特集 2015年2月18日

50年前の東海道新幹線開業時の時刻表と今の時刻表を見比べる

真ん中が東海道新幹線開業時の時刻表
真ん中が東海道新幹線開業時の時刻表
今年から来年にかけて、新幹線の延伸や開通が続く予定だ。

来月には長野から金沢まで北陸新幹線が延伸し、来年3月には青森から函館まで北海道新幹線が開通する。

そんななか、いま手元に1964年10月の時刻表がある。
鳥取県出身。東京都中央区在住。フリーライター(自称)。境界や境目がとてもきになる。尊敬する人はバッハ。(動画インタビュー)

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むかし買った時刻表をあらためて読んでみる

むかし、神保町の古本屋で買った1964年10月の時刻表が家にあることを最近思い出した。たしか3000円ほどで買ったやつだ。
ヤフオクで検索したら1万円以上するものらしい
ヤフオクで検索したら1万円以上するものらしい
1964年10月といえば、いまから約50年ほど前、東海道新幹線が営業運転を始めた月だ。

したがって、全体的に高揚感がすごい。
写真ページはもちろん新幹線特集「世界一」の世の字がきになる
写真ページはもちろん新幹線特集「世界一」の世の字がきになる
翼の折れたエンジェルって歌あったな
翼の折れたエンジェルって歌あったな
2015年2月の現在も、来月には北陸新幹線が長野から金沢まで延伸する予定だが、「全く新しい鉄道ができる」という興奮は、すでにある新幹線がただ伸びるだけの今とは比べ物にならない高揚感があったのだろう。
乗っかっちゃった
乗っかっちゃった
日本におけるビジネスホテルの草分け的存在の法華クラブの広告。新幹線開業に乗っかった広告だけど、ほんとに乗っかっちゃってる。はしゃぎすぎだ。

東京-大阪4時間、2280円

開業当時の新幹線の時刻表を見てみる。
新大阪から先は、在来線の乗り継ぎ特急が書いてある
新大阪から先は、在来線の乗り継ぎ特急が書いてある
東京発の大阪行き、下りの東海道新幹線、見開きひとつで終りだ。下り、上りあわせても見開きふたつ。ページ数だと4ページしかない。

ちなみに、2015年最新版の時刻表の東海道新幹線のページは下りだけで14ページ。上下あわせて28ページあった。

下りの新幹線本数は30本。東京を30分おきにひかり号とこだま号が交互に出発しており、東京-新大阪間の所要時間はひかり号が4時間。こだま号が5時間である。
新大阪までの始発は6時、終電は20時だ
新大阪までの始発は6時、終電は20時だ
ちなみに現在の新幹線の時刻表はこちら。
数分おきに新幹線がでてる
数分おきに新幹線がでてる
ひかり、こだま以外に、のぞみ、さくら、みずほ……と新幹線もずいぶん増えてきらびやかになった。

現在、東京駅午前6時ちょうど発の新幹線は「のぞみ1号の博多行き」になっている。東京発東海道新幹線の始発が6時というのは、開業当時からそういうことらしい。

東京-新大阪の料金はいくらだったのか?

時刻表には運賃表が付いている。昔の新幹線はどれほどのお金がかかっていたのか?
安い、気がするけど……。
安い、気がするけど……。
運賃表を確認してみると、特急2等料金、運賃合わせて東京-新大阪2280円。
1等だと4590円。
1964年当時の大卒初任給が21200円なので、新幹線の運賃は初任給の約1/9。今の大卒初任給を198000円と考えると、当時の2280円は、現在の約22000円に相当する。
現在の東京-新大阪間は自由席で14140円なので、昔のほうが若干割高だったようだ。
ちなみに電車の初乗り運賃は10円だった
ちなみに電車の初乗り運賃は10円だった
ただ、電車の初乗り運賃は1964年当時は10円なので、現在の大卒初任給で割ってみると、当時の10円は今の約93円相当と出た。(算数苦手なので割り算があってるか自信ないけど)
現在の初乗り運賃が140円ということを考えると、近距離は今より昔のほうが割安感があったのかもしれない。

さらに、手元にある1987年の時刻表で新幹線の運賃を調べてみる。
今から28年前の新幹線運賃。下が運賃、上が特急料金
今から28年前の新幹線運賃。下が運賃、上が特急料金
1987年の運賃表を確認すると、東京-新大阪間が13100円。1964年から1987年の23年間で新幹線の運賃は約5.7倍になっていて、1987年から2015年の28年間には約1.07倍しか上昇してない。

いざなぎ景気とバブル崩壊の明暗が、新幹線の運賃にもくっきり現れていたのだ。
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むかしの鉄道に乗ったことがある人に話を聞きながら時刻表を見る

さて、このむかしの時刻表。ぼく一人で読むだけだとちょっともったいない。せっかくなので、昔の鉄道に乗ったことがあり、なおかつ鉄道に詳しい人と一緒に読んでみたい。
神楽坂にやってきた
神楽坂にやってきた
鉄道に詳しい人とは新潮社の田中さんと後藤さんのお二人だ。
田中さん(左)と後藤さん(右)
田中さん(左)と後藤さん(右)
もちろん0系新幹線にも乗ったことがある
もちろん0系新幹線にも乗ったことがある
田中さんは、1964年の時刻表をみるなり「あ、これ有名なやつだ」という。
昨年、新幹線開業50周年を記念して、この時刻表のデザインを模した記念のクッキーが発売されたらしい。

田中さんは東海道新幹線の開業当時は小学生で、家族と出かけたさいに、たまたま黄色い新幹線を見かけた事があり、学校で「黄色い新幹線を見た!」と友達に伝えたところ、「そんな新幹線があるわけない」とうそつき呼ばわりされたそうだ。
黄色い新幹線(700系)(サントス散歩乗り物がいっぱい編より)
黄色い新幹線(700系)(サントス散歩乗り物がいっぱい編より)
ぼくは成人になるまで鳥取県民だったので、新幹線を見たことがなく、ましてや乗ったのも上京後ずいぶんたってから乗った300系が最初なので、こういった0系に関する思い出話を聞くと純粋にうらやましい。

もっと色々聞き出したい。

駅弁は割高だった

――田中さんは0系の新幹線に乗った記憶はありますか?
「初めて乗ったのは熱海まで行った時かな? 家族と一緒に乗って熱海城に行ったなぁ。ビュッフェでカレーを食べて、それが500円もしたもんだから、味なんかまったく覚えてなかったよ」
新幹線にビュッフェ(立ったまま食べられる軽食堂)があったんだよなー
新幹線にビュッフェ(立ったまま食べられる軽食堂)があったんだよなー
――え? それはどうしてですか?
「カレーが500円ってのがものすごく高くてね、それこそ学食でカレー頼めば80円、90円……100円しない時代だったから、それでもね、ビュッフェでは500円のカレーが一番やすいの、まあ、ビュッフェのたべものにかぎらず、駅弁も含めて鉄道関係の食物が割高なのは昔からだね」
駅名の横に付いている四角い「弁」マークが駅弁の取り扱いがある駅
駅名の横に付いている四角い「弁」マークが駅弁の取り扱いがある駅
改めて当時の時刻表を眺めてみると、やたら駅弁の「弁」マークが目立つうえ、欄外には各駅で販売されている弁当の種類と価格が丁寧に書いてあるのだ。
昔は幕の内弁当以外の駅弁は「特殊弁当」とよばれており、国鉄に認可された駅弁だけしか構内で売ることができなかった
昔は幕の内弁当以外の駅弁は「特殊弁当」とよばれており、国鉄に認可された駅弁だけしか構内で売ることができなかった
シウマイ弁当150円、あじ押しずし100円、たいめし100円、この頃の100円は500円ぐらいの感覚だろうか?
シウマイ弁当150円、あじ押しずし100円、たいめし100円、この頃の100円は500円ぐらいの感覚だろうか?
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切実な駅弁問題

――たしかに昔の時刻表は弁当情報やたら充実してますね
「昔は、コンビニなんてないから、駅弁売ってるところで弁当買わないとごはん食べそこねちゃうんだよ」

さらにこの時代は、飛行機や高速バスといった交通網はそんなに一般的ではなく、長距離の移動は夜行列車ぐらいしか手段がないため、例えば「東京発西鹿児島行き」の「夜行列車」なんてのが当たり前に存在していた。

新幹線登場以前は、今より列車に乗っている時間が長くなるため、どこで駅弁が買えるのかの問題は切実だったのだ。
東京を昼の11時に出発した「急行霧島」は終点の西鹿児島駅に次の日の12時33分に到着する
東京を昼の11時に出発した「急行霧島」は終点の西鹿児島駅に次の日の12時33分に到着する
「たしかこの時代、東京と地続きの全ての県庁所在地(九州含む)には、乗り換えなしで行ける特急列車が必ず走ってたはずなんだよ、役所の人が使うから」

――そういった夜行列車ってのは結局、今の時代は高速バスに置き換わっていったんですね
「今でもあるのは、青森から札幌まで走ってる『急行はまなす』が唯一残ってる夜行列車かな、これも北海道新幹線の開業で近々なくなるかもしれない」

――新幹線のせいで、ブルートレインや夜行列車がどんどんなくなっていって、鉄道ファンとしては寂しいですね
「夜行列車は数時間おきに運転手を交代しないとだめで、そのために運転手が交代する駅を夜中でも開けておかなければいけない、となると人件費がかかってきて……と考えると夜行列車はできるだけやりたくないんだろうね」

仕方ないのは重々承知なのだが、やはり移動の選択肢が少なくなるというのは利用者にとって不便になるわけで、もうすこしやり方を考えてもいいんじゃないだろうか? という気もしないでもない。

上野発の夜行列車はどの夜行列車だった?

――津軽海峡冬景色の「上野発の夜行列車」ってどの列車だったんでしょうね?
「上野発青森行きの夜行列車はたくさんあったから、どれかひとつこれというものはないんだろうけど……」
上野発青森行きの夜行列車はいっぱいあった
上野発青森行きの夜行列車はいっぱいあった
――18時16分発の「はくつる」、21時30分発の「津軽」、22時45分発の夜行の普通列車あたりですかね?
「他にも八甲田なんて急行もあったな」

調べてみると、たしかに15時10分発の「八甲田」なんてのもある。

ただ、あの歌では青森駅で青函連絡船に乗り換えることになっているから、6時30分青森港発の青函連絡船に接続している「はくつる」だろうか。
はくつるは6時10分青森駅に到着、6時30分発の青函連絡船に接続している
はくつるは6時10分青森駅に到着、6時30分発の青函連絡船に接続している
そうなると、青函連絡船で10時20分に函館に到着したあの歌の「私」は、函館駅10時40分発の「おおとり」に乗車するかもしれない。
おおとりは、1964年10月のダイヤ改正で登場した特急らしい
おおとりは、1964年10月のダイヤ改正で登場した特急らしい
「おおとり」は、函館を出発したあと、小樽、札幌、旭川を経て、釧路、網走まで行く列車だ。
ただ、あの歌の雰囲気では食堂車のついている寝台列車で移動しているといった感じはない。ボックスシートの急行列車にゆられて移動……という可能性も捨てがたい。

全部ぼくの勝手なイメージなんだけど。

荷物専用列車の時刻表が乗っている理由

荷物専用列車も気になるけど、大垣夜行の前身となった夜行列車の行き先が大阪という点にも注目したい
荷物専用列車も気になるけど、大垣夜行の前身となった夜行列車の行き先が大阪という点にも注目したい
昔の時刻表、東海道線の下り列車の時刻表を見ていると「荷物専用列車」なんてものがある。

――この荷物専用列車ってなんですか?
「昔は荷物を列車で送ってたの、当時は宅配便とかないから」

――荷物専用なら時刻表になんで時刻が載ってるんですか?
「これは発送する人が何時にまでに駅に荷物を持って行けばいいかと、受け取る人がどこどこの駅に何時に到着するのかを確認するために掲載されてるんじゃないかな、基本的に送る人も、受け取る人も、駅まで出向いて荷物をやりとりしてたよ、当時は」

鉄道による小口の荷物輸送は、宅配便の成長で利用者が減っていき、現在でも一部で新聞の輸送などで使われているものの、今ではほぼ無くなった。

電話をすれば集荷に来てくれて、相手の家まで運んでくれるという現在の宅配便システムが、異常なほど親切だったということが改めて感じられる。
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圧巻の路線図

さて、時刻表の面白いところは、ダイヤの部分だけではない。路線図も味わい深いものがある。
1964年・大隅半島をぐるっと回ってる路線があるし、ループが二つも!
1964年・大隅半島をぐるっと回ってる路線があるし、ループが二つも!
2015年・線路がずいぶんなくなったけど、新幹線はきた
2015年・線路がずいぶんなくなったけど、新幹線はきた
1964年・炭鉱のあるあたりを網の目のように鉄道が走っている
1964年・炭鉱のあるあたりを網の目のように鉄道が走っている
2015年・路線がつながった所、廃止になったところ、私鉄になったところ、バリエーションが豊富
2015年・路線がつながった所、廃止になったところ、私鉄になったところ、バリエーションが豊富
そして、なんといってもすごいのは北海道の東側。まずは1964年の路線図がこちら。
1964年・鉄道が縦横無尽に!
1964年・鉄道が縦横無尽に!
そして、2015年の路線図がこちら。
2015・スッキリしちゃったなーおい
2015・スッキリしちゃったなーおい
海岸沿いを走っていた路線はのきなみ廃止。骨だけになった傘のようにずいぶんスッキリしてしまった。

昔の路線図をみれば、遠軽駅がなぜスイッチバックみたいになってるのかがなんとなくわかるから面白い。

北海道の鉄道は開拓鉄道だった

――北海道の鉄道の廃止っぷりは豪快さすら感じますね
「北海道以外、本州の鉄道路線は、元々人口の多い場所を結ぶように引かれたんだけど、北海道はこれから開拓する場所や炭鉱のある町を結ぶように引いたもんだから、炭鉱が閉山されたりしたらもう廃止するしかない」

「たしか、この1964年は国鉄が初めて赤字に転落して年なんですよ、これ以降、赤字路線がどんどん廃止されていくんですね」

1964年は新幹線開業以外でも忘れがたい年だったのだ。

捨てられちゃうものからよみとれることは多い

時刻表や電話帳、新聞紙や折込チラシや地図など、情報が古くなると捨てられてしまう印刷物はなかなか後世に残りにくい。しかし、そういったものこそが、当時の普通の人々の暮らしの様子をよく伝えているのだ。

捨てられるものこそ、残さなければいけない。ただそうやってものを捨てないでいると、家の中がゴミ屋敷みたいになってくるんだけど。
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