キーワードは信仰と芸術
世界遺産には「文化遺産」と「自然遺産」、その両方の要素を併せ持つ「複合遺産」の三種類がある。富士山はこのうち「文化遺産」として世界遺産になった。
富士山と言えば自然というイメージが強いものの、今回は日本文化を育んできた文化的な象徴として、「文化遺産」での登録である。
富士山は古来より信仰の対象とされ、また和歌や浮世絵など芸術の題材として盛んに用いられてきた。その点が評価されたのだ。登録名称も「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」である。
さて、その世界遺産「富士山」であるが、全部で29の要素から構成されている。いずれも富士山の信仰・芸術に関係が深いものばかりだ。
ちなみにこれは余談だが、報道などでは「富士山が自然遺産になれなかったのはゴミが多すぎるせい」という趣旨の記述をしばしば見かける。しかし、それは正しくない。
2003年に環境庁と林野庁が行った「世界自然遺産候補地に関する検討会」の議事録を見ると、富士山はゴミ問題よりもむしろ山麓部の開発の方が問題になっている。また世界には富士山に似た地形が少なからずあり、差別化が難しい。そのような様々な点から、自然遺産として推薦するには難しいと判断されたのだ。
さて、話を戻そう。世界遺産「富士山」の構成要素のうち、その筆頭を担うのは当然ながら富士山本体である。
登山だけじゃない、聖地盛り沢山な世界遺産「富士山」
という訳で、世界遺産「富士山」の構成要素29件を紹介させて頂いた。富士山の信仰と芸術を軸に選ばれたこれらの物件は、なかなかユニークで興味深いものが多い。
今年の富士山はいつもに増して登山客が多くなるだろう。登山道は長蛇の列が予想される。ならば無理に山に登らずとも、富士山の周囲をのんびり周りながらこれらの聖地を巡ったりなど、いかがだろうか。
ただ、今回紹介したものの中には観光地でない所もあるので(基本的に聖地だし)、訪れる際には施設関係者や近隣住民の方の迷惑にならないようにお願いします。
白糸の滝へと続く売店アーケード。昭和が剥き出しな感じでグッときた
No.1:富士山域
富士山本体と言っても、富士山の山域全てが世界遺産というワケではなく、その対象はおおむね標高1500m以上の範囲である。
飛行機から富士山の写真が撮れた時にはテンション上がった
また富士山本体に加え、北西麓に広がる青木ヶ原樹海も富士山域の一部として世界遺産の範囲に含まれている。
青木ヶ原樹海もまた世界遺産
青木ヶ原樹海と言うと、どうしてもアレなイメージが付きまといがちであるが、樹海内には数多くの溶岩洞窟が点在しており、それらを巡るのもなかなか楽しいものだ。
去年の9月にはその青木ヶ原樹海の溶岩洞窟をテーマにした「
涼を求めて富士山の穴巡り」という記事を書かせて頂いたので、併せてご参照頂ければと思います。
No.2:三保松原
お次は三保松原である。三保松原から見る富士山は、歌川広重の浮世絵にも描かれるなど、古くから人々に親しまれてきた。いわば富士山眺望ポイントの代表格である。しかし、この三保松原が少々問題になった。
世界遺産候補の評価報告を行う専門機関が、三保松原は富士山本体から離れすぎており、富士山と一体のものとしてみなす事はできないと勧告したのだ。また近年は砂浜の流出が問題となっており、それを防ぐテトラポッドが景観を阻害しているとも指摘された。
しかし、世界遺産登録の可否を最終的に決める世界遺産委員会において、各国の代表から次々と「三保松原も含めても良いのではないか」との発言があり、結局は三保松原を含む形での世界遺産登録が決定したのである。
富士山が世界遺産になったその際、多くのメディアが「富士山、三保松原を含めて世界遺産登録決定」という見出しで報道していたのはその為だ。そのお陰で「富士山」と「三保松原」が世界遺産になった事は周知されたが、それ以外の構成要素はあまり注目されていないような気がしてならない。
というワケで、次ページからは残り27件の構成要素を紹介していきます。まずは、富士山を取り囲むように鎮座する、浅間神社群からである。
No.3:富士山本宮浅間大社
富士山の周囲には、富士山の神様を祀る浅間神社が数多く存在する。
浅間神社は富士山の周囲のみならず、関東・中部を中心におよそ1300社が分布すると言うが、それら浅間神社の総本社を担うのが、富士宮市に鎮座する「富士山本宮浅間大社」だ。
富士宮市の中心的な存在である「富士山本宮浅間大社」
社殿は江戸時代初期の慶長9年(1604年)に建てられた
本殿は珍しい二階建ての「浅間造り」で、国の重要文化財
また富士山本宮浅間大社の境内には、富士山の伏流水がこんこんと湧き出す湧玉池があり、国の特別天然記念物に指定されている。
膨大な水が湧き出る湧玉池
昔から、富士山に登ろうという人々は、皆この湧玉池で身を清めてから出発したそうだ。
池の底のあちらこちらから湧き出す水の量はまさに圧巻の一言である。湧玉池があるからこそ、この場所が聖地となり、神社が祀られたのではないかと思う程だ。
No.4:山宮浅間神社
富士山本宮浅間大社から富士山を6kmほど登った所に、山宮浅間神社という神社が存在する。
ひっそりと静かな神社であるが、先程の富士山本宮浅間大社はこの山宮浅間神社を移したものであるとされる。要するに富士山本宮浅間大社のルーツと言うべき神社である。
この神社がとにかく凄い。何が凄いかと言うと……まぁ、見て頂く方が早いだろう。
木立ちの参道をてくてくと歩いて行く
普通の神社ならば社殿があるべき場所だが、そこにはポツンと祭壇があるだけだ
祭壇から見えるのは……富士山である
そう、この神社は、富士山そのものを御神体として祀る神社なのである。なので、御神体を安置する為の建物が無いという訳だ。
自然を崇拝の対象としていた、古代の宗教観をダイナミックに感じられる貴重な神社である。
No.5:村山浅間神社
山宮浅間神社から少し東に行った所に位置する村山浅間神社は、かつての富士登山のメインルートの一つであった、村山道の要所に鎮座している。
私は以前、その旧村山道を歩く「
海抜0mからの富士登山」という記事を書かせて頂いたのだが、ここはその際にも訪れた、個人的に思い入れの深い神社である。
小さな集落にポツンとある村山浅間神社
境内には大日堂というお堂が建っている
修験者たちが禊を行っていた水垢離場も現存する
日本の山と言えば、修験道がつきものである。険しい山の中で厳しい修行を重ね、超人的な力を得ようとした修験者たち。富士山もまた、そのような修験道の対象となった山である。
特にこの村山浅間神社は富士山の修験道(村山修験)の拠点であり、境内には修験道にまつわる遺構を目にする事ができる。
No.6:須山浅間神社
富士山の南東麓には須山浅間神社がある。こちらもまたかつて存在した富士山の登山道、須山口の入口に鎮座している。
登山道の起点には、もれなく浅間神社が祀られているものなのだ。
こちらもひっそり静かな神社である
その拝殿は、建て替えられたばかりでピカピカだ
須山口は南口とも呼ばれ、かつては主要な富士登山道の一つであったという。
しかし宝永4年(1707年)に起きた宝永大噴火によって登山道が消滅。その後に復活したものの、明治時代になると御殿場に鉄道が通された事で、駅に近い御殿場口に人気が集まりこちらは衰退。ついには旧陸軍の演習場に取り込まれてて廃道になってしまった、ちょっと可哀相な登山道だ。
しかし近年になって須山口登山道が再整備され、見事復活を果たしたのだそうだ。拝殿も建て替えられたし、今回の世界遺産登録をきっかけにもう少し注目が集まる……かな。
No.7:冨士浅間神社(須走浅間神社)
富士山の東側、須走口の入口に位置するのが須走浅間神社だ。
須走口は今もなお現役で使われている登山道の一つである為か、その起点であるこの須走浅間神社もまたなかなか立派な印象である。
立派なたたずまいの須走浅間神社
社殿の左手から、須走口登山道が始まる
境内には富士講の記念碑も置かれている
富士講は戦国時代に興った富士信仰の一派であるが、江戸時代中期になると庶民に爆発的に流行し、多数の富士講登山グループが富士山を登るようになった。
この須走口や次にご紹介する吉田口は、江戸から近い事もあって多数の富士講が登った登山道である。その起点の浅間神社には、富士講が奉納した石碑も見られる。
No.8:北口本宮冨士浅間神社
富士山の北側、富士吉田市に位置する北口本宮冨士浅間神社である。こちらもまた今もなお使われている登山道の一つ、吉田口(河口湖口)の起点に位置している。
本宮と名を冠しているだけあってその境内は非常に広く、富士宮の富士山本宮浅間大社に匹敵する規模である。
参道には巨木が並び、雰囲気が良い
重要文化財の社殿が並ぶ
北口本宮冨士浅間神社の境内に並ぶ建物はいずれも古く、本殿、およびその左右に並ぶ東宮本殿、西宮本殿の三棟が国の重要文化財に指定されている。
特に永禄4年(1561年)に建てられた東本殿は、かの武田信玄が寄進したものだという。
ここにもやはり富士講の奉納碑がたくさん
境内の裏手から続いている吉田口登山道も世界遺産
また北口本宮冨士浅間神社からは、吉田口登山道が比較的昔の雰囲気を保ったままの状態で今もなお残っており、この道もまた世界遺産である。
起点の浅間神社から続く道の全域が世界遺産になった富士登山道は、この吉田口が唯一だ。
No.9:冨士御室浅間神社
富士五湖の一つ河口湖のほとりに鎮座するのが冨士御室浅間神社だ。
この神社の本殿は、かつて吉田口登山道の二合目に建っていたもので、昭和48年に現在の場所に移築された。
巨大な石灯篭がそびえる冨士御室浅間神社の参道
本殿は慶長17年(1612年)に建てられた古いもので、国の重要文化財
No.10:河口浅間神社
お次は河口湖の北東に存在する、その名も河口浅間神社である。
平安時代に富士山が噴火したのを受け(今に見る富士五湖や樹海ができたのは、この貞観大噴火の時だ)、富士山を鎮める為に創建された神社である。
この神社も巨木が多い
創建当時から残る、樹齢千年以上の木もわんさか
先程からただひたすらに浅間神社が続いており恐縮だが、これでようやく終わりである。まぁ、それだけ富士山の周りには、歴史のある浅間神社がごろごろしているという事だ。
続いては先ほどからちらちら名を出していた、富士講に関する施設と聖地である。
No.11~12:御師住宅
近年も富士登山ブームで毎年物凄い数の登山客が富士山に登っていると聞くが、江戸時代にも富士登山ブームがあった。
庶民の富士講グループが次々と富士山に登ったのである。特に江戸に近い富士吉田は(とは言え、江戸からは片道三日かかったそうだが)、訪れる富士講の数が多かったという。
その富士講の導き手であり、世話役でもあったのが御師(おし)と呼ばれる人たちだ。富士吉田には今もなお御師の住宅が建ち並んでおり、そのうち二件のお宅が重要文化財の指定を受け、世界遺産「富士山」の構成要素となっている。
世界遺産になった二つの御師住宅のうちの一つ、旧外川家住宅(現在は富士吉田市に寄贈され、一般公開されている)
富士講の人々は、このような御師住宅に泊まった
ただの宿泊施設ではなく、祭壇が設けられているのが特徴的
最盛期には人が多すぎて、この縁側にも雑魚寝していたらしい
庭には、湧水が流れる水路がある
御師住宅には北口本宮冨士浅間神社から流れる湧水の水路が通っており、富士講の人々はこの水で禊をしてから富士山に登ったという。
最盛期の富士吉田には、このような御師住宅が100件あったというから驚きだ。
ちなみにもう一軒の御師住宅は、現在も人が住んでいらっしゃるので、路地からこっそり拝見させていただくのみだ
No.13:人穴富士講遺跡
富士山の周囲には富士講の聖地も数多い。そのうちの際たるものが、富士講の開祖である角行(かくぎょう)が修行をしたという人穴(ひとあな)である。
こちらは前述の「
涼を求めて富士山の穴巡り」でもご紹介させて頂いたので、詳細は割愛させて頂くが、やはり聖地らしい独特の趣がある。
角行はこの人穴で修業し、入定した(亡くなった)という
境内には富士講が寄進した碑塔が無数に立ち並ぶ
No.14:船津胎内樹型
富士山が噴火した際に溶岩が樹木をなぎ倒し、その樹木がガス化して内部が空洞化したものが溶岩樹型である。
特に規模の大きな溶岩樹型もまた信仰の対象となり、富士講の聖地となった。そのうちの二つの溶岩樹型が世界遺産「富士山」の構成要素となっている(これらも以前の記事でご紹介したので、さらっと)。
一見すると普通の神社
しかしその内部には溶岩樹形の入口がぽっかり
生物の体内を思わせる造形で、まさに富士の胎内に見立てていた
No.15:吉田胎内樹型
船津胎内樹型から東へ少し行った所にある吉田胎内樹型もまた世界遺産になった。こちらは通常は施錠されており、富士講の特別な儀式の時にのみ開かれるそうだ。
なので、基本的に外観しか見る事ができない
No.16~20:富士五湖
ご存じ、富士五湖もまた世界遺産「富士山」の構成要素である。
富士五湖越しに見る富士山は芸術のモチーフに用いられる事も多く、また富士五湖は富士講の巡礼地でもあるのだ。
富士講の概念に、内八海巡りというものがある。富士山の周囲に点在する八つの湖(富士五湖、および本栖湖の北西に位置する四尾連湖、それと富士吉田市にある明見湖、泉水湖)を聖地として巡礼していたのである。
千円札にも描かれている本栖湖からの富士山
精進湖からの富士山は手前に大室山が見える
ゴツゴツした溶岩と樹海が迫る西湖
六角堂が浮かぶ河口湖
左に宝永山の肩が見える山中湖
No.21~28:忍野八海
河口湖と山中湖の間に位置する忍野村には、富士山の湧水が出ている池が八つあり、それらもまた八海に見立てて富士講の聖地とされた。
忍野八海で最大の湧水量を誇る湧池
かつては富士山が映った事から名付けられた鏡池
その名の通り菖蒲が生える菖蒲池
ほとんど川と一体化している濁池
湧水の量はあまり多くない銚子池
怖いほどに底が深い御釜池
有料施設の中にある底抜池
集落の出口にひっそりたたずむ出口池
いずれも良く澄んだ美しい泉であり、昔の人がここに神仏を感じたのも当然という感じのたたずまいである。
ただ、元々存在する八つの池以外に人工的に掘られた池があったり(しかも、その人工池が最も人を集めていたりする)、既に富士講の聖地という雰囲気はあまり無く、集落全体がアミューズメント施設化しているような印象を受けた。
No.29:白糸の滝
最後は富士山の西麓に位置する白糸の滝だ。この滝の凄い所は、上流からの川が滝として流れているだけではなく、滝の岩盤の割れ目から直接伏流水が噴き出ている所である。
去年から環境保全の工事が行われている
岩盤から伏流水が溢れている滝だ
またこの滝の上部には、源頼朝が髪を整えるのに使ったと伝わるお鬢水(おびんすい)と呼ばれる湧水がある。
そこは富士講の聖地となっており、得も言われぬ独特な雰囲気を醸し出している。
富士講の祭壇が祀られているお鬢水
まさに聖地という雰囲気がひしひしと伝わってくる