事実がこのカバンから次々と飛び出してくる。すごい。
ドルを手に入れるのも一苦労!
さて1枚の書類がある。
これは何かというと、事前にドルの両替を銀行で申請した用紙のようなのだ。
どうやら当時は日本円は2万円までしか海外に持ち出すことはできず、海外で使うドルは銀行で用意してから向かう必要があったっぽいのだ。
そして500ドルの持ち出し許可が下りている。
もちろん1ドル360円の時代なので、18万円ぶん(45年前で!)のドルを申請したことになる。
適当に1万円札を持って行き、使う分だけ両替所でちょろっと両替している今の僕らの海外旅行がいかに甘いものであるかを思い知らされる書類だ。
ジャック・アカーマンの黒サンゴ
書類をぜんぶ紹介しているときりがないのでこれで最後にしよう。
これはハワイ航空の発行したハワイの観光地図。
絵本のような温かくも豊かな彩色。
ハワイの観光資料は、このようにカラフルかつ英語で書かれたものばかりであったが、その中に異彩を放つものがひとつ発見された。
!?!?!?
怪しすぎる。
なぜか突然これだけ、戦時中の新聞のようなデザインである。中身を見てみよう。
なんか、昔話みたいなの書いてある。
中身は普通に装飾品としての黒サンゴの説明だが、いかんせん雰囲気全体がやばい。修身の教科書みたいだ。
なんかJISコード第一水準で出てこなさそうな漢字多数。
祖父母はなぜ、これを記念にとっておいたのだろう。
黒珊瑚を買ったのだろうか。
ネットで”ジャック・アカーマンの黒珊瑚”と検索してもヒットする由も無く、理由も知らないまま、ぼくらはジャックの笑顔をただまぶしく見つめるのみである。
ありがとうジャック、祖父母がお世話になりました。
ありがとう、JALカバン
というわけで駆け足でカバンの中身を紹介したが、どの資料をとっても当時の旅行事情が伝わるすごい存在だった
これに加えて観光地の写真葉書がまた大量にあったのだが、カメラの操作が難しかった時代なので、苦労して不安な写真を撮るより、絵葉書を買った方がはるかに手っ取り早かった時代だったのだろう。
このかばん自体は本当に捨てられないかっこ良さなので、うまくリフォームして使ってみたいと思う。
ほらファスナーの金具にまでJALの刻印。こまかい!