特集 2012年9月14日

涼を求めて富士山の穴巡り

富士山には興味深い穴が盛りだくさん
富士山には興味深い穴が盛りだくさん
……暑い。9月になってもまだ暑い。ようやく朝晩は涼しくなってきたものの、むあっと蒸す昼の暑さは相変わらずで、ホント嫌になる。

あまりに長くそんな日が続くので、私はいてもたってもいられず富士山へ向けて原付を走らせた。そう、洞窟に入る為に。
1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー)

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富士山麓は穴だらけ

日本最高峰にして和文化の粋たる富士山は、数多くの溶岩洞窟を持つ事で知られている。

特に北西麓の青木ヶ原樹海界隈にはゴロゴロ掃き捨てる程に洞窟が存在し、洞窟探検の経験など皆無である私であっても、お手軽気軽に楽しめる観光洞があるらしい。
みんな大好きわたしも大好き富士山
みんな大好きわたしも大好き富士山
そしてここが重要なポイントなのだが、洞窟というものは一年を通して気温が一定である。故に夏は涼しく、冬は暖かい。夏は溶ける程に暑く、冬は凍る程に寒い私の部屋よりよっぽど良い環境なのではないだろうか。

なんならいっその事、気に入った洞窟があればそこに住み着いても良いだろう。文明を捨て洞窟住まいに回帰するというのもまた一興である。

もれなくペットがついてくる蝙蝠穴

私が最初に向かったのは、富士五湖の一つ、西湖の側に位置する蝙蝠穴である。
溶岩に縁取られた西湖
溶岩に縁取られた西湖
そこから原付で5分の所に蝙蝠穴はある
そこから原付で5分の所に蝙蝠穴はある
入口の施設から一歩足を踏み出すとそこは樹海
入口の施設から一歩足を踏み出すとそこは樹海
既にボコボコ穴が開いている
既にボコボコ穴が開いている
めくれ上がるように固まった溶岩も
めくれ上がるように固まった溶岩も
自然の神秘である
自然の神秘である
歩いて数分、蝙蝠穴にたどり着いた
歩いて数分、蝙蝠穴にたどり着いた
蝙蝠穴の入口は、鉄柵によって守られていた。しかしその柵の目は粗い。これは蝙蝠の出入りを妨げないようにする工夫なのだそうだ。

受付で渡されたヘルメットをかぶり、いざ突入。穴に入ると途端にひんやりとした空気に包まれ、それはまさに天然のクーラー。おぉ、これだよ、これ。この涼しさだよ。
しかし、石灰質の鍾乳洞とは随分違うものだ
しかし、石灰質の鍾乳洞とは随分違うものだ
当然ながら床も溶岩なのでゴツゴツである
当然ながら床も溶岩なのでゴツゴツである
天井は鍾乳石のようなものも見られるが、小さく細かい
天井は鍾乳石のようなものも見られるが、小さく細かい
まさに溶岩が流れた跡、という感じである
まさに溶岩が流れた跡、という感じである
内部は想像以上に薄暗く(蝙蝠への影響を考えての事だと思う)、そして狭い。中腰で歩いたり、しゃがんで這うように進まなければならない所もある。

当方、身長が180cm以上と無駄に背が高い為、天井に頭をぶつける事数回。その度にヘルメットのありがたさを思い知らされた。
ライトに照らされた部分、なんか植物が生えちゃってる
ライトに照らされた部分、なんか植物が生えちゃってる
最深部は蝙蝠生息エリアの為、立入禁止
最深部は蝙蝠生息エリアの為、立入禁止
外の光を見るとちょっとホッとする
外の光を見るとちょっとホッとする
私はぜぇぜぇと荒い息を吐きながら洞窟の外へ出た。それほど深い洞窟ではないのだが、意外とアップダウンが激しく、そして厳しい体勢で進まなければならない場所もあって、結構疲れるのだ。

しかし、これがなかなか楽しかった。何より地形が面白いし、蝙蝠もいる。希少な種の蝙蝠が生息しているそうなので住む事はできないが、うん、洞窟とは良いものだ。
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凍える程に寒い富岳風穴

続いて私が向かったのは、蝙蝠穴から原付で15分くらいの所にある富岳風穴である。ここは蝙蝠穴よりメジャーな観光スポットらしく、大勢の人々で賑わっていた。
しっかり整備されているので蝙蝠穴ほどの冒険感はない
しっかり整備されているので蝙蝠穴ほどの冒険感はない
冷え冷えとした階段を下りていくと――
冷え冷えとした階段を下りていくと――
なんと氷があった
なんと氷があった
これには驚かされた。確かに洞窟に入る前から涼しいとは思っていたが、まさか氷が解けずに残っているとは。

……という事は、この洞窟の気温は0度という事か。天然のクーラーどころか天然の冷蔵庫、いや冷凍庫じゃないか。

半袖で入った私の体はどんどん冷やされ、どうしょうもなく寒くなってきた。両手をさすりながら奥へと進む。
天井が高いので頭をぶつける心配が無いのは嬉しい
天井が高いので頭をぶつける心配が無いのは嬉しい
昔は貯蔵庫として使われていたらしい
昔は貯蔵庫として使われていたらしい
蚕の繭や植物の種を貯蔵していたそうだ
蚕の繭や植物の種を貯蔵していたそうだ
江戸時代にはここの氷を殿様に献上していたというし、近代には養蚕の為の繭や植物の種子を保存していたという。確かに電気も使わずこの寒さ、昔はさぞ重宝された事だろう。

というか、いささか寒すぎる。ちょうど良く拝観できるのはこの貯蔵庫までだったので、Uターンして地上に戻った。
洞窟を出ると眼鏡が曇った。そして凍えきって酷い顔である
洞窟を出ると眼鏡が曇った。そして凍えきって酷い顔である

寒いけど寒くない鳴沢氷穴

富岳風穴からそう遠くない所に、もう一つ鳴沢氷穴という溶岩洞窟がある。

氷穴というチューハイみたいな名前の通り、こちらも寒さが売りの洞窟のようだ。確かに気温が低い洞窟ではあるのだが、しかし、体感的にはそれほど寒く感じなかった。

この洞窟、かなりハードなのである。
ここもまた入口から冷風が吹いている
ここもまた入口から冷風が吹いている
険しい階段を下りていく
険しい階段を下りていく
感覚がおかしくなるようなぐにゃーっとした道を中腰で行く
感覚がおかしくなるようなぐにゃーっとした道を中腰で行く
極めつけは急なスロープ(右下の人で高低差を感じて下さい)
極めつけは急なスロープ(右下の人で高低差を感じて下さい)
高低差のある洞窟は肉体的な疲労はもちろんの事、道が濡れているので滑らないよう神経を使いながら歩くので余計に疲れる。

特に最深部へと降りるスロープはかなり怖かった。後ろから学生の集団がわらわらやってきたので、勢いに任せてえいやと下りる事ができたのたが、一人だったら引き返していたかもしれない。
昔は氷の貯蔵庫、氷室として使われていたらしい
昔は氷の貯蔵庫、氷室として使われていたらしい
帰りの登り階段がトドメを刺してくれる
帰りの登り階段がトドメを刺してくれる
いやはや、疲れた。しかし、それを含めての洞窟見学である。むしろこのくらいのハードさがあってくれた方が楽しめるというものだ。

……と、まぁ、ここまでは富士急ハイランドの延長的な感じで、誰もが気軽に楽しめる観光洞を紹介してきた。しかし次からはちょっと違う。今も生きる、富士山信仰の洞窟である。そしてさらにハードである。
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船津胎内樹形

昔から日本人は富士山を信仰の対象としてきた。時に火を噴き荒ぶる事もあれど、いつもは美しいフォルムで豊かな恵みを与えてくれる富士山に、人々は神を感じてきたのだ。

江戸時代になると富士信仰は庶民に広まり、江戸をはじめ関東界隈を中心に富士講という組織が数多くできた。

その富士講の人々が、富士山に登る前に身を清めたのがこの船津胎内である。
一見すると普通の神社
一見すると普通の神社
しかしその内部には……
しかしその内部には……
洞窟がぽっかりと口を開けている。涼しい空気も感じる
洞窟がぽっかりと口を開けている。涼しい空気も感じる
洞窟内は……おおぅ
洞窟内は……おおぅ
こ、これは凄い
こ、これは凄い
この洞窟は溶岩樹形と呼ばれるものである。流れてくる溶岩に木が倒され埋もれた後に、その木が燃え消えできた空洞だ。

特にこの船津胎内樹形は何本もの大木が繋がってできた奇跡ともいえる産物で、非常に複雑な形状を成している。

その内部はヒダ状の熔解跡が無数に見られるなど、生物の体内をイメージさせる部分が多々あり、それが胎内と呼ばれる所以である。
少しグロテスクな感じもするが、神秘的でもある
少しグロテスクな感じもするが、神秘的でもある
直径80cmくらいの狭い通路(元は木の幹なのだから、それでも巨木ではあるが)を這って進む
直径80cmくらいの狭い通路(元は木の幹なのだから、それでも巨木ではあるが)を這って進む
最深部には木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)の像が鎮座
最深部には木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)の像が鎮座
最深部に至る道は特に細く、子どもでもない限りは体育座りのような体勢のままにじり寄るように進むか、あるいは四つんばいになって進むかである。

足を延ばせない状態が続くので精神的にも辛く、閉塞感の為か普段より息切れしやすい気もする。閉所恐怖症の方は絶対に入ってはならない。

そうして辿り着いた最深部。ここでお参りをする事で、富士山の祭神である木花咲耶姫のお腹へ入り、再び出てくるという生まれ変わりを体現していた。清らかな無垢の状態で富士山に登る、という考え方だ。
昔はこのようにお参りしていたそうだ
昔はこのようにお参りしていたそうだ
この絵では最深部に5人も入っているが、実際にはそこまで広くはない。3人も入れば動きが取れなくなる感じだろう。天井も低く、直立すると頭をぶつける。

ちなみに洞窟を出た後、疲れと共に汗がどっと噴き出してきた。ムリな大勢が続いた為か足がカクカクしている。いやはや、涼を求めるという当初の目的は、もはやどっかへ行ってしまったようだ。でも、楽しい。

吉田胎内樹形

船津胎内樹形の近くには、もう一つ、吉田胎内樹形が存在する。船津胎内は江戸時代から知られていたのに対し、こちらは明治時代に発見されたものだそうだ。

船津胎内資料館のおじさんに吉田胎内の場所を聞き、そこへと向かう。道沿いに階段があるのですぐに分かるよという事であった。
って、階段ってまさかコレですか?
って、階段ってまさかコレですか?
はい、そのまさかのようです
はい、そのまさかのようです
とりあえず上って、樹海の細道を行く
とりあえず上って、樹海の細道を行く
どう見ても避難階段というかなんというか、少々心許ない階段ではあるが、その上に鳥居が掲げられているのを見るに、ここが吉田胎内の入口という事なのだろう。

階段獣道に毛が生えた程度の道を進んで行く事10分ばかり(一度道を間違えて迷いそうになった)、ようやくそれらしい鳥居が見えた。
おぉ、あれか
おぉ、あれか
しかし、その入口は閉ざされている。まぁ、予想していたが……
しかし、その入口は閉ざされている。まぁ、予想していたが……
たどり着くまでの道が道なので、人が訪れる事はそう多くないのだろう。こちらは船津胎内のように開放されてはおらず、特別な富士講の行事の際にのみ開けるようだ。

この洞窟には電灯などの明かりも無いようだし、勝手に入られて事故でも起きたらコトなので、閉めておくのは当然だろう。
ちなみに、内部はこんな感じのようだ
ちなみに、内部はこんな感じのようだ
案内図には胎内樹形の平面図も書かれていた。船津胎内ほどではないものの、何本かの木が重なった、そこそこ深い洞窟のようである。

しかし、たまたま溶岩に飲み込まれた木同士がこうしてくっついて洞窟になるとは、自然とはまったく不思議なものですなぁ。
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碑塔が林立する人穴富士講遺跡

最後はこれまでの樹海エリアではなく、西麓に位置する人穴富士講遺跡である。

人穴という名前にはいささか物騒な響きを感じるが、元は源頼朝が富士山麓で巻狩りを行っていた際、家臣に探検させた事に由来するらしい。

ちなみにその際、家臣の従者4人が次々死亡し、命からがら出てきたのだという。また御伽草子には「人穴は地獄」という記述がみられるらしい。……やっぱり物騒じゃん!
今では人穴浅間神社として祀られている
今では人穴浅間神社として祀られている
人気の無い林の参道を行く
人気の無い林の参道を行く
墓石のような碑塔にかこまれた社殿が見えた。ちょっと怖い
墓石のような碑塔にかこまれた社殿が見えた。ちょっと怖い
江戸時代に入ると、富士講の創始者である角行という行者が人穴で修業をし、そこで入定した(亡くなった)。その為人穴の洞窟は、今でも富士講の聖地として大切にされているのだ。
これらの碑塔は富士講の信徒が立てたものだ
これらの碑塔は富士講の信徒が立てたものだ
そしてこれが人穴の洞窟
そしてこれが人穴の洞窟
洞窟の中は真っ暗で、天井も低い
洞窟の中は真っ暗で、天井も低い
耳を澄ますと……ど、洞窟の奥の方から、お、経が聞こえてくる!
耳を澄ますと……ど、洞窟の奥の方から、お、経が聞こえてくる!

怖くて入らず引き返しました

涼を求めて洞窟に入ろうとしたら、まさかの違う涼を貰ってしまった。

どうも、お坊さんか行者さんかが読経中だったようである。富士信仰は神仏習合(仏と神は同じものという考え)だったのでお経を唱えていても不思議ではない気がするが、それにしてもびっくりだ。

希少な蝙蝠がいたり、氷が解けないほど寒かったり、足がプルプルになるほど疲れたり、誰かが読経していたりする富士山の洞窟たち。どれも個性があって楽しめるので、かなりオススメです。
高いぞ偉いぞふっじっさーん!
高いぞ偉いぞふっじっさーん!
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