特別史跡の中でも城跡は割と派手
特別史跡に指定されている史跡は実に様々な種類がある。
それらの中でも城跡は天守などの建造物が良好に残っていたり、そうでなくても立派な石垣や堀など、堂々たる構えを見せている。
なので、特別史跡の城跡は有名かつ見栄えの良いものが多い。地味ランキングとしてはすべて選外とする。
天守をはじめ、数多くの建物が残る「姫路城跡」
姫路城ほどではないけど、こちらも多くの建物が残る「彦根城跡」
「大坂城跡」は巨石を組み上げた石垣が凄い
現在、本丸御殿を再建中の「名古屋城跡」
天下の「江戸城跡」。天守は残ってないけど、広大で見応えがある
ヤバいくらいの高石垣を持つ「熊本城跡」
織田信長が築いた「安土城跡」。建物は信長の死と共に焼失したが、壮大な石段が残っている
織田信長に敗れた朝倉氏の本拠地「一乗谷朝倉氏遺跡」
豊臣秀吉が朝鮮出兵の拠点とした築かせた「名護屋城跡」
特別史跡の中では一番新しい、幕末に築かれた「五稜郭跡」
城とはちょっと違うけど、東海道の関所であった「新居関跡」。江戸時代の建物が現存する唯一の関所だ
特別史跡の庭園もまた派手である
特別史跡に指定されているものの中には庭園も多く、城跡と共に特別史跡の華というべき存在となっている。
まぁ、庭園は美しさを目指して作られるものだし、地味とは対極の位置ですな。これらもまた地味ランキングとしては選外。
京都観光の定番、北山文化の代表格「鹿苑寺(金閣寺)庭園」
同じく東山文化の代表格「慈照寺(銀閣寺)庭園」
豊臣秀吉が築いた「醍醐寺三宝院庭園」は撮影禁止なので外壁のみ
東京ドームのすぐ側に位置する「小石川後楽園」。水戸黄門こと徳川光圀が完成させた大名庭園
東京湾に面した汐留の「旧浜離宮庭園」。海水を引きこんでおり、干潮と満潮で水位が変化する
こちらは奈良時代に作られた「平城京左京三条二坊宮跡庭園」
世界遺産になっている特別史跡もある
特別史跡は世界というグローバルな視点で見ても価値の高いものが多く、中にはユネスコの世界遺産リストに記載されているものも存在する。ご存じの通り、一番最初に挙げた姫路城も世界遺産だ。
世界遺産という時点で史跡の整備や観光地化が進み、地味なイメージは消え去ってしまう。これらもまた、地味ランキングとしては選外とさせていただこう。
“古都奈良の文化財”の構成要素として世界遺産の「平城宮跡」
世界遺産“厳島神社”のある「厳島」も特別史跡
金色堂で有名な“平泉”の「中尊寺境内」も特別史跡であり世界遺産
中尊寺と平泉の双璧を担う「毛越寺境内」は庭園が見事
同じく平泉の「無量光院跡」はかなり地味であったが……
「無量光院跡」には京都の平等院鳳凰堂のような仏堂と庭園があったというが、奥州藤原氏の滅亡と同時に荒廃し、現在は礎石(柱の下に敷く石)が残るのみである。
私が訪れた当時(2006年)は史跡の大部分が水田となっており、地味ランキングとしてはかなりポイント高かった。
しかし中尊寺や毛越寺などと共に世界遺産になったことで今後は整備が進められ、いずれは庭園としての面影を取り戻すことだろう。将来を見越して選外とする。
これ自体は世界遺産ではないけど、世界遺産である“日光の社寺”へと続く「日光杉並木街道」
ついでといってはなんだが「日光杉並木街道」も選外とする。
日光杉並木は世界最長の並木道としてギネスブックに載っており、また「特別史跡」と「特別天然記念物」のダブル指定を受けている。特別史跡の中では十分派手な部類なのだ。
とまぁ、まずは特別史跡の中でも比較的派手目な写真を並べてみたが、次のページからはいよいよ地味な特別史跡ランキングベスト10の発表である。
私が独断と偏見で選んだ地味第10位は、かつては教科書にも載っていたあの遺跡だ。
地味第10位:「登呂遺跡」
戦時中に発見された静岡県の「登呂遺跡」は、弥生時代の集落が水田と共に出土した遺跡である。
かつては教科書にも書かれていた遺跡であるが、その後に佐賀県の「吉野ヶ里遺跡」などより大規模な弥生時代の遺跡が発見され、現在はそちらが教科書に載っているという。
かつてはもてはやされたものの、時代の流れと共に日陰者となってしまった、なんともいたたまれない感じの遺跡である。
小ぢんまりとしているが、行ってみると結構楽しい「登呂遺跡」
とはいえ、登呂遺跡は典型的な弥生時代の集落遺跡として貴重には違いないし、様々な分野の研究者が共同で調査を行った日本最初の遺跡ということもあり、日本考古学史上で重要な遺跡ということは違いない。
登呂遺跡を食った「吉野ヶ里遺跡」も当然ながら特別史跡
壱岐島にある「原の辻(はるのつじ)遺跡」。魏志倭人伝に登場する「一支国」に比定されている
弥生時代の遺跡はこの三箇所が特別史跡。それより古い、縄文時代の遺跡もまた三箇所が特別史跡に指定されている。
縄文遺跡の方はいずれも大規模かつ見応えがあり、地味という感じはあまりしない。
縄文遺跡の代表格、青森県の「三内丸山遺跡」
不思議なストーンサークルがたくさん見られる「大湯環状列石」
「尖石石器時代遺跡」は遺跡自体は地味だけど、尖石縄文考古館で見られる二つの国宝土偶が素晴らしい
地味第9位:「本居宣長旧宅 同宅跡」
三重県松阪市にある、江戸時代に活躍した国学者「本居宣長」の自宅である。
現在、建物は松阪城跡に移築されており、その現在地と移築前の跡地の二箇所が一つの特別史跡として指定されている。
松阪市の古い町並みの中にポツンとある跡地は、高名な人物の家とはいえ規模はあまりに普通。土地もそれほど広くない。
まぁ、普通の家の跡地という感じの「本居宣長旧宅跡」
松阪城跡に移築されている建物の方も、普通の町家である
松阪城跡に移築されている旧宅もなんか場違いな感じである。素直に元の場所に戻してそこだけを特別史跡に指定すれば良かったのではと思う。
個人宅というだけでも非常に地味な物件ではあるが、そのなんともいえないチグハグさがこの史跡をより曖昧な印象にしているような気がする。
ちなみに特別史跡に指定されている個人宅は、他にも「廉塾ならびに菅茶山旧宅」があるが、こちらは私塾でもあったので敷地は広く建物の数も多い。
水路や畑まで完備されている「廉塾ならびに菅茶山旧宅」
学習施設の特別史跡としては、江戸時代前期に開設された岡山県の「旧閑谷学校」や――
江戸時代後期、茨城県水戸市の「旧弘道館」がある。どちらも建物が立派で地味さは低い
地味第8位:「藤原宮跡」
飛鳥時代の終わり頃、わずか16年だけ機能していた都の中心部である。
去年の夏にライターの藤原さんが行かれていたので(参考記事「
藤原さんのルーツ、藤原京に行く」)、まだ記憶にも新しい。
記事中で藤原さんも書かれているが、まぁ、おおむね原っぱである。
原っぱの中に建物跡を示す柱が並ぶ「藤原宮跡」
奈良時代の都である「平城宮跡」もまた原っぱであるが、前述の通り世界遺産になり、朱雀門や大極殿が復元されるなど、見どころはしっかりある。藤原宮跡は短命の都とはいえ、平城宮跡とはなんとも対照的な印象だ。
また藤原宮跡の周囲は飛鳥時代の遺跡が多く、特別史跡の密集地帯でもある。近隣にある他の特別史跡の方がインパクトが強く、藤原宮跡の地味さをさらに際立たせている感がある。
石室内に壁画が描かれていたことで有名な「高松塚古墳」
同じく壁画が描かれた古墳である「キトラ古墳」。訪れた当時は保護施設でガードされていた
蘇我馬子の墓であるという説が強い「石舞台古墳」。明日香村観光の定番スポットだ
石の加工具合が見事な「文殊院西古墳」
遺構は地味だが、ホテイアオイの花が綺麗なので選外とした「本薬師寺」。奈良市の西ノ京にある薬師寺は、飛鳥時代にはここにあったのだ
特に藤原宮跡の南に位置する明日香村は、村全体が遺跡といっても良いくらいに見どころが多い。一方で藤原宮跡はアクセスが微妙に悪く、わざわざ見に行こうという人も少ないだろう。
遺跡の規模は大きく歴史的にもビッグネームではありながら、利用用途は普通の公園とあまり変わらない、空気のような存在感のない地味っぷりである。
地味第7位:「金田城跡」
対馬にある古代山城である。遺構はなかなか凄いのだが、離島かつアクセスが難しく、訪れる人が最も少ない特別史跡だろう。イメージとしてかなり地味なので7位にランクイン。
飛鳥時代、百済から助けを求められた日本は朝鮮半島に出兵するが、唐と新羅の連合軍に負けてしまった。
唐が侵攻してくることを恐れた日本は、百済からの亡命者の協力のもと、大宰府の周囲をはじめとする山々に石垣や土塁(土を盛った壁)を巡らし、防御を固めた。「金田城跡」もまたその一つだ。
朝鮮半島からの最前線、対馬に築かれた「金田城跡」の城壁
ちなみに九州を統治していた「大宰府跡」もまた特別史跡であり、その大宰府を守る「大野城跡」と「基肄(きい)城跡」、それと先日ライターの大山さんが記事にされていた防衛壁「水城(みずき)」もまた特別史跡に指定されている(参考記事「
水城のインフラ殺到具合がおもしろい」)。
九州の政治的拠点であった「大宰府跡」。その背後の山全体が「大野城跡」だ
「大野城跡」にも城壁や土塁が残っている
こちらは大宰府の南を守る「基肄(椽)城跡」
北からの侵攻を阻む防衛壁「水城跡」。土塁が一直線に築かれていてカッコ良い
大宰府と同じように東北地方を統治していた宮城県の「多賀城跡」もまた特別史跡
地味第6位:「巣山古墳」
奈良盆地の中央部には馬見古墳群という古墳密集地帯が存在する。その中で最も大きな前方後円墳が「巣山古墳」である。
巨大前方後円墳の代表格として特別史跡に指定されているが、畿内にはもっと有名な前方後円墳が数多く、それらと比べるとどうしても掠れてしまう。
「巣山古墳」自体も十分に凄いのだが、周囲に凄い奴らが多すぎるため存在感が感じられない、なんとも不遇な特別史跡だ。
もっと注目されても良い「巣山古墳」
巨大前方後円墳で特別史跡に指定されているのはこの古墳だけである。より著名な巨大前方後円墳も法的に保護されるべきだとは思うのだが……まぁ、諸々の事情があってそれはできないのである(具体的には「陵墓参考地」で調べて下さい)。
ちなみに巨大前方後円墳に限らなければ、特別史跡に指定されている古墳は結構ある。
和歌山県の「岩橋千塚古墳群」とか
宮崎県の「西都原古墳群」とか
福岡県の「王塚古墳」は石室にカラフルな彩色が施されていることで有名
地味第5位:「金井沢碑」
群馬県の高崎市にある、奈良時代の石碑が特別史跡になっている。
当時における東国の有力豪族に関する家族構成や産業などを知ることができるとても貴重であり、また「群馬」という地名が記された最古の史料でもある。
しかし、辺りになにもない山の中、ポツンと建てられた建物に石碑がひとつ安置されているという、地味ここに極まれりという特別史跡である。
史跡の入口からしてこの雰囲気
この建物に石碑が安置されている
奈良時代の石碑である
この石碑は江戸時代中期に発掘され、なんと洗濯板として使われていたという。しかしその家で不幸が続いたため、石碑を人里離れた山の中に祀ったのだそうだ。完全にいわくつきである。
ちなみに、金井沢碑の近くにはさらに二つの古い石碑があり、それらと共に「上野三碑(こうずけさんぴ)」として知られている。いずれの石碑も特別史跡であるが、地味さでは金井沢碑が頭一つ抜けている印象。
朝廷からの命令を記した「多胡碑」
すぐ側に多胡碑記念館があり、公園として整備されている
古墳の埋葬者を記した飛鳥時代の「山上碑および古墳」。埋葬者がはっきりしている古墳は少なく超貴重
真っ暗な古墳の中、フラッシュを焚いたら怖い石仏があって心臓が止まるかと思った
石碑と関連して、石仏も二箇所が特別史跡に指定されている。どちらも立派な石仏群で、地味さはあまりないが。
栃木県、大谷石の採石所にある「大谷磨崖仏」
こちらは九州、大分県の「臼杵磨崖仏」。ずらりと並ぶ石仏が素敵
地味第4位:「常陸国分尼寺跡」
奈良時代、聖武天皇は全国に国分寺と国分尼寺を築かせた。その跡地の4箇所が特別史跡に指定されている。
その中でも常陸国(茨城県)の国分尼寺は一際地味だ。
紛うことなき原っぱである「常陸国分尼寺跡」
近くの「常陸国分寺跡」もまた特別史跡。こちらは現在も寺が存続している
静岡県の国分寺である「遠江国分寺跡」もおおむね原っぱだが、こちらは礎石などが残り、また史跡公園として整備されている印象
香川県「讃岐国分寺跡」は四国遍路の第80番札所として賑わっている
地味第3位:「百済寺跡」
大阪府に存在する奈良時代の寺の跡である。その名の通り、百済から亡命してきた王族の末裔によって建てられたという。
かつては立派な寺院だったのだろうが、現在は住宅街の中にひっそり存在する公園となっている。木々に囲まれているため余計に狭く感じた。訪れたのは夏の朝だったため、蝉が物凄くうるさかった覚えがある。
これといって特筆することのない地味さである「百済寺跡」
地味第2位:「斎尾廃寺跡」
国分寺しかり、百済寺しかり、古代の寺院跡は総じて地味であるが、お次もまた古代寺院。飛鳥時代後期または奈良時代前期に築かれた、鳥取県にある寺院跡である。
これまで散々、地味だとか原っぱだとかとか言ってきたワケだが、ここは本当、なにもない。
いや、正確には建物の基壇や礎石が残っているのだが、それらの存在すら打ち消してしまうほど、周囲が牧歌的すぎるのだ。
一面の畑の中、ポツンとたたずむ「斎尾廃寺跡」
史跡を示す石碑もまたこの有様である
旅行をしていると「凄いところに来たなぁ」と思うことがある。特別史跡の中でそう感じたのは、先の「金田城跡」とこの「斎尾廃寺跡」だけだ。
それくらい、インパクトの強い地味さである。
地味第1位:「山田寺跡」
栄えある第一位は、奈良県の「山田寺跡」とした。パッと見で原っぱであるのはもちろんのこと、決め手はそのあまりに地味すぎる名前である。
飛鳥時代、蘇我氏によって開かれた山田寺。鎌倉時代初頭には興福寺の僧兵によって本尊を強奪され(現在は興福寺が所有する国宝の仏頭は、山田寺のものであった)、その後も細々と存続していたが明治時代に廃寺になった、なんとも切ない寺院である。
名前も見た目も地味だが、歴史がある「山田寺跡」
かつてはこういう寺院でした
ちなみに山田寺跡からは、回廊の建物が倒壊した状況のまま出土している。これは木造の寺院建築では最古のもので、物凄く貴重な史料である。特別史跡は伊達じゃない。
遺構や遺物はとても凄い遺跡なのに、見た目的に地味、名前も地味という、奇跡のような特別史跡である。
地味だけど凄い、特別史跡
というワケで、全国61箇所の特別史跡を地味さという観点から紹介させて頂いた。
散々地味だ地味だといったものの、特別史跡に指定されるからにはなにかしらの凄さがあり、実際に訪れてみるとなかなか楽しいものだ。見た目的に地味でも、想像や妄想で補えば良いのだし。
ちなみに文化財保護法には「特別名勝」という特に美しいモノを保護する制度もあり、そちらも先の九州旅行において全36件の制覇を達成した。でも特別名勝は見た目的に派手なので、特に紹介はしません。