軍艦島(長崎市端島)。
軍艦島とは
すっかり有名になった軍艦島だが、一応ザッと説明すると、長崎の南端に浮かぶ無人島。正式名称は端島(はしま)。明治時代から炭鉱の島として開発が進められ、幅160m、長さ480mという狭い島内に5000人もの人が住み、世界一の人口密度を誇った。昭和49年に炭鉱が閉山。まもなく無人島となり、現在のような廃墟の島となった。
空気が澄んでる時は対岸からもこれくらいハッキリ見える。長崎に引っ越して来たばかりの頃、当時は今のように話題にはなっておらず、唐突にこのアイアンロックスのような姿を見た時は我が目を疑った。
その後しばらく放置されていたが、2004年から
船で周囲を巡る周遊ツアーが定期便化、2009年には上陸できるツアーも始まった。とはいえ上陸ツアーで散策できるのは島内に設置された300mほどの遊歩道のみ。それでも実際に島に降り立ち眺めるとその絶景には圧倒されるものがあるが、写真集などでよく見るビルが立ち並ぶエリアには立ち入ることができず、若干不満が残った。
それが今回、イラストレーターの開田裕治さんの呼びかけにより全国から第一線で活躍しているクリエイター20数名が集まり、長崎の池島・軍艦島を巡るツアーが企画された。で、長崎市から特別に一般公開してないエリアまで見せて頂けることになったというわけだ。
初日は池島島内を見学。池島もまたすごくいいところですよ。
というわけで初日はまず
先日記事にも書いた池島へ。
そこで炭鉱内などを見学&一泊し、翌朝池島から軍艦島へチャーター船で直行した。
この船で軍艦島へ。
上陸! (ちなみに外海を通ったためかなり船は揺れ、思いっきり船酔いました。降りたらすぐおさまったけど)
さっそくヘルメットが全員に配られた。
通常の上陸ツアーではヘルメットは不要だが、今回は危険ゾーンに入るため、全員にヘルメットが配られた。これは2ページ目以降を見て頂くとわかるがマストアイテムだった(何度も頭ぶつけてる人もいた)。
まずは通常ツアーと同じ見学コースにて、ガイドさんの説明を受ける。2009年に写真のようなコンクリートの歩道と上陸用の桟橋が整備された。
よく見ると壁にうっすらと緑色の跡が。
ガイドさんによると今はあちこちに草木が生い茂る軍艦島だが昔はほとんど緑がなく、そのため壁を緑に塗ったりしていたそうだ(!)。
何年か前に中国の
ペンキ山が話題になっていたが、日本でもそれと同じことがかつて行われていたとは…。
歩道からの眺めだけでも異世界感が充分味わえ満足度は高い。…が、その奥にはさらに10倍すごい光景が待ち受けている。
というわけで、いよいよ普段入れないエリアへと進みます。
完璧な廃墟
ここから先は言葉は要らない、と言うか
見ての通りのすごい光景だった。
島の住民が暮らしていた居住エリアである。
ガイドさんの先導で進んでいく一同。
建物の内部にも入れる。
うはーーっ。これだ!見たかったのは。
団地ファン的に言うところの
ツインコリダー的ビュー+廃墟。すごい光景である。上の写真は4つの棟が立ち並ぶ隙間を覗いたもの。つまりこの光景が連続して3回廊下沿いに現れる。
各階が渡り廊下で繋がれている。
軍艦島の、というより当時の住居はエレベーターがないのが普通で、それを補うために各階が渡り廊下で平行に繋がれていた。それらがまた複雑な迷路のような独特の景観を生み出している。
エレベーターは、晩年に建てられた小中学校に唯一、給食運搬用のものがあった。
見上げるとまた壮観。
軍艦島の炭鉱で働いたことがあるというガイドの木場田さん。昭和13年生まれ。
● パーフェクトガイド
今回島内を案内して下さったのは、若い頃軍艦島の炭鉱で働いたことがあるというガイドの木場田さん。
かねてより軍艦島に住んだことがある人から話を聞いてみたいと思っていたところだったので、それがさらに現地で実物を見ながら聞けるとは火に油、いや棚からぼた餅、いや、えーと、とにかくすごく良かった!
木場田さんの後ろの線より向こう側に立つと崩落する恐れがある。
また写真を見てもわかるように本気で危険な場所だらけだったので、危険箇所と大丈夫な場所とを教えてくれるという意味でもガイドは非常にありがたかった。
おかげでおそらく一人だったら行くのを躊躇ったであろう場所も見て回ることができた。
この建物に入って大丈夫かどうかって、ガイドが無かったら悩むよね…?
答え:なんと入れる。
こういう階段を登る。
崩落した通路。こうした崩壊はリアルタイムで進行中なのだろう。
通路をふさぐコンクリート塊。動くかな?と思って押してみたが予想以上に重くビクともしなかった。
この階段は間違って通ったらやばい。
スマホいじりながら歩いてたら落ちて死んじゃいそうな穴がそこかしこに。
ぼんやりしてると刺ささりそうな位置にぶら下がっている鉄の棒。
これまた渡ったらやばそうな橋。 (これは避難用の橋で、使われることはなかったという)
派出所跡に残る拘置所。通称「牢屋」。もっぱらたちの悪い酔っぱらいを大人しくさせるために使われていたとのこと。島内ではほとんど犯罪はなかったそうだ。
● 65号棟
コの字型の巨大な9~10階建ての建物、65号棟に来た。
日本で唯一戦時中に作られた巨大団地だという。
中央部分にはかつて児童公園があったという。わずかに痕跡が残っている。
ここでお昼を食べることとなった。
食事するとツアーっぽさが一段とアップ。軍艦島でお弁当が食べられるなんて!
● 地獄段
軍艦島の有名な景色のひとつ、「地獄段」を登る。
ここを上がっていくと、軍艦島で一番高い「端島神社」に着く。
地獄段。写真集などで見たことある光景。
向かいの家との距離が非常に近い。
端島神社
地獄段を登り切ると、そこには高台の上に建てられた端島神社が現れる。
鳥居の上の部分は崩落していた。
上からの眺めがいい。
きれいだな…。。
素晴らしきオーシャンビュー
いくつかの建物の中は眺めがよく、風通しもよく、
なんだか海の家みたいな気分さえ感じた。
ここ、すごくいいところだったんじゃないかな。。
こういうところに住んでみたい…と思った。
もっとも、高層住宅の下の方の階は日当たりが悪く、そういうところに住んでいた人々は日照不足の問題に悩まされていたそうだ。住居の善し悪しは炭鉱内での序列で決まり、偉くなればなるほど良い場所に住めたらしい。
廃屋内でたくましく育っていたサボテン。
瓶の中で生きる植物も。ボトルシップならぬボトルプラント。
● 屋上保育園
さきほどの65号棟の屋上にも登った。
保育園があった。
屋上に保育園とはなんとも珍しいが、とにかく土地が無かったため、ここが唯一設置可能な場所だったという。
島内を歩いていると無性にアートを感じる時がある。
三崎亜記さんの小説で鑑賞目的に“新築の廃墟を建設する”という一風変わった話がある(「
廃墟建築士」)。それを軍艦島に当てはめ、
「もしこれが最初から鑑賞用に作られたアートだったとしたら…」
と考えてみると、
「こんな発想思いつかないよ!」
「細部の作り込みがすげぇ」
といったセリフが連発したであろう。 いや時に
「これはちょっとやり過ぎててリアリティに欠けるなぁ」
と思う部分さえあった。(もちろん全部リアルなんだけど)
島内ではよく疫病が蔓延していたそうで、その治療に使われた薬の瓶が大量に残されている。
もしこれが現実でなく演出だったとしたら「ちょっとやり過ぎじゃ…?」と思ってしまうくらいのアートっぷりだ。
● X階段
こちらも軍艦島の特徴的な建物、通称X階段。
67号棟のX階段。男性寮だったという。
スローガンなどを書いた垂れ幕をここに下げたそうだ。
横から見ると人がすれ違えないほど幅が細い。
小中学校
小中学校は日照不足を補うため、日当たりの良い場所に窓を大きく作られた。
端島小中学校
入り口にきれいな状態で残っているタイル絵。卒業制作だろうか。
体育館跡。
最上階は最も崩壊が激しかった。
小中学校の下が浸食されてすっぽり無い!
こうしてあちこち島内を散策し、帰路に着いた。
すごくよかった
いや、しかしさすが廃墟ファンから聖地と言われるだけあり、すごい廃墟だった。
解体される前の旧長崎刑務所も相当すごかったが、軍艦島はやはりそれ以上だった
そしてまた今回案内してくださった
軍艦島コンシェルジュの方々のガイドが大変良かった。普段入れないエリアにも関わらず、解説、コース設定、時間配分、弁当など実に完璧だったので、「案外この手のツアーってよく行われているのかな?」と思ってしまったくらいだ。が、やはりクリエイティブな目的や学術調査といった特殊な場合しか市は許可を出してないそうで、そうそうあるものではないとのこと。もったいない。実にもったいない
たしかに超危険エリアなのでいわゆる観光スポットのように誰にでもというワケにはいかないだろうが、これほどのものを一部の人にしか見せないのはもったいない。長崎市にはぜひ一般のかたも見に行ける機会を設けてほしい、と一市民として願う。