なんだったかはあんまり覚えてない藤原京
日本の都の変遷を思い浮かべたとき、平城京が最初に来てしまう人も多いかと思われる。その一つ前が藤原京である。
あんまり印象に残らないのもそのはず、できてから16年で平城京に遷都してしまったのである。ガラスの仮面より歴史が短い。
そんな藤原京の最寄り駅、大和八木駅までやってきた。最寄りというか、この駅のあたりはもう藤原京の範囲だったらしい。
成城石井もあるいい駅です
さて、藤原京の中央には天皇が仕事していた「藤原宮」という史跡があるので、そこを見に行きたい。
ちなみに藤原京というのは藤原宮があったことから付けられた、近代の用語だそう(wikipedia知識をそのまま書いた)。
つまり藤原宮は全国の藤原さんの本当のルーツであり聖地なのである。
建国文化都市
レンタサイクルを借りる
藤原京の範囲をぐるっと回ろうと思うので、タクシーやバスは使わず、駅前でレンタサイクルを借りる。
旅行先でそんなことしたことないので、かなり本気である。藤原の都がぼくを昂らせる。
昼ごろスタート。数時間かけて藤原京を堪能する。
ところで自転車を借りるとき、受付の人が領収証と会員証にぼくの書き入れてくれた。心なし「藤原」の字を書き慣れている気がする。
「藤原」がはっきり書かれている。さすが藤原の聖地
手続きをしているとき、レンタサイクルの受付の人から「どちらの方まで行かれますか?」と聞かれた。各方面に駐輪場があり、自転車を乗り捨てできるのだそうだ。それは便利だ。
もちろん藤原京跡を観に行くのだが、自分の名字が「藤原」だと知られているために、「藤原京に行きたいんです」とは言いづらい。
「どこに行くか特に決めてません」と言ってみたものの、うっすら…いや絶対「こいつ、藤原京見に行くつもりだ」と思われただろう。
受付の人は結婚指輪をしていたので、家でも笑いものになっているかもしれない。
藤原京周辺の盛り上がり具合は
さて一家の笑顔を願いつつ自転車を漕いで藤原宮の方を目指すと、ちょくちょく「飛鳥・藤原を世界遺産に!」というフレーズを目にする。思った以上に志が高い、藤原。世界に羽ばたけるか。
志の高さが伺える
標識のフォントも最大(昆虫館も気になる)
ところが一方で藤原氏の発祥にもなったという「藤原」の地名だが、これはまったく盛り上がっていない様子。
藤原京は藤原京というスポットであって、住んでいる人は藤原の民だという意識はなさそう。
そもそも藤原京の名の由来「藤原宮」が何故藤原宮というのかもよくわからないそうである(あとで資料館のおばあちゃんに聞いた話によると)。
藤原京とつく場所はあまりなかった
平安京エイリアンみたいである
地元の藤原京に対する気持ちをはかりかねつつ、自転車はぼくをのせて藤原宮跡へ進む。風が気持ちいい。
藤原京は、いま
駅から数分ペダルをこぐと、茂みの中に駐車場が見えた。あそこが藤原宮に違いない。
ここを入ったらザ・藤原京が見えますよ。
404 藤原京 Not Found
そこには、きれいな原っぱが広がっていた。片隅には少年野球のグラウンドもある。
完全に都の跡地としてのアイデンティティを失っている。墾田永年私財法の聖地である恭仁京も主に原っぱだった(
参考)が、こちらも負けず劣らずである。
もう少し立ち入ると藤原宮跡であることを示した説明看板が設置されていた。よかった。
世界遺産への道のりはまだまだ遠いのを噛み締めながら
気になるのは看板の左下の張り紙である。読んでみる。どれどれ。
警察犬協会主催の競技会が行われていた。
たしかに立派な犬がたくさんいる。
駐車場にやたら自動車が止まっていると思ったら、藤原宮を見に来た人ではなくて、犬のブリーダー達のようだった。
藤原氏のルーツの地は今、犬がいっぱいです。
藤原宮の見どころ1 柱のレプリカ
ここからは藤原宮の見どころを紹介していきたい。
まずは柱の跡。「藤原京跡って何があるところ?」と聞かれたら、「柱」と答えるしかないだろう。
大極殿院閤門こんな柱のレプリカが設置されていた。昔はここに門が建てられていたというのだ。
これぜんぶスイッチだったらおもしろい。
この柱の跡のレプリカ、ただのレプリカではない。ある秘密が隠されていた。
横に並んでみると、なんと……
ぼくの身長とほぼピッタリ同じ!
身長と柱のレプリカの高さが全く同じことに気がついた。
一体何の偶然か!?と現場では震えたが、これほど「ただの偶然」というのがぴったりな状況もない。
となりでも発掘作業が行われていたので、僕の身長と同じ赤い柱がどんどん増えていくのかもしれない
藤原宮の見どころ2 大極殿跡
藤原宮の北側に、小高くなった林のような場所がある。これが藤原宮のなかでも中心的な建物である大極殿、その跡である。
なんだかわかりづらい写真しかないのは、家に帰っていろいろ確認するまで、ぼくがこれをただの丘だと思っていたからである。
なんか盛り上がってるなー
ただの林か…?
藤原京の一番大事なところは目立たない林になっていた。どうりで原っぱの真ん中に林や丘があるのはおかしいとは思っていたのだ。
藤原宮の見どころ3 臨時駐車場
藤原宮跡の東西南北にいくつも臨時駐車場がある。
全部あわせたら相当たくさんの車が停められるので、もしものときも安心だ。
臨時駐車場は3箇所(たぶん)あります。
ちなみにこの臨時駐車場含め藤原宮跡は文化庁の管轄であった。
天皇がいた場所だし、宮内庁管轄だったらいいなと心のどこかで思っていたのでちょっとがっかりである。
藤原宮の見どころ4 朱雀大路跡
続いて朱雀大路跡を見よう。朱雀大路は藤原宮からまっすぐのびる、藤原京のメインストリートといったようなところだ。
藤原宮跡から少し離れたところにその史跡があるという。田んぼをさまよいながら南の方に進むと、それはあった。
これか!
藤原宮の原っぱ感に対してこちらは空き地感がすごい。この微妙な高さで切られた木の跡はなんだ。
でも確かに「史跡 藤原京朱雀大路跡」と書かれている。
左の説明書き看板には昭和57年と書かれていた。藤原京の歴史よりもこの看板の歴史の方が長い
以上で藤原宮の主要な部分はだいたい網羅したと思う。(さりげなくひとつ水増した。)
なんというか、のどかで気持ちが良いところだということは伝わっただろうか。
藤原京テーマパーク
原っぱを見ただけでは都の跡だという実感がそこまでわかない。記憶に残っているのは赤い柱だけである。
ちょうどよく藤原宮跡のとなりに、藤原京の資料室があったので足を運んだ。
この二階が藤原京資料室、いわば藤原のテーマパークになっている
まず資料室に鎮座する藤原京の模型が目を引く。説明によると、藤原京は平城京や平安京より広かったそうだ。
模型がどれくらい現実的なのかはわからないが、かなり立派である。ほう、と言いつつテンションが上がる。藤原京、おれの都である。
藤原京を囲む田んぼも今でいうメガソーラーみたいなものだろう
史跡めぐりに関して素人以下なので、やはり目に見える形で示されると、満足度がぐっとあがる。
ほかにもいろいろ展示してあった。顔ハメの横に例の柱が置いてあったのが印象的だ。
巨大礎石発見の(やや古い)速報
持統天皇の歌は藤原京のアンセム
藤原京のことがよくわかる映像
藤原宮の柱と共に記念写真
発掘されたものが並べられているスペースに石器が置いてあったらどうしようと思っていたが、土器や瓦だけだった。
藤原としての面目も保たれてよかった。さすがに石器はやばい。
さて、藤原宮に関係する年表にも一応目を通してみよう。
年表は藤原京に遷都される20年ちかく前の壬申の乱(672年)から始まっている。気が早い。
年表は平城京遷都の翌年711年の「藤原宮・大官大寺など焼亡する」で終わっていた。用済みになった藤原京、大事にされなさすぎである。
そういえば僕が見た限り藤原宮跡には石碑はなく、案内板も燃えたら消えそうな素材だったため、それらがまた焼亡する恐れもある。そちらも心配だ。
万葉集でも有名な天香具山
すこし景色を眺めてみよう。藤原京の南東には、天香久山がある。
都の近くにある神聖な山であるため、万葉集にも多くの和歌のモチーフとして取り上げられている。
春過ぎて夏来るらし白栲の衣干したり天の香具山
(持統天皇)
忘れ草我が紐に付く香具山の古りにし里を忘れむがため
(大伴旅人)
いにしへの事は知らぬをわれ見ても久しくなりぬ天の香具山
(作者不明)
昔の人はこの天香久山を見て、何かを思い出したり、感情が高まったりしていたのだ。昔使ってた携帯の電源を入れて「うおー」ってなる現代人みたいなものだろうか。
実物はこれである。
万葉集的にエモいと評判の天香具山
歴史的な建築物や有名な建築物を写真に収めようとするとなかなかイメージ通りにいかないものだが、天香久山はばっちりこの通りである。
たしかに背景の山々と違ってぱっと視線が集まる造形をしている。しかし山というか小高い丘のように見えるな…。
彼岸花が綺麗でした
しかし、しばらく眺めていると、ネットもテレビもない時代、これを毎日見るわけだから感情移入もするだろうということはなんとなく想像できるようになってきた。
でも近づくと木々のディテールが濃くて何も言えなくなる
天岩戸神社は蚊がすごい
天香久山をふらっと迂回してみるとそこにはなんと天岩戸があった。
天照大御神が閉じこもったことで有名な場所だ。すごいぞ藤原京。
天香久山の南側にそれはあった
天岩戸神社は全国にいくつかあるというが、その中でも控えめな気がする。
奥の方に進むと、何やら祀られているようす。
これも素朴な作りをしている
奥のほうを覗くとご神体があるらしきゾーンが見える。4つの大岩がご神体だそうだ。
また、後ろに見える竹林は毎年7本ずつ生え変わる「七本竹」らしい。窓のところに貼られた解説に書かれていた。
竹が七本ずつ生え変わったからといって一体何なのだろうか。世の中にあるいろいろな伝説の中でも相当控えめで興味深い話である。
裏に生えてるのがたぶん七本竹
追加情報として天香久山の蚊は元気なことにも触れておこう。境内なので殺生はやめようと思っていたら、眉間を刺された。癪なので書いておく。
藤原京みやげどうするか
藤原京に行ったついでにおみやげを買うつもりだったのだが、店がほぼないのであった。自転車を返す時刻がせまる。
唯一あった天香久山すぐそばにある店もおみやげを買う雰囲気ではない。
天香久山に一番近い店
しかたがないので帰りがけに再び立ち寄った朱雀大路跡で土を採取して、これを藤原京みやげにした。
帰り道にまた朱雀大路跡を通ったら、完全に空き地に見えた
朱雀大路跡の土を採取
駅で普通に買ったおみやげのシールを再利用してきれいに包装
めったに持ってる人のいない、ありがたさ100%のオリジナル藤原京土産である。
がんばれ藤原京
藤原さんのルーツである藤原京(藤原宮)は基本的に原っぱであった。天香久山を含む大和三山を見渡せる、日本一風流な原っぱである。行くならレジャーシートは必須だ。
あとは近くで藤原京みやげが買えたら完璧だ。個人的には赤い柱グッズがほしい。そうすれば世界遺産へ一歩近づくことだろう。一歩ね。
自分用のおみやげにかっこいい古楽面のループタイを買った。藤原京は関係ない。